宇治拾遺物語 2-5 用経(もちつね)、荒巻(あらまき)の事

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今は昔、左京の大夫(かみ)なりける古上達部(ふるかんだちめ)ありけり。年老いていみじう古めかしかりけり。下(しも)わたりなる家に歩(あり)きもせで籠(こも)りゐたりけり。その司(つかさ)の属(さくわん)にて、紀用経(きのもちつね)といふ者ありけり。長岡になん住みける。司(つかさ)の属(さくわん)なれば、この大夫のもとにも来てなんをとづりける。

この用経、大殿に参りての贄殿(にへどの)にゐたる程に、淡路守頼親(あはぢのかみよりちか)が鯛(たひ)の荒巻(あらまき)を多く奉りたりけるを、贄殿に持て参りたり。贄殿の預義澄(あづかりよしづみ)に二巻(ふたまき)用経乞(こ)ひ取りて、間木(まぎ)にささげて置くとて、義澄にいふやう、「これ、人して取りに奉らん折に、おこせ給へ」と言ひ置く。心の中に思ひけるやう、「これ我が司(つかさ)の大夫(かみ)に奉りて、をとづり奉らん」と思ひて、これを間木にささげて、左京の大夫(かみ)のもとに行きて見れば、かんの君、出居(いでゐ)に客人(まらうど)二三人ばかり来て、あるじせんとて地火炉(ちくわろ)に火おこしなどして、我がもとにて物食はんとするに、はかばかしき魚もなし。鯉(こひ)、鳥などようありげなり。

それに用経が申すやう、「用経がもとにこそ、津国(つのくに)なる下人の、鯉の荒巻三つ持(も)てまうで来たりつるを、一巻食(ひとまきた)べ試み侍りつるが、えもいはずめでたく侍(さぶら)ひつれば、今二巻はけがさで置きて候ふ。急ぎてまうでつるに、下人の候はで持(も)て参り候はざりつるなり。只今取りに遣はさんはいかに」と、声高く、したり顔に袖(そで)をつくろひて、口脇(くちわき)かいのごひなどして、はやかり覗(のぞ)きて申せば、大夫(かみ)、「さるべき物のなきに、いとよき事かな。とく取りにやれ」とのたまふ。客人(まらうど)どもも、「食ふべき物の候はざめるに、九月ばかりの比(ころ)なれば、この比(ごろ)鳥の味はいとわろし。鯉(こひ)はまだ出で来ず、よき鯛(たひ)は奇異(きい)の物なり」など言ひ合へり。

用経(もちつね)、馬控(ひか)へたる童(わらは)を呼び取りて、「馬をば御門の脇(わき)につなぎて只今走り、大殿に贄殿(にへどの)の預(あづかり)の主に、『その置きつる荒巻(あらまき)只今起こせ給へ』とささめきて時かはさず持(も)て来(こ)。外(ほか)に寄(よ)るな。とく走れ」とてやりつ。さて、「まな板洗ひて持(も)て参れ」と、声高くいひて、やがて、「用経、今日(けふ)の包丁(はうちやう)は仕(つかへ)らん」といひて、真魚箸削(まなばしけづ)り、鞘(さや)なる刀抜いて設(まう)けつつ、「あな久し、いづら、来(き)ぬや」など心もとながりゐたり。「遅し遅し」と言ひゐたる程に、やりつる童、木の枝に荒巻二つ結(ゆ)ひつけて持(も)て来たり。「いとかしこく、あはれ、飛ぶがごと走りてまうで来たる童かな」とほめて、取りてまない板の上にうち置きて、ことごとしく大鯉作らんやうに左右の袖(そで)つくろひ、くくりひき結(ゆ)ひ、片膝(かたひざ)立て、今片膝伏せて、いみじくつきづきしくゐなして、荒巻の縄を押し切りて、刀して藁(わら)を押し開くに、ほろほろと物どもこぼれて落つるものは、平足駄(ひらあしだ)、古尻切(ふるしきれ)、古草鞋(ふるわらうず)、古沓(ふるぐつ)、かやうの物の限りあるに、用経あきれて、刀も真魚箸もうち捨てて、沓(くつ)もはきあへず逃げて往(い)ぬ。

