宇治拾遺物語 2-1 清徳聖(せいとくひじり)、奇特(きどく)の事

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原文

今は昔、清徳聖といふ聖のありけるが、母の死したりければ、棺(ひつぎ)にうち入れて、ただ一人愛宕(ひとりあたご)の山に持(も)て行きて、大(おほ)きなる石を四つの隅に置きて、その上にこの棺をうち置きて、千手陀羅尼(せんじゆだらに)を片時(へんし)休む時もなく、うち寝(ね)る事もせず、物も食はず、湯水も飲まで、声絶(こわだ)えもせず誦(じゆ)し奉りて、この棺をめぐる事三年(みとせ)になりぬ。

その年の春、夢ともなく現(うつつ)ともなく、ほのかに母の声にて、「この陀羅尼をかく夜昼よみ給へば、我は早く男子となりて天に生まれにしかども、同じくは仏になりて告げも申さんとて、今までは告げ申さざりつるぞ。今は仏になりて告げ申すなり」といふと聞ゆる時、「さ思ひつる事なり。今は早うなり給ひぬらん」とて取り出(い)でて、そこにて焼きて、骨取り集めて埋(うづ)みて、上に石の卒塔婆(そとば)など立てて例のやうにして、京へ出づる道々、西の京に水惣(なぎ)いと多く生(お)ひたる所あり。

この聖困(こう)じて物いと欲しかりければ、道すがら折りて食ふ程に、主(ぬし)の男出(い)で来(き)て見れば、いと貴(たふと)げなる聖の、かくすずろに折り食へば、あさましと思ひて、「いかにかくは召すぞ」といふ。聖、「困(こう)じて苦しきままに食ふなり」といふ時に、「さらば参りぬべきは、今少しも召さまほしからん程召せ」といへば、三十筋ばかりむずむずと折り食ふ。この水惣(なぎ)は三町ばかりぞ植ゑたりけるに、かく食へば、いとあさましく、食はんやうも見まほしくて、「召しつべくは、いくらも召せ」といへば、「あな貴(たふと)」とて、うちゐざりうちゐざり、折りつつ、三町をさながら食ひつ。主(ぬし)の男、「あさましう物食ひつべき聖(ひじり)かな」と思ひて、「しばしゐさせ給へ。物して召させん」とて、白米一石取り出でて飯(いひ)にして食はせたれば、「年比(としごろ)物も食はで困じたるに」とて、みな食ひて出でて往(い)ぬ。

この男いとあさましと思ひて、これを人に語りけるを聞きつつ、坊城の右の大殿(おほとの)に人の語り参らせければ、「いかでかさはあらん。心得ぬ事かな。呼びて物食はせてみん」と思(おぼ)して、「結縁のために物参らせてみん」とて、呼ばせ給ひければ、いみじげなる聖歩み参る。その尻に餓鬼(がき)、畜生(ちくしやう)、虎(とら)、狼(おほかみ)、犬、烏(からす)、数万の鳥獣など、千万(ちよろづ)と歩み続きて来けるを、異人(ことひと)の目に大方(おほかた)え見ず、ただ聖一人(ひとり)とのみ見けるに、この大臣(おとど)見つけ給ひて、「さればこそいみじき聖にこそあれ。めでたし」と覚えて、白米十石をおものにして、新しき筵菰(むしろこも)に折敷(をしき)、桶(をけ)、櫃(ひつ)などに入れて、いくいくと置きて食はせさせ給ひければ、尻に立ちたる者どもに食はすれば、集りて手をささげみな食ひつ。聖は露(つゆ)食はで、悦(よろこ)びて出でぬ。「さればこそただ人にはあらざりけり。仏などの変じて歩(あり)き給ふにや」と思(おぼ)しけり。異人(ことびと)の目には、ただ聖一人して食ふとのみ見えければ、いとどあさましき事に思ひけり。

さて出でて行く程に、四条の北なる小路(こうぢ)に穢土(ゑど)をまる。この尻に具(ぐ)したる者(もの)し散らしたれば、ただ墨のやうに黒き穢土を隙(ひま)もなく遥々(はるばる)と散らしたれば、下種(げす)などもきたながりて、その小路を糞(くそ)の小路とつけたりけるを、帝聞かせ給ひて、「その四条の南をば何といふ」といはせ給ひければ、「綾(あや)の小路(こうじ)となん申す」と申しければ、「さらばこれをば錦(にしき)の小路といへかし。あまりきたなきなり」など仰せられけるよりしてぞ錦の小路とはいひける。

現代語訳

今では昔の事になりますが、清徳聖という聖がいたが、その母が亡くなり、遺体を棺に入れ、それを、独りで愛宕山に持っていき、大きな石を四隅に置いて、その上にこの棺を置き、千手陀羅尼というお経を片時も休まず、眠りもせず、食事もせず、湯水も飲まず、声が途絶えることもなく、唱えながら、この棺の周りをまわり続けて三年になった。

