宇治拾遺物語 2-8 晴明、蔵人少将(くらうどのせいしやう)封ずる事

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昔、晴明、陣(ぢん)に参りたりけるに、前(さき)花やかに追はせて殿上人(てんじやうびと)の参りけるを見れば、蔵人少将とて、まだ若く花やかなる人の、みめまことに清げにて、車より降りて内(うち)に参りたりける程に、この少将の上に烏(からす)の飛びて通りけるが、穢土(ゑど)をしかけけるを、晴明きと見て、「あはれ、世にもあひ、年なども若くて、みめもよき人にこそあんめれ。式(しき)にうてけるにか。この鳥は式神(しきじん)にこそありけれ」と思ふに、然るべくて、この少将の生くべき報(むく)ひやありけん、いとほしう晴明が覚えて、少将の側(そば)へ歩み寄りて、「御前へ参らせ給ふか。さかしく申すやうなれど、何(なに)か参らせ給ふ。殿は今夜え過ぐさせ給はじと見奉るぞ。然(しか)るべくて、おのれには見えさせ給へりなり。いざさせ給へ。物試みん」とて、この一つ車に乗りければ、少将わななきて、「あさましき事かな.さらば助け給へ」とて、一つ車に乗りて少将の里へ出(い)でぬ。申(さる)の時ばかりの事にてありければ、かく出でなどしつる程に日も暮れぬ。晴明、少将をつと抱きて身固めをし、また何事にか、つぶつぶと夜人夜いもねず、声絶(こわだ)えもず、読み聞かせ加持(かぢ)しけり。

秋の夜の長きに、よくよくしたりければ、暁方(あかつきがた)に戸をはたはたと叩(たた)けるに、「あれ、人出(いだ)して聞かせ給へ」とて聞かせければ、この少将のあひ聟(むこ)にて蔵人の五位のありけるも、同じ家にあなたこなたに据ゑたりけるが、この少将をばよき聟(むこ)とてかしづき、今一人(ひとり)をば殊(こと)の外(ほか)に思ひ落したりければ、妬(ねた)がりて陰陽師(おんやうじ)を語らひて式をふせたりけるなり。

さて、その少将は死なんとしけるを、晴明が見つけて夜一夜(よひとよ)祈りたりければ、そのふせける陰陽師のもとより人の来て、高やかに「心の惑ひけるままに、よしなくまもり強かりける人の御ために仰(おほ)せをそむかじとて式ふせて、すでに式神かへりて、おのれ只今式にうてて死に侍りぬ。すまじかりける事をして」といひけるを、晴明、「これ聞かせ給へ。夜部(よべ)見つけ参らせざらましかば、かやうにこそは候(さぶら)はまし」といひて、その使ひに人を添えてやりて聞きければ、「陰陽師はやがて死にけり」とぞいひける。式ふせさせける聟をば、舅(しうと)、やがて追ひ捨てけるとぞ。晴明には泣く泣く悦(よろこ)びて多くの事どもしても飽かずとぞ悦びける。誰とは覚えず大納言までなり給ひけるとぞ。

現代語訳

昔、安倍晴明が左近衛府の舎人の詰所に向っていた時に、威勢よく先払いをさせて、殿上人が参内してきたのを見ると、蔵人少将といって、まだ若く華やかで、顔かたちもまことにうるわしい人が、牛車から降りて、内裏に向っている所であった。そのときこの少将の上を烏が飛んで通ったが、糞(ふん)をしかけたのを晴明がすばやく見つけ、「ああ、世間からも受け入れられ、年も若く顔かたちも美しい人であるようだが。式神の術をこうむったのか。この烏はまさしく式神に違いない」と思った。前世の因縁があってこの少将は生きられるという果報があったのか、晴明は同情を覚えて少将のそばへ歩み寄って、「主上の御前に参内なさるのですか。偉そうに言うようですが、参内なさるどころではありません。あなたは今夜一晩を無事にお過ごしにはなれまいとお見受けいたしますぞ。さるべき宿縁があって、私にはその事が見通されるのです。さあ、おいでください。できるだけのことをしてみましょう」と言って、少将の車に乗り込むと、少将は震えながら、「恐ろしいことです。それならどうか助けてください」と言い、同じ車に乗って少将の私邸へ出て行ってしまった。午後四時ごろのことだったので、そうして退出したりしているうちに日も暮れた。晴明は、少将をしっかと抱き締めて、身固めの法を行い、また何事かぶつぶつと夜通し寝もせず、声も絶やさず、真言を読み聞かせ、加持祈祷を続けた。

秋の夜長に、念入りに加持祈祷を続けたので、明け方になって戸をとんとんと叩く音がする。「さあ、人を出してお聞かせなさい」と言って聞かせると、この少将の相婿(あいむこ)で蔵人の五位がおり、同じ家の別々の場所に住まわされていた。少将の舅がこの少将をいい婿だとして大事にし、もう一人の蔵人の五位のほうを格段に見下げていたので、蔵人の五位はそのことを妬み陰陽師を頼んで密かに式神をおき、少将を呪い殺そうとしたのであった。

