宇治拾遺物語 2-4 金峯山薄打(きんぷせんのはくうち)の事

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今は昔、七条に薄打(はくうち)あり。御嶽詣(みたけまうで)でしきり。参りて金崩(かなくづれ)を行(ゆ)きてみれば、まことの金の様(やう)にてありけり。うれしく思ひて、件(くだん)の金を取りて袖(そで)に包みて、家に帰りぬ。おろして見ければ、きらきらとしてまことの金なりければ、「不思議の事なり。この金取れば、神鳴(かみなり)、地震、雨降りなどして少しもえ取らざんなるに、これはさる事もなし。この後(のち)もこの金を取りて世の中を過ぐべし」とうれしくて、秤(はかり)にかけて見れば、十八両ぞありける。これを薄に打つに、七八千枚に打ちつ。「これをまろげてみな買はん人もがな」と思ひて、しばらく持ちたる程に、「検非違使(けびゐし)なる人の、東寺の仏造らんとて薄を多く買はんといふ」と告ぐる者ありけり。

悦(よろこ)びて懐(ふところ)に差し入れて行きぬ。「薄(はく)や召す」といひければ、「いくらばかり持ちたるぞ」と問ひければ、「七八千枚ばかり候(さぶら)ふ」といひければ、「持ちて参りたるか」といへば、「候ふ」とて、懐より紙に包みたるを取り出(いだ)したり。見れば、破(や)れず、広く、色いみじかりければ、「広げて数へん」とて見れば、小さき文字にて「金の御嶽(みたけ)、金の御嶽」とことごとく書かれたり。

心も得で、「この書きつけは何の料(れう)の書きつけぞ」と問へば、薄打、「書きつけも候はず。何の料の書きつけか候はん」といへば、「現(げん)にあり。これを見よ」とて見するに、薄打見れば、まことにあり。「あさましき事かな」と思ひて、口もえあかず。検非違使、「これはただ事にあらず。様(やう)あるべき」とて、友を呼び具(ぐ)して、金をば看督長(かどのをさ)に持たせて、薄打具して大理(だいり)のもとへ参りぬ。

件の事どもを語り奉れば、別当驚きて、「早く川原に出で行きて問へ」といはれければ、検非違使ども川原に行(ゆ)いて、よせばし掘り立てて身をはたらかさぬやうにはりつけて、七十度の勘(かう)じをへければ、背中は紅の練単衣を水に濡らして着せたるやうにみさみさとなりてあるけるを、重ねて獄に入れたりければ、わずかに十日ばかりありて死にけり。薄(はく)をば金峯山(きんぷせん)に返して、もとの所に置きけると語り伝へたり。

それよりして人怖(お)じて、いよいよ件(くだん)の金取らんと思ふ人なし。あな恐ろし。

現代語訳

今では昔の事になるが、京都の七条に箔打の職人がいた。それが御嶽詣でをした。参詣して金崩という所に立ち寄ってみると本物の金のように見えた。うれしく思い、その金を取って、袖に包み家に帰った。砕いて粉にしてみると、きらきらと輝いて本物の金だったので、「不思議なことだ。この金を取れば、雷、地震、雨降りなどがして少しも取ることが出来ないのに、今度はそんなこともない。これからもこの金を取って暮らしをたてよう」とうれしくなり、秤にかけて見ると、実に十八両あった。これを箔に打ってみると七八千枚になった。「これをまとめてみな買ってくれる人がいないかなぁ」と思い、しばらく手元に置いているうちに、「検非違使という人が、東寺の仏を造るのに必要な箔をたくさん買いたいと言っている」と教えてくれる人がいた。

喜んで、懐に入れて出かけて行って、「箔をお買い上げになりますか」と言ったら、「どれぐらい持っているか」と聞いたので、「七八千枚ほどございます」と答えると、「持って来ておるか」と言うので、「はい、ございます」と言って、職人は懐から紙に包んだ箔を取り出した。見ると、破れもなく、広く、すばらしい色の箔だったので、検非違使が「広げて数えてみよう」と言って見ると、小さな文字で「金の御嶽、金の御嶽」とすべての箔に書かれていた。

検非違使はわけがわからず、「この書付は何のための書きつけか」と問いただすと、箔打は、「書付などございません。何のために書きつけなどございましょう」と言う。検非違使が、「現にあるではないか。これを見よ」と言って、見せるので、見てみるとほんとうにある。「あきれたことだ」と口をきくこともできない。

