宇治拾遺物語 2-7 鼻長(はなながき僧の事)

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原文

昔、池の尾に善珍内供(ぜんちんないぐ)といふ僧住みける。真言などよく習ひて年久しく行(おこな)ひて貴(たふと)かりければ、世の人々さまざまの祈りをせさせければ、身の徳ゆたかにて、堂も僧房も少しも荒れたる所なし。仏供(ぶつぐ)、御灯(みとう)なども絶えず、折節(をりふし)の僧膳(そうぜん)、寺の講演しげく行はせければ、寺中の僧房に隙(ひま)なく僧も住み賑(にぎは)ひけり。湯屋(ゆや)には湯沸(わ)かさぬ日なく、浴(あ)みののしりけり。またそのあたりには小家(こいへ)なども多く出(い)で来(き)て、里も賑ひけり。

さて、この内供(ないぐ)は鼻長かりけり。五六寸ばかりなりければ、頤(おとがひ)より下(さが)りてぞ見えける。色は赤紫にて、大柑子(おほかうじ)の膚(はだ)のやうに粒(つぶ)立ちてふくれたり。痒(かゆ)がる事限りなし。提(ひさげ)に湯をかへらかして、折敷(をしき)を鼻さし入るばかりゑり通して、火の炎の顔に当らぬやうにして、その折敷の穴より鼻をさし出でて、提の湯にさし入れて、よくよくゆでて引き上げたれば、色は濃き紫色なり。

それを側(そば)ざまに臥(ふ)せて、下に物をあてて人に踏ますれば、粒立ちたる孔(あな)ごとに煙のやうなる物出づ。それをいたく踏めば、白き虫の孔(あな)ごとにさし出るを、毛抜きにて抜けば、四分ばかりなる白き虫を孔ごとに取り出だす。その跡は孔だにあきて見ゆ。それをまた同じ湯に入れて、さらめかし沸かすに、ゆづれば鼻小さくしぼみあがりて、ただの人の鼻のやうになりぬ。また二三日になれば、先のごとくに大きになりぬ。

かくのごとくしつつ、脹(は)れたる日数は多くありければ、物食ひける時は、弟子の法師に、平なる板の一尺ばかりなるが、広さ一寸ばかりなるを鼻の下にさし入れて、向ひゐて上ざまへ持(も)て上げさせて、物食ひ果つるまではありけり。異人(ことひと)して持て上げさする折は、あらく持て上げければ、腹を立てて物も食はず。さればこの法師一人(ひとり)を定めて、物食ふ度(たび)ごとに持て上げさす。

それに心地悪しくてこの法師出でざりける折りに、朝粥(あさがゆ)食はんとするに、鼻を持て上ぐる人なかりければ、「いかんせん」などいふ程に、使ひける童(わらは)の、「吾(われ)はよく持て上げ参らせてん。さらにその御坊にはよも劣らじ」といふを、弟子の法師聞きて、「この童のかくは申す」といへば、中大童子(ちゆうだいどうじ)にてみめもきたなげなくありければ、うへに召し上げてありけるに、この童(わらは)鼻持て上げの木を取りて、うるはしく向ひゐて、よき程に高からず低(ひき)からずもたげて、粥(かゆ)をすすらすれば、この内供(ないぐ)、「いみじき上手にてありけり。例の法師にはまさりたり」とて、粥をすする程に、この童、鼻をひんとて側(そば)ざまに向きて鼻をひる程に、手震へて鼻もたげの木揺(ゆる)ぎて、鼻外(はづ)れて粥の中へふたりとうち入れつ。内供が顔にも童の顔にも粥とばしりて、一物(ひともの)かかりぬ。内供大(おほ)きに腹立ちて、頭、顔にかかりたる粥を紙にてのごひつつ、「おのれはまがまがしかりける心持ちたる者かな。心なしの乞児(かたゐ)とはおのれがやうなる者をいふぞかし。

我ならぬやごとなき人の御鼻にもこそ参れ、それにはやくやはせんずる。うたてなりける心なしの痴者(しれもの)かな。おのれ、立て立て」とて、追ひたてければ、立つままに、「世の人の、かかる鼻持ちたるがおはしまさばこそ鼻もたげにも参らめ、をこの事のたまへる御坊かな」といひければ、弟子どもは物の後ろに逃げ退(の)きてぞ笑ひける。
                            

現代語訳

昔、池の尾に善竹内供(ぜんちくないぐ)とう僧が住んでいた。真言秘密の祈祷法などをよく修め、長年加持祈祷を行って効験があったので、世間の人々がいろいろの祈祷を頼むので、実入りも豊かで堂も僧房も少しも傷んだところがない。仏前への供え物やお灯明も途絶えたことがなく、折々の僧侶の食膳も良く、寺での説法などもしきりに行わせたので、寺中の僧房には隙間がないほど多くの僧が住み賑わっていた。湯屋では湯を沸かさない日はなく、大勢がにぎやかに湯を使っていた。また、そのあたりには小さな人家なども多く建てられ、村里も賑わっていた。

