宇治拾遺物語 2-12 唐(もろこし)に卒塔婆(そとば)血つく事

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昔、唐(もろこし)に大(おほ)きなる山ありけり。その山の頂(いただき)に大きなる卒塔婆(そとば)一つ立てりけり。その山の麓(ふもと)の里に、年八十ばかりなる女の住みけるが、日に一度、その山の峯(みね)にある卒塔婆を必ず見けり。

高く大きなる山なれば、麓より峯へ登るほど、険(さが)しく、はげしく、道遠かりけるを、雨降り、雪降り、風吹き、雷(いかづち)鳴り、しみ氷りたるにも、また暑く苦しき夏も、一日も欠かさず必ず登りて、この卒塔婆を見けり。

かくするを人々え知らざりけるに、若き男ども、童部(わらはべ)の、夏暑かりける比(ころ)、峯に登りて卒塔婆のもとにゐつつ涼みけるに、この女汗をのひて、腰二重(ふたへ)なる者の、杖にすがりて卒塔婆のもとに来て、卒塔婆をめぐりければ、拝み奉るかと見れば、卒塔婆をうちめぐりては、則(すなは)ち帰り帰りする事一度にもあらず。あまたたびこの涼む男どもに見えにけり。「この女は何(なに)の心ありてかくは苦しきにするにか」とあやしがりて、「今日(けふ)見えば、この事問はん」と言ひ合せける程に、常の事なれば、この女這ふ這ふ登りけり。

男ども女に言ふやう、「わ女は何の心によりて、我らが涼みに来るだに暑く苦しく大事なる道を、涼まんと思ふによりて登り来るだにこそあれ、涼む事もなし。別(べち)にする事もなくて、卒塔婆を見めぐるを事にて、日々に登り下(お)るるこそあやしき女のわざなれ、この故(ゆゑ)知らせ給へ」と言ひければ、この女、「若き主たちはげにあやしと思ひ給ふらん。かくまうで来てこの卒塔婆見る事はこの比(ごろ)の事にしも侍らず。物の心知り始めてより後(のち)、この七十余年、日ごとにかく登りて卒塔婆を見て奉るなり」といへば、「そのことのあやしく侍るなり。その故をのたまへ」と問(と)へば、「おのれが親は百二十にてなん失(う)せ侍りにし。祖父(おほぢ)は百三十ばかりにてぞ失せ給へりし。それにまた父祖父(ちちおほぢ)などは二百余年までぞ生きて侍りける。『その人々の言ひ置かれたりける』とて、『この卒塔婆に血のつかん折りになん、この山は崩れて深き海となるべき』となん、父の申し置かれしかば、麓に侍る身なれば、山崩れなばうち掩(おほ)はれて死にもぞすると思へば、もし血つかば逃げて退(の)かんとて、かく日ごとに見るなり」といへば、この聞く男ども、をこがり嘲(あざけ)りて、「恐ろしき事かな。崩れん時は告げ給へ」など笑ひけるをも、我を嘲りていふとも心得ずして、「さらなり。いかでかは我一人逃げんと思ひて告げ申さざるべき」といひて、帰り下(くだ)りにけり。

この男ども、「この女は今日(けふ)はよも来(こ)じ。明日(あす)また来て見んに、おどして走らせて笑はん」と言ひ合せて、血をあやして卒塔婆によく塗りつけて、この男ども帰りおりて、里の者どもに、「この麗なる女の、日ごとに峯に登りて卒塔婆見るを、あやしさに問へば、しかじかなんいへば、明日おどして走らせんとて卒塔婆に血を塗りつるなり。さぞ崩るらんものや」など言ひ笑ふを、里の者ども聞き伝へて、をこなる事の例に引き笑ひけり。

かくてまたの日、女登りて見るに、卒塔婆に血の大らかにつきたりければ、女うち見(み)るままに、色を違(たが)へて倒れ転(まろ)び、走り帰りて、叫び言ふやう、「この里の人々、とく逃げ退きて命生きよ。この山は只今崩れて深き海になりなんとす」とあまねく告げまはして、家に行きて子孫どもに家の具足ども負(を)ほせ持たせて、おのれも持ちて、手惑(てまど)ひして里移(さとうつ)りしぬ。