検非違使は、「これはただ事ではない。何かわけがあるに違いない」と言って、同輩を呼び寄せて、その金を看督長(かどのをさ)に持たせ、箔打ちの職人を連れて、検非違使の長官の所へ行った。さきほどのことのあれこれを長官に申し上げると、長官は驚いて、「すぐに川原に出て行って聞け」と言われたので、検非違使たちは川原に行き、穴を掘って寄せ柱を立て、身体が動かないように貼り付け、七十回の拷問を加えた。そのせいで、背中が紅の練単衣を水に濡らして着せたように、血でびしょびしょになっていたのを、そのまま獄舎に入れたので、わずか十日ほどで死んでしまった。箔は金峰山に返して、元の所に置いたと語り伝えている。

それからは人は怖がって、ますますその場所の金を取ろうと思うものはない。ああ、恐ろしい。

語句

■七条-京都の七条通り界隈。金属関係の職人・出店が多かった。そのことについては巻二ノ五話参照。■薄打-箔(はく)作りの職人。金・銀・錫などの柔らかい金属を薄く打ち延ばす。■御嶽-「御嶽」は金峰山、奈良県吉野郡にある吉野連山の主峰(海抜八伍八メートル)。そこへ登山・参詣すること。古くからの山岳信仰で、山上には金峰山寺と金峰神社があり、後者には金鉱の守護神である金山彦命(かなやまひこのみこと)・姫命を祭る。■金崩(かなくずれ)-金峰山中の場所の名。山崩れの後に金が露出している所。■おろして-鉱石を砕き、粉末にし成分を検査し、鑑定してみたこと。粉にすりおこして。■世の中を過ぐべし-暮らしをたてよう。■十八両-「両」は「斤」の下位の量目で、一斤の十六分の一、約四~五匁(もんめ)に当たる。ここは、その十八倍。一両五匁として計算すれば、約三三七・五グラムに相当する。■まろげて-まるごと一括して。ひとまとめにして。あまり公然とは売買できい性質の品であったので、箔打ちは一人か二人の数少ない相手との取引を望んだ。■人もがな-人がいればよい。■検非違使-弘仁年間(810~824)の初期に、洛中の警護・治安維持のために設けられた令外(りやうげ)の官。「延喜式」などを経て完成した制度上での職員構成は、別当(長官)・佐(次官)・大小尉(三等官)・大小志(四等官)・府生・看督長・案主・放免というもの。ここは、資力があって信心深い佐・尉・志の中の誰かという事になろう。■東寺-金光明四天王教王護国寺。京都市南区九条町にある古義真言宗の寺院。弘仁十四年(823)以来、空海の管轄下に入り、真言密教の道場として威勢があった。密教寺院にふさわしい代表的な仏像としては、大日如来・五岱明王像などがあるが、ここはそれらのうちの小型のものを指すか。

■箔や召す-箔をお買い上げになりますか。■候ふ-ございます。■いみじかりければ-優れていたので。■心も得で-わけもわからず。■何の料の-何の為の。■候はん-ございましょうか。■あさましきことかな-あきれたことだなと。■口もえあかず-口をきくことすらできない。

■やうあるべし-わけがあるに違いない。■友を呼び具して-同輩を呼び寄せて。■大理-検非違使の別当の唐名。左右の衛門府に置かれていた検非違使を統括するため、承和元年(834)に新設された官位。中納言または参議で、左右衛門督(ごくまれに左右兵衛督)を兼任している者が任ぜられた。■件のことども-さきほどのことのあれこれを。■語り奉れば-申し上げると。■看督長(かどのをさ)-検非違使庁の下役で、主に獄舎の守衛・犯人捕縛にあたった。赤狩衣に布袴で、白杖を携えた。■川原-鴨川の川原。平安時代末期から、主に見せしめのための拷問・処刑場として用いられていた。■よせばし-寄せ柱。土を深く掘って立てるしっかりした柱で、元来は馬などをつなぎとめるためのもの。■はたらかさぬやうに-動かないように。■勘じ(かうじ)-「勘事」で、ここは拷問。長さ三尺五寸(約一メートル)、太さ直径三~四分(約九~十ミリメートル)の竹の杖で、背中と臀部を打つ。■勘じをへければ-拷問を加えたので。■みさみさ-びしょびしょ。

朗読・解説:左大臣光永

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