宇治拾遺物語 2-11 明衡(あきひら)、殃(わざは)ひ合はんと欲(す)る事

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原文

昔、博士(はかせ)にて、大学頭(だいがくのかみ)明衡といふ人ありき。若かりける時、さるべき所に宮仕へける女房をかたらひて、その所に入り臥(ふ)さん事便(びん)なかりければ、その傍(かたは)らにありける下種(げす)の家を借りて、「女房かたらひ出(い)だして臥(ふ)さん」と言ひければ、男あるじはなくて妻ばかりありけるが、「いとやすき事」とて、おのれが臥す所より外に臥すべき所のなかりければ、我が臥所(ふしどころ)を去りて、女房の局の畳を取り寄せて寝にけり。家あるじの男、我が妻の密男(みそかをとこ)すると聞きて、「その密男(みそかをとこ)、今宵なん逢(あ)はんと構ふる」と告ぐる人ありければ、「来んを構へて殺さん」と思ひて、妻には、「遠く物へ行きて、今四五日帰るまじき」といひて、そら行きをして窺(うかが)ふ夜にてぞありける。

家あるじの男、夜更けて立ち聞くに、男(をとこ)女の忍びて物言ふ気色(けしき)しけり。「さればよ、隠男(かくしをとこ)来にけり」と思ひて、みそかに入りて窺ひ見るに、我が寝所(ねどころ)に、男、女と臥(ふ)したり。暗ければ、たしかに気色見えず。男の鼾(いびき)する方(かた)へやをらのぼりて、刀を逆手(さかて)に抜き持ちて、腹の上とおぼしき程を探りて、突かんと思ひて腕(かひな)を持ち上げて突き立てんとする程に、月影の板間(いたま)より漏りたりけるに、指貫(さしぬき)のくくり長やかにて、ふと見えければ、それにきと思ふやう、「我が妻のもとには、かやうに指貫着たる人はよも来じものを、もし人違(ひとたが)へしたらんは、いとほしく不便(ふびん)なるべき事」と思ひて、手を引き返して、着たる衣(きぬ)などを探りける程に、女房ふと驚きて、「ここに人の音するは誰(た)そ」と、忍びやかにいふけはひ、我が妻にあらざりければ、さればよと思ひて居退(ゐの)きける程に、この臥したる男も驚きて、「誰(た)そ、誰(た)そ」と問ふ声を聞きて、我が妻の下(しも)なる所に臥して、「我が男の気色のあやしかりつる。それがみそかに来て、人違(ひとたが)へなどするにや」と覚えける程に、驚き騒ぎて、「あれは誰(た)そ、盗人(ぬすびと)か」などののしる声の、我が妻にてありければ、「異(こと)人々の臥したるにこそ」と思ひて、走り出でて妻がもとに行きて、髪を取りて引き伏せて、「いかなる事ぞ」と問ひければ、妻、さればよと思ひて、「かしこういみじき過(あやま)ちすらん。かしこには、上臈の(じやうらふ)の、今夜ばかりとて借(か)らせ給ひつれば、貸し奉りて、我は宿にこそ臥したれ。稀有(けう)のわざする男かな」とののしる時にぞ、明衡(あきひら)も驚きて、「いかなる事ぞ」と問ひかければ、その時に男出(い)で来(き)ていふやう、「おのれは甲斐殿の雑色(ざふしき)なにがしと申す者にて候(さぶら)ふ。一家(いつけ)の君おはしけるを知り奉らで、ほとほと過ちをなん仕(つかまつ)るべく候ひつるに、稀有に御指貫のくくりを見つけて、しかじか思ひ給ひてなん、腕(かひな)を引きしじめて候(さぶら)ひつる」といひて、いみじうわびける。

甲斐殿といふ人はこの明衡(あきひら)の妹の男なりけり。思ひかけぬ指貫(さしぬき)のくくりの徳に、稀有(けう)の命をこそ生きたりければ、かかれば、人は忍ぶといひながら、あやしの所には立ち寄るまじきなり。

