宇治拾遺物語 1-12 児(ちご)の掻餅(かいもち)するに空寝(そらね)したる事
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これも今は昔、比叡(ひえ)の山に児(ちご)ありけり。僧たちの宵(よじ)のつれづれに、「「いざ、掻餅(かいもちいひ)せん」といひけるを、この児心寄せに聞きけり。「さりとて、し出(いだ)さんを待ちて寝ざらんもわろかりなん」と思ひて、片方に寄りて、寝たる由(よし)にて出で来るを待ちけるに、すでにし出(いだ)したるさまにて、ひしめき合ひたり。この児、「定めて驚かさんずらん」と待ちゐたるに、僧の「物申し候(さぶら)はん。驚かせ給へ」といふを、うれしとは思へども、「ただ一度にいらへんも、待ちけるかとぞ思ふ」とて、「今一声(ひとこゑ)呼ばれていらへん」と念じて寝たる程に、「や、な起し奉りそ。幼き人は寝入り給ひにけり」といふ声のしければ、あなわびしと思ひて、「今一度起せかし」と思ひ寝に聞けば、ひしひしとただ食ひに食ふ音のしければ、すべなくて、無期(むご)の後(のち)に、「えい」といらへたりければ、僧たち笑ふ事限りなし。
現代語訳
これも今では昔の事になりますが、比叡山延暦寺に稚児がいました。僧たちが宵の所在なさに、「さあ、ぼた餅でも作ろう」と言ったのを、この稚児は期待を持って聞いた。「かといって、作り上げるのを待って寝ないのも具合が悪いだろう」と思って、部屋の片隅に寄って、寝たふりをしてできてくるのを待っていると、すでに作り上げた様で、僧たちが大勢で騒ぎ立て合っている。この稚児は「きっと、呼び起こしてくれるはずだ」とそのまま待っていると、はたして一人の僧が、「もしもし、目をお覚まし下さい」と言うので、喜んだが、「ただ、一度の呼びかけに返事をすると、待っていたのだろうと思われる」と思い、「もう一度呼ばれてから返事をしよう」と我慢して寝ているうちに、「おい、お起こしなさるな。幼い人はお眠りになってしまったのだ」という声がしたので、ああ、まずいと思って、「もう一度起してくれよ」と寝て聞いていると、むしゃむしゃとさかんに食べに食べている音がする。どうしようもなくて、ずっと時間が経ってから、「はあい」と返事をしたので、僧たちは笑い続けた。
語句
■空寝-わざと眠ったふりをすること。■比叡の山-京都府と滋賀県にまたがる比叡山。延暦七年(788)に創建された天台宗の総本山延暦寺がある。■児(ちご)-修学や行儀作法の見習いのために寺院で僧に仕えた少年。■掻餅(かいもちひ)-掻き練り餅。もち米を蒸したものを丸めてきな粉などをまぶしたもの。おはぎ・ぼた餅の類。そばがきのような粥(かゆ)飯(めし)、正月の鏡餅の割り餅と見る説もある。■ひしめきあう-大勢集まって騒ぎ立てる事。「ひし」という擬態語に「めく」という接尾語が付いたもの。■定めて-きっと。■驚かさんずらん-呼び起こしてくれるはずだ。■物申し候(さぶら)はん-現代の「もしもし」にあたる丁寧な呼びかけの弁。■いらへん-呼ばれたりしたことに「はい」「いいえ」などと端的に反応すること。応答すること。■念じて-返事をしたいのを我慢して。■思ひ寝に聞く-強く期待しながら寝ている格好のまま聞き耳を立てていること。■ひしひしと-しきりに一事に集中するさま。■すべなくて-もうそれ以上は我慢しているわけにいかず、やむなく。■無期(むご)-「限りなく長い時間」が直訳。しかし実際には僧たちがまだみなそこにいるうちであったので、さほどに長い間をおいたわけではない。その場のやりとりの雰囲気の中で心理的に、「えらく長い時間」ということ。
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