これを見て、血つけし男ども手打ちて笑ひなどする程に、その事ともなくざざめきののしりあひたり。風の吹き来るか、雷(いかづち)の鳴るかと思ひあやしむ程に、空もつつ闇(やみ)になりて、あさましく恐ろしげにて、この山揺(ゆる)ぎ立ちにけり。「こはいかに、こはいかに」とののしりあひたる程に、ただ崩れに崩れてもてゆけば、「女はまことしけるものを」などいひて逃げ、逃げ得たる者もあれども、親の行方(ゆくへ)も知らず、子をも失ひ、家の物の具も知らずなどして、をめき叫び合ひたり。この女一人ぞ子孫も引き具して、家の物の具一つも失はずしてかねて逃げ退(の)きて、静かにゐたりける。

かくてこの山みな崩れて深き海となりにければ、これを嘲り笑ひし者どもはみな死にけり。あさましき事なりかし。

現代語訳

昔、唐に大きな山があった。その山の頂上に大きな卒塔婆が一つ立っていた。その山の麓の里に、八十歳くらいの女が住んでいたが、日に一度、その山の峯にある卒塔婆を必ず見るのであった。

高く大きな山なので、麓から峯へ登るほど、険しく、はげしく、遠い道のりにもかかわらず、雨が降っても、雪が降っても、風が吹いても、雷が鳴っても、凍りついた時も、又、暑く苦しい夏も、一日も欠かさず必ず山に登って、この卒塔婆を見ていた。

女がこのような事をしているのを他人は知るわけもなく、若い男どもや子どもたちが、夏の暑い時分に、峯に登って卒塔婆の所で涼んでいた。そこへこの女が汗を拭きながら、腰を二重に曲げ杖にすがって卒塔婆のもとに来て、その周囲をまわるので、それを拝むのかと思って見ていると、卒塔婆の周囲を回っては、すぐに帰ってしまう。それが一度や二度ではない。何度もこの涼んでいる男たちは女に出会ったのだった。「この女は、どんなつもりで苦しい思いをしながらこんなことをするのか」と不思議がり、「今日会ったらこのことを聞いてみよう」と話しあっていたところへ、いつものように、この女は這うようにしながら登って来た。

男たちが女に向かって、「あなたは、どんなつもりで登って来るのです。私たちが涼みに来るのさえ、暑く、苦しく難儀な道なのに、涼もうと思って登って来るのならともかく涼みもしない。かといって別にする事もなく、卒塔婆を見て回るのを仕事にして、毎日登り下りるのは、どうにも解せないふるまいです。そのわけを教えてください」と言うと、この女は、「若いおぬしたちには、いかにも変だと思われるでしょう。しかし、こうしてやって来てこの卒塔婆を見るのはこの頃始めたことではないのです。物心がつき始めて以来、この七十年あまり、毎日このように登って来て卒塔婆を見ているのです」と言う。「その事が不思議なのです。そのわけをお話しください」と尋ねると、「私の親は百二十で亡くなりました。祖父は百三十ぐらいで亡くなりました。それにまた、父祖父などは二百年近くまで生きました。『その人たちが言い残した』と言って、『この卒塔婆に血がついた時には、この山は崩れて深い海になるだろう』と父が言い残しました。麓に住んでおりますので、山が崩れたら
土に覆われて死んでしまうと思うと、もし血がついたなら逃げようと考え、このように毎日見ているのです」と言う。これを聞いた男たちはばかばかしくなって嘲笑し、「恐ろしい事だ。崩れるときは知らせてください」などと笑ったが、女は、自分を嘲って言っているのがわからず、「言うまでもありません。なんとかして自分一人でも逃げようとは思いますが、他の人たちにお知らせせずにおくことがありましょうか」と言って山を下りて行った。

この男たちは、山を下り、「この麓にいる女が、日毎(ひごと)峯に登って卒塔婆を見ているが、不思議なので尋ねると、あれこれ言うんだが、明日女を脅かして走らせようとして卒塔婆に血を塗ったんだ。さぞや山が崩れることだろうよ」と里の人たちに言い笑うのを、里の人たちは又聞きに伝え、ばかな話として例に引き笑い合った。

こうして次の日、女が峯に登って見ると、卒塔婆に血が大量についていた。女はそれを見たとたん顔色を変えて、倒れ転び、走って帰り、「この里のみなさん、早く遠くへ逃げて生き長られよ。この山はすぐにも崩れて深い海になりますぞ」と叫び、村中に告げまわった。その後、自分の家に帰り、子孫たちに家財道具などを背負わせ、或いは持たせて、自分も持ち、あわてふためいて里から移って行った。