左京の大夫(かみ)も客人(まらうど)もあきれて、目も口もあきてゐたり。前なる侍どももあさましくて、目を見かはしてゐなみゐたる顔ども、いとあやしげなり。物食ひ、酒飲みつる遊びも、みなすさまじくなりて、一人(ひとり)立ち、二人(ふたり)立ち、みな立ちて往ぬ。左京の大夫(かみ)の曰(いは)く、「このをのこをば、かくえもいはぬ痴者狂(しれものぐる)ひとは知りたりつれども、司(つかさ)の大夫(かみ)とて来睦(きむつ)びつれば、よしとは思はねど、追ふべき事もあらねば、さと見てあるに、かかるわざをして謀(はか)らんをばいかがすべき。物悪(あ)しき人ははかなき事につけてもかかるなり。いかに世の人聞き伝へて、世の笑ひぐさにせんずらん」と、空を仰ぎて嘆(なげ)き給ふ事限りなし。

用経は馬に乗りて馳(は)せ散(ちら)して殿に参りて、贄殿(にへどの)の預義澄(あづかりよしずみ)にあひて、「この荒巻をば惜(を)しと思(おぼ)さば、おいらかに取り給ひてはあらで、かかる事し出で給へる」と、泣きぬばかりに恨みののしる事限りなし。義澄が曰(いは)く、「こはいかにのたまふことぞ。荒巻(あらまき)は奉りて後、あからさまに宿にまかりつとて、おのがをのこにいふやう、『左京の大夫(かみ)の主(ぬし)のもとから荒巻取りにおこせたらば、取りてそれに取らせよ』と言ひ置きてまかでて、只今帰り参りて見るに、荒巻なければ、『いづち往(い)ぬるぞ』と問ふに、『しかじかの御使ひありつれば、のたまはせつるやうに取りて奉りつる』といひつれば、『さにこそはあなれ』と聞きてなん侍る。事のやうを知らず」と言へば、「さらば、かひなくとも、言ひ預(あづ)けつらん主(ぬし)を呼びて問ひ給へ」といへば、男を呼びて問はんとするに、出でて往にけり。膳部(かしはで)なる男がいふやう、「おのれが部屋に入(い)りゐて聞きつれば、この若主(わかぬし)たちの、『間木(まぎ)に捧げられたる荒巻こそあれ。こは誰(た)が置きたるぞ。何(なん)の料(れう)ぞ』問ひつれば、誰にかありつらん、『左京の属(さくわん)の主(ぬし)のなり』といひつれば、『さては事にもあらず。すべきやうあり』とて取りおろして、鯛をばみな切り参りて、かはりに古尻切(ふるしきれ)、平足駄(ひらあしだ)などをこそ入れて間木に置かると聞き侍りつれ」と語れば、用経(もちつね)聞きて、叱りののしる事限りなし。この声を聞きて、人々、「いとほし」とはいはで、笑いののしる。用経しわびて、かく笑ひののしられけん程は歩(あり)かじと思ひて、長岡の家に籠(こも)りゐたり。その後、左京の大夫(かみ)の家にもえ行(い)かずなりにけるとかや。

現代語訳

今では昔の事になるが、左京職の長官を務める古くからの貴族の家柄の出で、うだつの上がらない人物がいた。年をとってかなり老け込んでいた。下京にある家に出歩く事もせず籠っていた。その役所の四等官で、紀用経(きのもちつね)という者がいた。長岡に住んでいた。役所の下役なので、この長官のところに来ては何かとご機嫌を伺っていた。

この用経、宇治殿に行って贄殿にいた時に、淡路守頼親が鯛の荒巻をたくさん献上したのを贄殿に持ってきた。用経は贄殿の責任者である義澄に頼み込んで二巻をもらい受け、上長押の上の棚に乗せて置くのだということで、義澄に言うには、「これを、使いのものを寄越したときに渡してください」と言って置いた。心の中で、「これを我が役所の長官にさしあげて、ご機嫌を伺おう」と思いながらこれを、棚に乗せ置いてから、左京の長官の所に行って見ると、長官は、応接間に二三人来ている客人のもてなしをしようと囲炉裏に火をおこしなどして、自分の家で何か食事をしようとしていたが、これという肴も無く、鯉や鳥などいかにもほしそうな様子であった。

そこで用経が言うには、「私のところに、津国の下人が鯛の荒巻を三つ持ってまいりましたので、一巻食べて味見をしてみましたが、いいようもなくおいしゅうございましたので、別の二巻は手をつけず置いてあります。急いでやってまいりましたので、下人はおりませず、持参いたしませんでした。ただ今取りに遣らせようと思いますがいかがでしょう」と、大声で、得意顔に袖を調え、口元をかき拭いなどして、伸び上がって覗きながら言うと、長官は、「適当な食べ物がないので、とてもありがたいことだ。早く取りにやれ」とおっしゃる。客人たちも「おもわしい食いものがないのだが、九月ごろのこの季節では鳥の味もまことによくない。鯉はまだ出始めていない。うまい鯛とは、珍しく、願ってもない」などと言い合った。

