宇治拾遺物語 2-6 厚行(あつゆき)、死人を家より出(いだ)す事

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昔、右近将監下野(うこんのしやうげんしもつけの)厚行といふ者ありけり。競馬(けいば)によく乗りけり。帝王(みかど)より始め奉りて、おぼえ殊(こと)にすぐれたりけり。朱雀院(すざくゐん)御時より村上帝(むらかみみかど)の御時などは、盛りにいみじき舎人(とねり)にて、人も許し思ひけり。年高くなりて西京(にしきやう)に住みけり。

隣なりける人にはかに死にけるに、この厚行、弔(とぶら)ひに行きて、その子にあひて、別れの間(あひだ)の事ども弔ひけるに、「この死にたる親を出(いだ)さんに、門(かど)悪(あ)しき方(かた)に向へり。さればとて、さてあるべきにあらず。門よりこそ出(いだ)すべき事にあれ」といふを聞きて、厚行がいふやう、「悪(あ)しき方(かた)より出(いだ)さん事、殊に然(しか)るべからず。かつはあまたの御子たちのため、殊に忌まはしかるべし。厚行が隔ての垣を破りて、それより出(いだ)し奉らん。かつは生き給ひたりし時、事にふれて情(なさけ)のみありし人なり。かかる折だにもその恩を報じ申さずば、何(なに)をもてか報い申さん」といへば、子どものいふやう、「無為(ぶゐ)なる人の家より出(いだ)さん事あるべきにあらず、忌(いみ)の方(かた)なりとも我が門よりこそ出(いだ)さめ」といへども、「僻事(ひがごと)なし給ひそ。ただ厚行が門より出(いだ)し奉らん」といひて帰りぬ。

吾が子どもにいふやう、「隣の主(ぬし)の死にたるいとほしければ、弔(とぶら)ひに行きたりつるに、あの子どものいふやう、『忌の方(かた)なれども門は一つなれば、これよりこそ出(いだ)さめ』といひつれば、いとほしく思いて、『中の垣を破りて、我が門(かど)より出(いだ)し給へ』といひつる」といふに、妻子(めこ)ども聞きて、「不思議の事し給ふ親かな。いみじき穀断(こくだち)の聖(ひじり)なりとも、かかる事する人やはあるべき。身思はぬといひながら、我が門より隣の死人出す人やある。返す返すもあるまじき事なり」とみな言ひ合へり。厚行、「僻事(ひがごと)な言ひ合ひそ。ただ厚行がせんやうに任せてみ給へ。物忌(ものいみ)し、くすしく忌むやつは、命も短く、はかばかしき事なし。ただ物忌まぬは命も長く、子孫も栄ゆ。いたく物忌み、くすしきは人といはず。恩を思ひ知り、身を忘るるをこそは人とはいへ。天道もこれをぞ恵み給ふらん。よしなき事なわびそ」とて、下人ども呼びて中の檜垣(ひがき)をただこぼちにこぼちて、それよりぞ出させける。

さてその事世に聞えて、殿ばらもあさみほめ給ひけり。さてその後(のち)、九十ばかりまで保ちてぞ死にける。それが子どもにいたるまで、みな命長くて、下野(しもつけ)氏の子孫は舎人(とねり)の中にもおほくあるとぞ。

現代語訳

昔、右近の将監で下野厚行という者がいた。競馬によく出場する巧者であった。天皇を始め、上司の方々の信認が特に厚かった。朱雀天皇から村上天皇にかけての治世には年盛りのすぐれた舎人として世人も認めていた。年老いてからは西京に住んでいた。

隣の家の人が急に亡くなったので、この厚行は弔問に行き、故人の子供に会い亡くなられた様子を尋ねたりして悔みを言ったが、「この死んだ親を送り出すのに、門が鬼門の方角になっています。かといっていつまでもこのままにしておくわけにもいかず、やはり門から送り出さねばなりません」と言うのを聞いて、厚行が言うには、「悪い方角から棺を出すというのは、まったくとんでもない。そのうえ、亡くなった隣家の人の遺児である、大勢のあなた方にとっては、いかにも忌まわしいことです。私の家との境の垣根を破ってそこからお出しましょう。それに ご存命中は何かにつけてお心にかけてくださった方です。せめてこういう時ぐらいだけでも、ご恩に報いなければお報いのいたしようがありません」と言う。すると故人の子どもが、「何事もない人の家から棺を出すのはあってなならない事です。鬼門の方角といえども自分の家の門から出すつもりです」と言うのだが、厚行は、「誤った事をしてはなりません。どうでも私の家の門からお出しいたそう」と言って自分の家に帰った。

さて、厚行が自分の子供に言うには、「隣の御主人が亡くなったことを残念に思ったので、弔問に行ったのだが、隣の家の子どもが言うには、『方角は悪いが、門は一つなので、ここから出すつもりです』と言うので、残念に思い、『境の垣根を破って、私の家の門から出棺しなさい』と言って来たのだ。それを聞いて、厚行の妻子たちは、「おかしなことをなさる親父かな。どんなに立派な断食をしている聖といえども、そんなことをする人はいないでしょう。自分の事はかえりみないとはいっても、自分の家の門から隣の死人を出す人があろうか。まったくもってとんでもないことです」と皆で口を揃えて言い合った。厚行は、「道理に合わない事を言うな。ただ、わしがするように任せてごらん。物を忌み、なんだかんだと気に病むやつは命も短く、たいしてよいこともない。まったく物を忌まない人は命も長く、子孫も栄えるものだ。ひどく物事を忌み、気に病む者はまともな人間ではない。恩を思い知り、自分の事をかえりみないで他人に尽くしてこそ人間というのだ。天の神もこういう人に恵みをかけられる。よくないことをしてはならぬ」と言って、下人どもを呼び、中の桧垣を壊しつくして、そこから死人を運び出させた。