ところで、この内供は鼻が長かった。五~六寸ぐらいもあったので、下あごから下に垂れ下がって見えるのであった。色は赤紫で、大きな蜜柑の皮のように、粒立ってふくれていた。痒くてたまらぬ様子であった。提(ひさげ)に湯をたぎらかせて、鼻をさし入れるだけの穴を折敷にあけて、熱い湯気が顔にあたらぬようにして、その折敷の穴から鼻をさし出し、提の湯につけて、充分に茹で上げて引き上げると、色は濃い紫色になる。

それをかたわらに臥せ、下に敷物をして人に踏ませると、粒だっている孔ごとに煙のようなものが出てくる。それを強く踏むと、細長く絞り出された脂肪の塊が孔ごとに出てくるのを、毛抜きで抜き、長さ四分くらいの脂肪の塊を孔から取り出すことになる。その跡は穴になって見える。それをまた同じ湯に入れ、さらさらと沸かして茹で上げゆらすと鼻は小さく萎(しぼ)んで普通の人の鼻のようになる。ところが二三日経つと前のように大きくなってしまう。

こんな具合で、脹れ上がっている期間が多かったので、食事の時は、弟子の法師に、長さ一尺ぐらい、巾一寸ほどの平らな板を鼻の下に差し入れさせて、向かい合って座り、上の方へ持ちあげさせ、食事が終わるまで、そうさせていた。やり慣れていない者に持ちあげさせると、手荒く持ちあげるので、内供は腹を立てて飯も食わない。それで、この係りの法師一人を相手を決めて、食事の度にもち上げさせていた。

ところがたまたまこの法師が気分が悪くなって、起きだしてこなかった時、朝粥を食べようとしたが、鼻を持ちあげる者がいなかったので、「どうしようか」などと言っていると、召使の童が、「私が上手に持ちあげてさしあげましょう。決して、いつもの御坊に劣るとは思いません」と言うので、それを内供の弟子の法師が聞いて、「この童がこんなことを申しております」と伝える。この童は中大童子で見た目も見苦しくなかったので、奥座敷の方に召し上げていたのであった。そこで、この童が鼻持ちあげ用の板を取り、礼儀正しくきちんと内供に向かって座り、ほどよい具合に高からず低からず持ちあげて粥をすすらせると、内供は、「実にうまいものだ。いつもの法師よりうまいくらいだ」と言って、粥をすすっているうちに、この童がくしゃみをしようとして顔を横に向け、はくしょんとやったので、手が震えて、鼻もたげの木が揺れて、鼻が木の上から外れ、粥の中にぽしゃんと落ち込んでしまった。内供の顔にも童の顔にも粥が飛び散って、一面にかかってしまった。内供はかんかんに腹を立て、頭や顔にかかった粥を紙でふき取りながら、「お前はよこしまな心を持った者よ。分別なしの乞食とはお前のような者を言うのだぞ。

これがわし以上に高貴な人のお鼻を持ち上げに参上するようなときは、このようなことはしでかさないであろう。実にけしからんろくでなしの阿呆者め。さっさと出て失(う)せろ」と言って追い立てたので、童は立ち去る時に、「世の中に、こんな珍奇な鼻を持った人がおられるのならそりゃ鼻を持ちあげにまりましょうが、愚かなことをおっしゃるお坊様よ」と言ったので、ほかの弟子たちは、物陰に逃げ隠れて笑い合った。

語句

■池の尾-京都府宇治市内の地名。■善珍内供(ぜんちんないぐ)-伝未詳。「禅珍」「禅智」など諸本間に相違が見られる。「内供」は「内供奉十禅師」のことで宮中の内道場に供奉し、大極殿での御斎会の読師や夜居を勤めた。■真言-梵語mantraの訳。神呪・密言・陀羅尼などとも訳される仏・菩薩の本誓を示す秘密の言葉。加持祈祷に用いられた。■行ひて-修行して。■身の徳-その所得も。■僧坊-僧の住む家。■仏供-仏に備えるもの。■講演-経典についての講説の集会。■しげく-しきりに。■湯屋(ゆや)-寺院に設けられている浴場。■浴みののしりけり-浴びて騒いでいる。