現代語訳

昔、文章博士で、大学頭明衡という人がいた。若かった時、ある立派な屋敷に宮仕えしていた女房といい仲になり、その局で寝るのは、具合が悪かったので、その傍にあった下賤の者の家を借りて、「女房を誘いだして寝たいので」と言った。ちょうどその家の主人は留守で妻だけだったが、「お安い御用です」と言うが、自分の寝る場所以外に寝る所が無かったので、自分の寝所を出て行った。明衡は女房の部屋の薄縁(うすべり)を取り寄せて敷き、女房と一緒にそこで寝た。家主の男は自分の妻が間男をしていると聞き、「その間男が今夜逢おうとしているぞ」と教える人がいたので、「来るのを待ち構えて殺してやる」と思って、妻には、「遠い所へ出かけて後四五日は帰れまい」と言って出かける振りをし、間男が来るのを待ち構えていた夜の事であった。

家主の男が、夜更けに家の中の様子を立ち聞きすると、男女が密かに語り合っている様子であった。「やっぱり、間男が来ていたのだ」と思い、こっそり中に入って様子を窺って見ると、自分の寝所に、男が女と寝ている。暗いのではっきりとは見えないが、そろそろと男の鼾のする方へ動いて、刀を逆手に抜き持って、腹の上と思われるあたりを探り当て、突こうと思って、腕を持ち上げ突き立てようとした時、家の板間から差し込む月明かりの中に、指貫の括りひもが長く伸びているのが見えたので、それを見てはっと思うには、「自分の妻の所には、こんな指貫を着た高貴な方はまさか来はしまいに、もし別人を刺し殺してしまうことになっては、かわいそうで気の毒な事になる」と思って手を引っ込め、着ている衣服などを探っているうちに、寝ていた女房がふっと目を覚まして、「傍に人の気配がする。誰?」と密かに言う気配。しかしそれは自分の妻ではないようなので、「やはりそうであったか」と思い、そこから出て行こうとしているうちに、この寝ていた男も驚いて、「誰か?誰か?」と問いかける。その声を聞いて、勝手口の方に寝ていた家主の妻が、「今日は夫の様子がおかしかった。それがこっそりやって来て、人違いなどしているのではないかしら」と騒ぎだして、「お前は誰だ。盗人か」など騒ぎたてる声は、自分の妻のものだったので、「それでは別の人たちが寝ていたんだ」と思い、走り出て妻のもとへ行き、髪を掴んで引き倒し、「どういう事だ」と問いただした。妻はやっぱりそうかと思い、「貴方は恐ろしい事にひどい間違いをするところだったよ。あそこには高貴な人が今夜だけということで、お借りになったので、お貸し申して自分はここに寝ていたんだよ。あきれたことをする男だ」と騒ぎ立てる丁度その時に、明衡も驚いて、「どういう事か」と問い詰めると、その時に男が出て来て言うには、「私は甲斐殿(かいどの)の雑色(ざつしき)でなにがしと申すものです。御身内の方がいらっしゃるとは存じませんで、本当に危うい所で間違いを犯すところでした。たまたま、珍しい指貫の括りのひもを見つけ、あれこれ考えまして、伸ばした腕を引っ込めた次第です」と言って、ひどく詫びを入れた。

甲斐殿という人は、この明衡の妹の夫であった。思いがけずも指貫の括りのおかげでようやく危ない命を拾う事になった。そういうわけで、忍び歩きとは言っても、下賤の所には立ち寄ってはならないというのである。