そのためにこの少将は死にそうになったのを晴明が見つけて、夜を徹して加持祈祷をしたので、その式神を操っていた陰陽師のもとから使いの者が来て、大声で、「心が迷っていたためにただもう仰せに背くまいと、御身の守り強かった少将に対して式神を祈り出したところ、いつのまにか式神が戻ってきて、逆に自分が式神に調伏されて死にます。してはならない事をして。」と言った。晴明は、少将に向い、「これをお聞きなさい。昨夜私が見つけてさしあげなかったらこの陰陽師のようにきっと式神に打たれて死んでいたでしょう」と言って、その使いの者に人をつけて陰陽師の様子を見にやると、「陰陽師はそのまま死んでしまったそうです」と言った。式神で調伏しようとした婿を、舅はすぐに追いだしたということだ。舅は、晴明には涙を流して喜んで、たくさんの謝礼などをして、それでも感謝しきれないと言って喜んだ。少将とは誰のことかわからないが大納言まで出世なさったという話である。

語句

■晴明-安倍晴明(921~1005)。陰陽の土御門家の祖。平安時代屈指の陰陽師・天文博士。大膳大夫、左京権大夫、穀倉院別当などをも歴任した。陰陽道に関する著書『占事要欠』『金鳥玉兎集』がある。■陣-内裏の警護に当たる近衛府の官人の詰所。ここは右近衛府ではなく、大膳職に近い左近衛府の、それも陽明門に近い路上のことか。■前(さき)-牛車の先駆けの者に、威勢よく先払いの声をあげさせながら、この時、晴明は車で移動中で、車の物見窓から偶然その瞬間を見た。■前(さき)はなやかに追はせて-威勢よく先払いをさせて。■追ふ-(多く「先(を)追ふ」の形で)貴人が通るとき、通り道にいる人を追い払う。先払いをする。 ■殿上人-清涼殿に昇ることを許された人。四位・五位及び六位の蔵人をさす。■蔵人少将-蔵人で左近衛少将の兼任者。■みめ-顔かたち。■きと-すばやく。■あはれ-ああ。■世にもあひ-世間でも受け入れられ。■人にこそあんめれ-人であるようだが。■式にうけてるにか-式神の術をこうむったのか。『式』は式神。また識神とも。陰陽師が呪詛(じゅそ)などに使役する鬼人。■式神にこそありけれ-式神にちがいない。■然るべくて-晴明に救助されることになるような前世からの宿縁があって。■何か参らせ給ふ-どうして参内などなされますか。「とてもそれどころではありませんぞ」の意味がこもる。■いとほしう-気の毒に。■さかしく-偉そうに。■今夜え過ぐさせ給はじ-今夜を無事にお過ごしにはなれそうもない。今夜のうちにお命がつきるはずでございます。後出のように、この時は「申の時(午後四時ごろ)」で、まもなく夜に向おうという時で、少将は差し迫った危機として恐怖に駆られる。■然るべくて-前世からの宿縁の深さがここでふたたび繰り返される。■物試みん-できるだけの方法を講じてみましょう。という頼もしい誘い。■一つ車-少将の乗っていた牛車。■わななきて-ぶるぶる震えて。■あさましき事かな-恐ろしいことだ。■少将の里へ出でぬ-少将の私邸へ出て行ってしまった。■つと-しっかりと。■身固め-陰陽道に於ける邪気を除く護身の方術。校注は『禁秘御階梯』によって、この身固めは「反閉(へんばい)」法の略法であるとする。反閉は被施術者が施術者と同様のしぐさを反復して行う呪法。■いもねず-寝もしないで。■声絶えもせず-声の絶えることもなく。■加持-印を結び、陀羅尼(真言)を唱えながら、仏の加護を祈ること。

■したりければ-加持したので。■はたはたと-とんとんと。■あひ婿-妻の姉妹の婿になっている男。■蔵人の五位-蔵人所の五位の蔵人の定員は三人、六位の蔵人は四人。六位の蔵人が任期の六年を勤め終ると五位の蔵人に昇格するが、もし欠員がない場合には、五位に昇格はするが、無官となって退職する。それが「蔵人の五位」と呼ばれた。というわけで蔵人の少将の「あひ聟」は失職していたことになる。■ありけるも-いたのも。■あなたこなた-あちらこちら。■据ゑたりけるが-住まわせていたが。■かしづき-大切にし。■ことのほかに-格別に。■思い落したりければ-見下げていたので。■かたらひて-仲間にして。■式をふせたりけるなり-ひそかに式神をおいたのであった。。

■ふせける陰陽師-式神を操っていた陰陽師。■心の惑ひけるままに-心が迷っていたために。■よしなく-わけもなく。■まもり強かりける人の-守りが強かったお方に対して。■仰せをそむかじとて-お言葉にそむくまいと。■式にうてて-自分の術力が相手の側の陰陽師の呪力に負けて、自分の操っている式神に逆に調伏されて、の意。■すまじかりけること-してはならないこと。■夜べ見つけ参らせざらましかば-昨夜見つけてさし上げなかったならば。■かゆにこそは候はまし-この陰陽師のようにきっと式神に打たれて死んでいたであろう。■やがて死にけり-そのまま死んでしまった。■やがて追ひ捨てけるとぞ-すぐに追いだしたということだ。■多くの事どもしても飽かず-多くのお礼をしても飽き足りないほどに。■誰とは覚えず-誰とは分からないが。■なり給ひけるとぞ-おなりなさったということだ。

朗読・解説:左大臣光永

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