その年の春、夢とも現ともなく、かすかに母の声がして、「この陀羅尼をこのように夜となく昼となくお読みなされるので、我は早くに男として天上界で生まれ変わりましたが、同じことなら仏になってお知らせしようと、今までお知らせしませんでした。今では仏になったのでお知らせするのです」と言うのが聞こえた。その時、聖は「そういうことだろうと思っていました。今ではもう仏になられているようだ」と、遺体を棺から取り出し、その場で焼き、骨を集めて土に埋め、その上に、石の卒塔婆を立てて、葬儀の礼を執り行い、京へ出る途中、西の京に水惣が非常にたくさん生えている所があった。

この聖は疲れていて食べ物が欲しくてたまらなかったので、通りすがりにこの水惣を折って食べていたが、そこへ持ち主の男が出て来て、見ると、まことに尊げな聖が、こうしてがつがつと折り食っているので、あきれてしまって、「どうしてこのように召しあがるのか」と言う。聖が「疲れて、苦しいので食べています」と言うと持ち主は「それでは、召しあげられるなら、もっといくらでも召しあがりたいだけ召し上がれ」と言うと、三十本ほどむしゃむしゃと折り食う。この水惣は三町ほど植えてあったが、このように食うと、持主はひどくあきれて、食う様子を見たくて、「召しあがれるものならいくらでも召し上がれ」と言うと、「ああ、ありがたい」と言って、座って折り進みながら、三町の広さに植えられた水惣をすっかり食べてしまった。持ち主の男は、「あきれた底なしの大食いの聖だわい」と思って、「しばらくお待ちください。何か食べ物を用意してあげましょう」と言って、白米一石を取り出し飯にして食わせると、「長年の間、物も食わずに疲れてしまって」と言ってみんな食って出て行った。

この男あきれたやつだと思い、この事を人に語った。これを聞いたある人が藤原師輔卿にお話し申し上げたところ、「どうしてそのようなことがあろう。合点のいかないことだな。ここへ呼んで何か食わせてみよう」とお思いになり、「仏と縁を結ぶためにお食事をさしあげてみよう」と言って、お呼びになられると、いかにも尊げな聖が歩いてくる。その尻には餓鬼・畜生・虎・狼・犬・数万の鳥獣などがそれこそ無数に続いて歩いてくるが、他の人にはまったく見えない。人々には聖一人だけに見えたが、この大臣はこのさまを見つけられて、「やはり思ったとおりだ。いかにもありがたい聖であることよ。ありがたいことだ」と感じて、白米十石を御飯にして、新しい菰の敷物の上に折敷、桶、櫃などに入れて、いくつもいくつも並べて置いて食べさせられたので、聖が後ろに続いている者どもに食わせると、集まってきて手に捧げ持ってみんな食べてしまった。聖は少しも食べず、喜んで出て行った。「さすがにただの人ではなかった。仏様などが人に身を変えてお歩きになっていたのだろう」と思った。他の人々の目には、ただ聖一人が食べているようにしか見えなかったので、とてもあきれたことに思った。

さて、聖が出て行くうちに、四条の北の小路で糞をたれた。実は聖の後に連れている者どもがたれ散らしたのだが、まるで墨のように黒い糞を隙間もないほどずっと垂れ流したので、下人たちも汚(きたな)がり、その小路を糞の小路と名付けていた。それを帝がお聞きになって、「その四条の南は何という所か」とお尋ねになったので、「綾の小路と申します」と答えると、「それでは、この小路を錦の小路と言うがよい。あまりも汚い名だ」などと仰せられたので、その後からは錦の小路と呼ぶようになったのだそうだ。

語句

■奇特-行いが感心である様子。■清徳聖-真言の行者。伝未詳。「僧」が特定の寺院に居住するのに対して、一般に「聖」は遊行するか、山中の庵などに独居、修行した。■棺-寝棺と座棺とがあったが、庶民の多くは座棺であった。■愛宕の山-京都市の北西にある山。標高九二四メートル。山頂に愛宕神社があり、古来から愛宕権現信仰と修験道の霊地として聖たちが起居し、愛宕の聖と親しまれた。■千手陀羅尼-正式には千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼という。千手観音の功徳をたたえ、それに基づく救済を祈請する呪文。■誦(じゆ)す-(経文や詩歌などを)声を出して読む。口ずさむ。唱える。