用経は、馬の轡(くつわ)を持って控えている童を呼び寄せ、「馬を御門の脇につないで、今すぐ走って、宇治殿に行き、贄殿の管理人に、『そこに置いてある荒巻をすぐ渡してください』と囁いて、急いで持って来い。寄道はするなよ。早く行ってこい」と言って、取りにやった。それから、「まな板を洗ってまいれ」と声高に命じて、すぐに、「用経、今日の料理人をあい務めましょう」と言って、真魚箸を削り、鞘に入った包丁を抜いて調理の準備しながら、「ああ、時間のかかることよ。どこまで行ったのか。まだ帰って来ぬか」などと待ちどうしがっていた。「遅い遅い」と言っているうちに、使いに遣った童が、木の枝に荒巻二つを結び付けて持って来た。「偉い、偉い。ほんとうに、飛ぶように走って帰って来たなあ」と褒め、荒巻を受け取ってまな板の上に置き、大げさに大鯉を調理するように、左右の袖を取り繕い、括りのひもを引き締め、片膝を立て、もう一方は伏せて、いかにも大鯉の料理に似合はしげな格好をして、荒巻の縄を押し切り、包丁で藁を押し開いてみると、ばらばらと何かがいろいろこぼれ落ちた。それは歯の低い下駄、穿き古した尻切れ草履、古草鞋、古沓といった物ばかりであった。用経は仰天し、包丁も真魚箸も打ち捨て、沓を履く間もなくあわてて退散した。

長官も客人もあきれて、目も口も開けたままぽかんとしていた。前に居並んでいる侍たちも、目を見かわし、並んだ顔も、何とも不可思議な表情をしていた。物を食い、酒を飲んで遊んでいた者も、すっかり興ざめして、一人立ち、二人立ち、みな立って出て行った。長官が言うには、「この男を、こんなどうしようもない馬鹿者とは知っていたが、自分を役所の長官として、慕って来ていたので、いい気はしなかったが、強いて追い払うほどのこともないので、黙ってそのままにしていたが、このような馬鹿なことをしでかして騙そうとしたのをどうしてくれようか。自分のように運の悪い者は、ささいなことで、こんなひどい目に遭うのだ。世間の人はこの事をどんなふうに聞き伝えて、笑い種にすることであろうか」と、空を見上げていつまでも嘆かれた。

用経は、馬をむちゃくちゃに走らせ、宇土殿に行き、贄殿の管理人義澄に会った。「この荒巻を惜しいと思うなら、穏やかなやり方で取り返されたらよいものを、こんなひどい事をされるとは」と、いつまでも泣きそうなほど恨み騒ぎ立てた。義澄が言う、「これはなんということをおっしゃるのか。荒巻をそなたに差し上げてから、ちょっと宿に下がろうと思い、自分の下男に、『長官の所から荒巻を取り来たら、下して、渡しなさい』と言い置いて退出したが、今、帰って見ると、荒巻が無くなっているので、「どこに持って行ったのか」と問うと、『これこれのお使いが来たので、下して差し上げました』と言うので、『そうであろう』と聞いたところです。それ以外に事情を知りません」と言うと、「それでは、無駄かもしれぬが言い置いた相手の侍を呼んで問うてください」と言うので、男を呼んで問いただそうとしたが、あいにくと外出していて不在だった。居合わせた食膳を扱う男が言うには、「自分の部屋に居て聞いていると、この屋敷の若侍たちが、『棚に乗っている荒巻があるぞ。これは誰が置いたのか。何のためか』と尋ねると、誰かが、『左京職の属(さかん)の君のだ』と言ったので、『それならかまうことはない。おもしろいことがある』と言って、荒巻を棚から取り、下して、鯛をみんな切って食べ、代わりに古草履や平下駄などを入れて、棚の上に上げておこうという話でした」と語ると、用経はそれを聞くや、きりもなく大声をあげて怒り狂った。 この声を聞いて人々は「気の毒に」とは言わずに、大声をあげて笑い合った。 用経は途方に暮れて、このように笑い騒がれている間は外を出歩くのは止めようと思い、長岡の家に籠っていた。その後、左京職の長官の家にも行けなくなってしまったということである。                    