■五六寸-一六~一八センチほどの長さ。高い鼻ではなく、下に垂れさがる長い鼻であったところが自他ともに手のかかるやっかいな問題であった。■頤(おとがひ)-下あご、あご。■大柑子-夏蜜柑状の大きな蜜柑。■提(ひさげ)-酒や水を温め、つぐのに用いた金属製の容器。■かへらかして-たぎらかせて。■折敷(をしき)-薄板製の角盆。■鼻さし入るばかりゑり通して-ちょうど鼻だけがやっと通るばかりの穴をくりぬいて。「折敷」をお面のように顔にあてて、熱い蒸気が顔に当たらないようにした。■火の炎-熱い湯気。■濃き紫色なり-赤紫色が茹で上がっていっそう濃い色に変わった状態をいう。

■側ざまに臥せて-かたわらの方に寝かせて。■粒立ちたる云々-鼻の皮膚に粒だった表面の毛穴と思われる個所から。■いたく踏む-強く踏む。■白き虫-細長く絞り出された白い脂肪の形容。■孔だにあきて見ゆ-穴さえあいて見える。■さらめかし-「さらめく」は「さらさら」と音を立てること。■四分ばかりなる-長さ1.2センチほどの。■しぼみあがりて-しぼみきって。■ただの人-普通の人。

■一尺ばかりなるが-長さ30.3センチほどで。■広さ一寸ばかりなる-幅が約3センチほどのもの。■向ひゐて-向かいあって座って。■上ざまへ-上の方へ。■持て上げさせ-持ち上げさせ。■物食ひ果つるまで-物を食べ終わるまで。■ありけり-善珍の前に同席していた。■異人して-他人に。■あらく-乱暴に。

■それに-この「それに」は逆説の接続詞。そんな具合であったのに。ところが運悪く。■心地悪しくて-気分が悪くて。■朝粥(あさがゆ)-朝食の粥。寺院にふさわしい一汁一菜の粗食を思わせる。当時は寺院でも一日二食が普通であり、それだけに、ここも一日の始めの大切な食事の折であった。■さらにその御坊には云々-この「さらに」は、少しも、断じて、の意。そのいつも板を持ち上げているお方には劣りはすまい。との自信たっぷりな言葉。■いかにせん-どうしようか。■よく持て上げ参らせてん-上手に持ちあげてさしあげよう。■よも劣らじ-よもや劣るまい。■中大童子-寺院に仕える男性。少年とは限らず、中童子、大童子などの別があった。ここは、これを混用した呼称。ちなみに大童子は年配の男性。■みめ-見た目。器量・容貌。■きたなげなくありければ-こぎれいであったので。■うるはしく向ひゐて-行儀よくきちんと向かい合って座って。■鼻をひんと-くしゃみをしようと思って。「鼻をひる」または「はなひる」は、くさめ、くしゃみをする、の意。■そばざまに向きて-横を向いて。■鼻をひるほどに-くしゃみをするとたんに。■例の-いつもの。■ゆるぎて-揺れ動いて。■ふたりとうち入れつ-ぽしゃんと落とし入れてしまった。■一物かかりぬ-一面にかかった。■おほきに腹立ちて-たいそう腹を立てて。■のごひつつ-ふき取りながら。■まがまがしかりける心-いまいましい、よこしまな心。■心なしの乞児-分別のない乞食野郎。「かたゐ」は、道路の傍らに居て、物を請う者、すなはち乞食。転じて、人々をののしり、おとしめる語。先ほどの上機嫌とは打って変り、内供は我を忘れて、相手の童子に聞くに堪えない悪口を浴びせる。■いふぞかし-言うのだぞ。

■我ならぬやごとなき人の御鼻にもこそ参れ-わしとは違う尊い人のお鼻を持ち上げに参るかも知れないが。■かくやはせんずる-このようにするというのか。■うたてなりける-あまりにもひどい。■心なしの痴者かな-考えのない愚か者だな。■立て立て-出て行け、出て行け。■立つままに-出て行くとともに。■おはしまさばこそ-おいでになるのならば。■参らめ-参るだろうが。■をこのこと-おろかなこと。■御坊かな-お坊様だよ。■物の後ろに逃げ退(の)きてぞ-物陰に逃げ隠れて。

備考・補足

■芥川龍之介の「鼻」の題材として知られるが、当時の説話の主題は、そのような近代の小説とかかわりないものである。本話の重点は、内供の鼻の珍しさとともに、童の言葉の面白さにあったと見られる。

■学識・修行共にすぐれ、寺院の経営の手腕にも長けた内供奉という地位にあった有徳の高僧の「異様な鼻」にまつわる珍事。長年、事無く続けられてきた「鼻持ち上げ」の奉仕役、新米童子への危ぶまれた急な交替が、大成功に終わるかに見えた刹那の大どんでん返し。取り乱す内供の人間味。最後の場面、新米童子の捨て台詞が面白い。

朗読・解説:左大臣光永