語句

■博士(はかせ)-官職名。ここは文章博士。大学寮には、明経・文章・明法・算・音・書の各博士が置かれた。■大学頭-大学寮の長官。明衡(988~1066)は、儒者藤原敦信の子。長和三年(1014)、秀才、長元五年(1032)、左衛門尉に任ぜられたが、秀才時代の出来事か。『本朝文枠』『雲集往来』『新猿楽記』などの編著がある。■かたらひて-契りあって。■下種(げす)-身分の低い者。下司・下衆と表記されることが多い。■畳-現在の薄縁(うすべり)、ござ。ここは女房の部屋から運ばせた上等品。■密男(みそかをとこ)する-人妻が、ひそかに通う情事の相手の男を持っていること。■今四五日帰るまじき-もう四、五日は帰れまい。■構ふ-かかわる。関係する。■物へ-どこかへ。■そら行きをして-出かけたように見せかけて。たまたまその日は、下種の家の夫が、遠くへ出かけた振りをして、家の近くに身をひそめ、妻のもとに通ってくる間男(まおとこ)の到来を「今や遅し」と待ち受けていた。

■さればよ-やっぱり、うそじゃなかった、教えられたとおりだった。案の定。■みそかに-ひそかに。こっそりと。■我が寝所-先に妻にとって「おのれが臥すところ」「我が臥所」と語られていたのと同じ寝室。夫婦の寝室。■刀を逆手に抜き持ちて-刀の切っ先を下に向け、刃を内側(刀を持っている者の側)に向けた握り方。相手に切りかかるのではなく、最初から刀を突き立てようとするための持ち方。■月影の板間より漏りたりけるに-板と板との隙間から漏れ込んでいた月の光に照らし出されて。板を並べて張っただけの粗雑な家の様子もうかがわれる。■指貫のくくり長やかにて-明衡が指貫袴を脱いで何かにかけてあったために、括りのひもが長々と垂れさがっていた様と知れる。■それにきと思ふやう-それからはっとして思うには。■もし人違へしたらんは、いとほしく不便なるべき事-もし別人を刺し殺してしまうようなことになっては、かわいそうで気の毒な結果になる。家主の下種男は、憎しみに燃えていたはずであったが、危うく思いとどまる。■手を引き返して-刀を握って突き出していた手を引き戻す、引っ込める。■さればよ-さてこそ。「それにきと思ふやう」の内容「我が妻の・・・不便なるべき事」を受ける。■我が妻の云々-第三者の語りならば、「下種の妻の」とあるべきところ。この観点から想像すれば、本話の伝承はこの夫の男の語りに発していた可能性も考えられる。■下なる所-奥の部屋に対して、出入り口に近い勝手元あたりの部屋。■あやしかりつる-この妻は、遠くへ出かけると言って出て行った夫の様子に何か不可思議なものを感じ取っていた。■さればよ-本話での三度めの使用。やはり、わが夫が危うく人違いするところであったのだ、の意。■上臈-上流の身分の人。下臈の対。■宿-ここ。■甲斐殿-藤原公業(?~1028)、有国の子、中宮大進で明衡の妹の夫。甲斐守在任は、治安三年~万寿二年(1023~25)ごろ。■雑色-貴族の私邸に仕える下男。■一家の君-一門の主君筋にあたる人。明衡は、この雑色の主君の義兄。■ほとほと過ちをなん仕るべく候ひつるに-本当に危ういところで間違いを犯すところでした。■忍ぶ-異性と人目を避けて逢引をすること。密会すること。

備考・補足

■藤原明衡の『新猿楽記』は、西の京に住む右衛門尉という者の一家(妻三人、娘十六人、息子九人とその連れ合いたち)が、一夜、こぞって猿楽見物にでかけた、という設定で、当時の諸種の職業にかかわる世態と人情を活写してみせる風刺文学である。その著者の下情への通暁(つうぎょう)ぶりには舌を巻くばかりである。長和三年(1014)、二十六歳で文章特業生となってからの彼の立身ぶりは遅々たるもので、奇行も伝えられているが、本話のような忍び歩きなど、都の諸所で明衡は青春を謳歌していたのであろう。その本人の体験談らしい感じの濃い逸話。

朗読・解説:左大臣光永