語句

■左京の大夫(かみ)-左京職の長官。左京職は、平安京の朱雀大路より東の地域の戸籍・租税・道路・民事訴訟などをつかさどる役所。大夫はそこの長官で五位の官位を与えられている者。■古上達部(ふるかんだちめ)-古くからの貴族の家柄の出で、うだつの上がらない人物。■いみじう古めかしかりけり-たいそう老けていた。■下わたり-下京あたりで、内裏から南の方をさす。■歩(あり)きもせで-出歩きもしないで。■司(つかさ)-役所。■司の属(さくわん)-左京職の四等官で、大小があり、大属は八位上、少属は八位下。■紀用経(きのもちつね)-伝未詳。『今昔』は紀茂経。■長岡-京都府長岡京市。平安京の前に一時「都」の置かれた地で、平安京の西南の郊外にあたる。■をとづり-『今昔』は「ヲコツリ」とすれば、おもねっていた。媚(こ)びへつらうこと、ご機嫌伺いをすること、の意。

■大殿(おおとの)-宮殿の敬称。(寝殿造りの)正殿。『今昔』によれば宇治殿。とすれば、藤原頼通の本宅であった高揚院を指すか。(第九話参照)■贄殿(にへどの)-頼通の邸宅内に設けられた献上された魚鳥などの食料や調理に必要な薪炭・油・酢・酒、あるいは漬物などをも貯蔵しておく所。■淡路守頼親-源頼親。多田満仲の次男。大和源氏の祖。藤原道長や頼通の推挙を受け、信濃・周防など数か国の国司を歴任、中でも大和守には三度就任して、勢力を培った。■荒巻(あらまき)-頼親は摂津国にも居宅を多く持っていた。淡路島周辺や瀬戸内には鯛の漁場が多い。荒巻は藁(わら)や葦(あし)・細竹などでとれたての魚を粗く巻き込んだもの。■奉りたりけるを-献上したのを。■預義澄(あづかりよしづみ)-伝未詳。底本は「よしずみ」とする。『今昔』の表記に従う。「預」はそこの管理人。■乞ひ取りて-もらい受けて。■間木(まぎ)-上長押(うわなげし)の上に架けられた棚。■ささげて置くとて-乗せて置くというので。■これ、人にして取りに奉らんをりに-これを誰かに取りにうかがわせる折に。■おこせ給へ-渡してください。■司-左京、の意。■奉りて-さし上げて。■をとづり奉らんと-ご機嫌を伺おうと。■ささげて-のせて。■かんの君-「かみの君」すなわち「大夫の君」で、左京の大夫のこと。■出居(いでゐ)-寝殿造りの母屋の南側にある廂(しやう)の間に設けられた応接用の場所。■あるじせんとて-もてなそうとして。■我がもとにて-自分の家で。■はかばかしき-これというような。■ようありげなり-いかにもほしそうな様子であった。

■それに-そこで。■津の国-摂津の国。大阪府及び兵庫県の一部。■まうで来たりつるを-まいりましたが。■食べ試み侍りつるが-食べて味をみましたが。■えもいはずめでたく候ひつれば-いいようもなくおいしゅうございましたので。■けがさで-手をつけないで。■まうでつるに-参ったので。■持て参り候はざりつるなり-持って参りませんでした。■取りに遣わさんはいかに-取りにやろうと思いますがいかがでしょうか。■したり顔に-得意顔に。■口わきかひのごひなどして-口元をかきぬぐいなどして。■はやかり-伸び上がって。■さるべき物-客人のもてなしに出してなお恥ずかしくないような魚鳥のたぐい。適当な食べ物。■とく-早く。■候はざめるに-ござらぬようだが。■鳥の味はひ-雉(きじ)などの野鳥の味わい。一般に野鳥のまずいのは夏、脂がのっておいしくなるのは真冬とされる。■まだ出で来ず-まだ出始めていない。「寒鮒(かんぶな)」といわれるくらいで、鯉なども美味な時期は冬とされている。■よき鯛は奇異の物なり-うまい鯛とは、珍しく、願ってもない。先の「試食してみたところ、えも言わず美味でございました」という用経の言葉を受ける。