さて、その事が世間に知れ渡り、上司の人々もあきれながらもお褒めになった。その後、厚行は九十近くまで生きながらえて、死んだが、厚行の子供にいたるまで、みな長生きで、下野氏の子孫は舎人の中にも大勢いるということだ。

語句

■右近将監-右近衛府の三等官。近衛府の官人は、天皇・皇族に近侍し、随身として行幸・行啓に供奏した。■下野厚行-底本は「原行」、他の多くの諸本は「厚行」。『下毛野氏系図』によれば「敦行」』。以下に見えるように、朱雀~村上天皇時代(930~967)には、近衛の舎人として盛名を馳せた。生没年は未詳。■競馬-くらべうま。上賀茂神社や宮中の武徳殿での競馬をはじめ、右近の馬場、仁和寺境内の馬場などで競馬は盛んに行われ、近衛府の官人の出番も多かった。『古今著聞集』十「馬芸」に詳しい。■おぼへことにすぐれたりけり-評判が特に良かった。■朱雀天皇-在位は延長八年(930)~天慶九年(946)。■村上天皇-在位は、天慶九年(946)~康保四年(967)。■さかりにいみじき-勢い盛んですばらしい。■舎人(とねり)-天皇や皇族に仕えて、雑役に従う者。ここでは近衛府の舎人であって、近衛府の将監(しやうげん)・将曹(しやうそう)・府生(ふしやう)・番長(ばんちょう)などを指す。おもに下級の有位者の子弟が、これに任ぜられた。■許し思ひけり-認めていた。■年高くなりて-年をとってから。■西京-朱雀大路より西側の一帯。

■とぶらひに行きて-くやみに行って。■別れの間のことどもをとぶらひけるに-死去の時のことなどについてくやみを言ったが。■出ださんに-送り出すのに。■門悪しき方に-その門の方角が陰陽道でいう鬼門・裏鬼門(北東・北西)などにあたり、出棺に不都合なこと。■そればとて-そうかといって。■さてあるべきにあらず-そのままでいるわけにいかない。■出すべきことにてあれ-送り出さねばならないことだ。■ことにしかるべからず-まことに良くない事です。■かつは-その上に。■あまたの御子たちのため-亡くなった隣家の人の遺児である、大勢のあなた方にとっては。■ことにいまはしかるべし-まことに不吉なことでしょう。■隔ての垣を破りて-出棺に問題のない方角にある我が家との間の垣根を壊して。■お出し奉らん-お出し申し上げましょう。■事にふれて-何かにつけて。■情のみありし人なり-隣家の主人の正直な人柄への好感と、厚行に対する生前の温情が強調される。■何をもてか報ひ申さん-どんな事によってご恩に御報いできようか。今この時に、お報いする以外にない、ということ。■無為なる人の家-何事もない人の家、すなはち死者の出たわけでもないあなたの家から死人の棺を出すのはよくありません。隣家の遺族は遠慮した。■忌むの方-忌むべき方角。凶の方角。■わが門よりこそださめ-私の家の門から何としても出そう。■僻事なし給ひそ-誤った事をなさるな。

■いとほしければ-気の毒なので。■これよりこそ出さめ-ここから出そう。■中の垣-境の垣根。「中の垣」は前出の「隔ての垣」に同じ。■出し給へ-お出しなさい。■不思議のことし給ふ親かな-思いもよらないことをなさる親だよ。■いみじき穀断ちの聖なりとも-たとい五穀を断って修行している高徳の聖のような人であっても。全く世間の決まりやしきたりにとらわれずに暮らしている世捨て人であろうとも、ということ。■人やはあるべき-人があろうか。■人やある-人があるか。■身思はぬといひながら-いくら自分のことを考えないとは言っても。■くすしく忌むやつは-、かたくなに物事を忌みさけるもの者は。■はかばかしきことなし-たいしたことはない。■ただ-ひとえに。■いたく-ひどく。■くすしきは-かたくななのは。■人といはず-人間とはいえないで。■身を忘るるをこそ-自身のことを忘れる者こそ。■人とはいへ-人間といえるのだ。■せんやうに-するように。■天道(てんたう)-天地を支配、つかさどる天の神。■これをぞ恵み給ふらん-このような人に情けをかけて下さるだろう。■よしなき事なわびそ-取るに足らない小さなことを大げさに思い煩うな、の意。■檜垣(ひがき)-檜(ひのき)の薄板を斜めに編んでこしらえた垣根。■ただこぼちにこぼちて-どんどんこわしていって。■それよりぞ出させける-そこから死人を出させた。

■世に聞えて-世間に知られて。■殿ばら-近衛府の三等官の厚行の上司などの人々。■殿ばらも-上司の方々も。■あさみほめ給ひけり-あきれながらもお褒めになった。■保ちてぞ-生きながらえて。■それが子ども-その人の子ども。■おほくあるとぞ-大勢いるということだ。

朗読・解説:左大臣光永

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