■男子となりて-男性に生まれ変ること。変成男子(へんじやうなんし)が成就したこと。『法華経』(提婆達多品)などに見える説で、女性にはその身のままでは成仏できないという宿命(梵天王・帝釈天・魔王・転輪聖王・仏にはなれないという五障)があるので、仏力によっていったん男子に生まれ変る必要があるとされた。■天-六道のうちの天上界。人間界の上部に位置する天人の世界。清浄このうえない聖域であるが、そこに生まれ変わっても、死と六道輪廻を免れることはできない。清徳聖の母親は、それを嫌い、男子となった天上界で修行を続け、仏界に往生を遂げたというのである。■焼きて-我が国における火葬の始原を、『続日本記』文武四年(700)三月十日条は、七十二歳で逝去した道昭和尚の遺言により粟原(おおばら)<奈良県桜井市>で火葬した時とするが、実際には、「大宝令」や『万葉集』(428~430)などにそれより早い時期の例が認められる。本話の頃には、土葬・風葬とともに広く行われていた。■石の卒塔婆-本来は、仮に立てられる木製の卒塔婆(墓標)に替る恒久的な正式の物をいうが、ここは貧しい聖のことゆえ、単に石を積んだだけの粗末な物か。天禄三年(972)五月に記された『慈恵大僧正御遺告』に「没後、仮の卒塔婆を立て、その下に深さ三、四尺ばかりの穴を掘り、底に骨を置き、土を満たし、四十九日以内に石の卒塔婆に立て替えよ」とある。■西の京-平安京のうち、朱雀大路を境界とする西側半分の地帯(右京)。すでに十世紀末の慶滋保胤の『池亭記』などに、湿地帯が多いために西の京が住宅地としては荒廃していたことが見えており、広い耕作地が散在していたようである。■水惣(なぎ)-水菜の一種。食用の菜で、今のミズキアオイの小さなもの。水田に植えたものはタナギと呼んだ。

■困(こう)じて-疲れていて。母の供養で飲まず食わずの聖は、空腹で疲れ果てていた。■三町-約一万坪。三万三〇〇〇平方メートルという広大さ。■物して-食べ物をととのえて。何か食べ物を作って用意して。■一石-十斗、百升。成人男子が一回に食べて満腹する量を飯二合とみても、五十人分にあたる。

■いかでかさあらん-どうしてそのようなことがあろうか。■坊城の右の大殿-坊城の右大臣、藤原師輔(もろすけ)(908~960)。摂政・関白只平の次男。九条家の祖、また藤原摂関家中興の功労者。道長の祖父にあたる。私家集『九条右丞相集』のほか、『九条年中行事』『九条殿遺誠』などの著書がある。■心得ぬことかな-合点のゆかないことだな。■結縁(けちえん)-出家者に布施をして仏縁を結び、後世の為の善根とすること。■食べ参らせてみん-食べ物をさし上げてみよう。■いみじげなる-ありがたそうな。■その尻に-その後に。■餓鬼(がき)-現世における貪欲・嫉妬などの報いで餓鬼道に落ちた者たち。腹ふくれ、喉ほそく、飲食が出来ず、常に飢餓に苦しみ続けたとされる。■畜生(ちくしやう)-現世における悪行・愚痴の報いで畜生道に落ちて牛馬などの姿となって、飲み食いしても満足を知らない者。■歩み続きて来けるを-無数に続いて歩いて来たのを。■異人(ことひと)-右大臣以外の人をさす。■おほかた-まったく。■見つけ給ひて-『大鏡』にも、師輔が百鬼夜行に出会った際、彼以外の同行者には見えず、彼が尊勝陀羅尼の呪文を唱え、その功徳によって危難を免れたという伝えが見える。■さればこそ-やった思ったとおり。呼び寄せて不思議の実体を見あらわした喜び。■いくいくと-いくつもいくつも、の意。

■四条の北なる小路-現在の錦小路。古くは、屎(くその)小路・具足(くそく)小路(捨芥抄)と呼ばれたが、天喜二年(1054)、後冷泉天皇の宣旨により錦小路と改名された(前田家本『二中暦』)。■穢土-糞(くそ)・大便。「まる」は大小便を排泄すること。「ひる」に同じ。■帝-藤原師輔の右大臣在任時の天皇ならば、村上天皇。錦小路の改称時の天皇とは別人になる。そのことは、本話がもともと別個に存在した素性の異なる話を複合して地名由来話に仕立て上げられたものであることを物語っている。■言へかし-いうがよい。

備考・補足

■六道輪廻-地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・の迷いの世界(六道)。「輪廻}は、その六道に衆生が生まれ変わり死に変り、仏の世界に往生できない状態。

■地蔵菩薩と竜樹の久住の地であり、天狗の住処とも伝えられる神秘の霊場愛宕山における清徳聖の亡母追善・転生の孝養話が、聖のとてつもない大食い話、その原因を見抜く師輔の零眼力の話しへと転化して、錦小路の地名起源話として結ばれる趣向豊かな構成である。

朗読・解説:左大臣光永