■馬控へたる童-馬の口を取っている童。■呼び取りて-呼び寄せて。■おこせ給へ-渡してください。■ささめきて-ささやいて。■時かはさず-時を移さず。■やりつ-使いにやった。■さて-そこで。■まな板-「真魚板」で、魚の料理に使う板。■やがて-すぐに。■包丁-包丁を使う役。調理人。「包丁」は、『壮子』養生主篇に「包丁、文恵君ノ為ニ牛ヲ解ク」とあるように、元来は名料理人の固有名詞。転じて、料理、料理用の刀、その刀の扱い振り、の意となった。■仕(つかへ)らん-あい勤めましょう。■真魚箸(まなばし)-魚の調理に用いる長い木の箸。調理の度に新しく削る慣わしであった。■鞘(さや)なる刀-鞘に納まっている包丁。■設(まう)けつつ-用意しながら。■いづら-どこまで行ったか。■来ぬや-帰って来たか。■心もとながりゐたり-待ち遠しがっていた。■やりつる-使いにやった。■結ひつけて-結びつけて。■いとかしこく-ほんとうによくも。■あはれ-まあ。■まうで来たる-行って来た。■ことごとしく-仰々しく。■作らんように-料理するように。■くくりひき結ひ-括りひもをひきしめ。■いみじくつきづきしくゐなして-いかにも調理人らしい振舞で構えて。■ふつふつと-ぷつりぷつりと。■刀して-包丁で。■ほろほろと-ばらばらと。■平足駄(ひらあしだ)-高足駄に対して普通の下駄。ここは歯のすり減って低いもの。■古尻切(ふるしりきれ)-穿き古した尻切れ草履。爪先から緒のついている足の前半部分までが幅広く、かかとの方は極端に狭く作られてあるもの。■古草鞋(ふるわらうず)-履き古されたわらじ。「わらうづ」は「わらぐつ」の音便。■かやうの物の限りあるに-このような物ばかりあるので。■はきあへず-履く間もなく。

■あさましくて-あまりの意外さに。■ゐなみたる-い並んでいる。■いとあやしげなり-何とも珍妙なものであった。■みなすさまじくなりて-すっかり興ざめて。■えもいはぬ-どうしようもない。■痴れ者狂ひ-おっちょこちょいのばか者。■司の大夫とて-自分を役所の長官として。■来睦つれば-慕って来ていたので。■追ふべきこともあらねば-追い帰すほどのこともないので。■さと見てあるに-黙ってそのままにしていたが■謀らんをば-だますとは。■物悪しき人-運の悪い、ついていない者。■はかなきこと-ちょっとしたこと。■かかるなり-このような目にあうのだ。■すらん-しようとすることか。■馳せ散らして-むちゃくちゃに走らせて。■殿-宇治殿。■おいらかに-もっと穏便なやり方で。■取り給ひてはあらで-お取りになればよいのにそうではなくて。■し出で給へる-おしでかしになるとは。■泣かぬばかりに-泣きそうなほどに。■恨みののしる-恨み騒ぐ。■こは、いかにのたまふことぞ-これは、何とおっしゃることか。■奉りて後-さし上げて後に。■あからさまに宿にまかりつとて-ちょっと宿に下がろうとして。■おのがをのこに-自分の下男に。■左京の大夫の主から云々-用経が義澄に荒巻を預ける時には、それを左京の大夫に奉ろうと「心の中に」思ったのであって、義澄はそれを知るはずもなく、「左京の大夫の主のもとから・・・」と言い置くこともない。ここは『今昔』のように「左京の属主」とあるべきところ。■おこせたらば-使いをよこしたならば。■まかでて-退出して。■さにこそはあなれ-そうであったのだ■聞きてなん侍る-聞いております。■事のやうを知らず-そのほかの事情を知らず。■さらばかひなくとも-それならば、もはや取り返しのつかないことではあるが、の意。■言ひ預けつらん主-あなたが指示を与えて荒巻を預け置いたというその当事者。■出でて往にけり-折しも外出していて不在という事であった。ちょうどその時に出て行ったというのではない。■膳部-食膳の事に携わる男。この男は調理場にいたはずで、その隣の食料貯蔵室(贄殿)での話し声は手に取るように聞こえたもの。■若主-若い侍。■ささげられたる-のせられている。■何の料ぞ-何の為か。■誰にかありつらん-誰にであったか。■さては事にもあらず-それでは、どうということもない。■すべきやうあり-おもしろいことがある。■切り参りて-切って食べて。■いとほし-気の毒に。■ののしる-騒ぐ。■しわびて-途方に暮れて。■笑ひののしられんほどは-笑い騒がれている間は。■歩(あり)かじと-外へ出歩くまいと。

朗読・解説:左大臣光永

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