これを見て、血をつけた男たちが手をたたいて笑ったりしているうちに、なんだか辺りがざわめき騒がしくなってきた。風が吹いてくるのか、雷が落ちるのかと怪しんでいるうちに、空も真っ暗闇になって、恐ろしい雰囲気になり、目の前の山が震動し始めた。「どうしたのだいったいこれは」と騒ぎ合っているうちに、ただもうどんどん崩れくるので、「女の言う事はほんとうだったんだ」などと言って逃げだしたが、逃げられた者もいたが、大部分は、親の行方も分らず、子どもも見失い、家財道具もわからなくなったりなどして、わめき叫び合っていた。この女一人だけが、子孫をも引き連れ、家財道具一つも失わずに、前もって逃げ延びて、ほっとしていた。

こうしてこの山はみな崩れて深い海になったので、これを嘲り笑った者たちは、みな死んでしまった。驚くべき事であるよ。

語句

■大(おほ)きなる山-これを『述語記』上、『准南子』二は「和州歴陽」、『捜神記』一三は、「由挙県」とする。■卒塔婆(そとば)-墓標。もともと仏舎利を安置したものであるが、後には死者を供養するために、石や木で高く作ったものを言う。ここでは石造りの五輪塔などを指すか。

■雨降り云々-老婆がいかなる困難な天候にもめげずにその山頂に上り下りしたことを強調。■しみ氷りたるにも-凍りついた時にも。■欠かず-欠かさず。

■え知らざりけるに-知るわけもなかったが。■童部(わらはべ)-子供。■のごひて-拭いて。拭って。■腰二重-体を二つに曲げたように腰の曲がっている者。老齢の高さと登山の難儀を強調する。■めぐりければ-まわったので。■うちめぐりては-まわったので。■則(すなは)ち帰り帰りする事-すぐさっさと帰ってしまう事。■這ふ這ふ-這うような格好で、ようやく。■一度にもあらず-一度だけではなく。■あまたたび-何度も。■見えにけり-出合った。■何(なに)の心ありて-どういうつもりで。■かくは苦しきに-こんなに苦しいのに。■あやしがりて-不思議に思って。■見えば-合ったなら。■言ひあはせける程に-話し合っているうちに。■這ふ這ふ-這うようにして。

■わ女-「わ」は親愛や軽蔑の念を添える接頭語。ここでは前者。■登り来るだにこそあれ-登って来るのであればともかく。■見めぐる-見回る。■事にて-仕事として、任務として。■若き主たちは-お若いあなた方は。老婆は初めて言葉を交す若者たちに向って丁寧な言葉で応対している。■げにあやしと思ひ給ふらん-実にどう考えても解せない。■その事の-そのあなたが毎日卒塔婆を見続けている行為が。この段階では、若者たちも、老婆の丁寧な言葉遣いとその正体が分らないせいもあってか、老婆に対してまだ「侍るなり」「のたまへ」と敬意をもって対応している。■おのれが云々-自称代名詞。「私の」というよりは卑下した気持ちが込められて、「手前どもの」という感じ。■それにまた父祖父など-その祖父の父や祖父など。つまり、代をさかのぼるにつれて、長命であったこと、逆に見れば、時代が下るに従って百歳という年齢に接近してきている、という説き方で合理性を持たせようとしている。■血のつかん折りになん、この山は崩れて深き海となるべき-血がつくような時にこそ、山は崩れて深海になろう。係助詞「なん(なむ)」は、ほかならぬその時点を提示・強調している。『述異記』上では、県門の石亀の眼から血が出たら、『捜神記』一三では城門に血がついたら(土地が陥没して湖となろう)とされる。■うち掩(おほ)はれて-土におおわれて、土の下敷きになって。■をこがり-ばかばかしがって。■さらなり-言うまでもありません。若者たちの変化に老婆は気づかない。

■おどして走らせて笑はん-驚かせて、方々に告げ走り回らせて、笑い者にしてやろう。■血をあやして-(何らかの方法で、それぞれに)血を出し合って。ただし、『述異記』上では、しゅ(赤色の鉱石を粉末にし、水に溶かした物と想定される)を石亀の眼にさし『捜神記』一三では、門に犬の血を塗る事になっている。■さぞ崩るらんものや-反語的意味で、さぞや山が崩れることだろうよ。「明日になっても山は崩れもせず、老婆の家の伝承がでたらめだったことが明白になることでしょう。まあ、見ていてください」という皮肉。

■血の大らかにつきたりければ-血がたっぷりと。大量に。『今昔』では、「濃キ血多ク」。■見るままに-見るやいなや。目にするや、たちまちに。■色を違(たが)へて-色を失って。血相を変えて。■命生きよ-生きのびよ。命長らえよ。■深き海になりなんとす-深い海になってしまいますぞ。「なりなんとす」は「ならんとす」に、「確実に、まさにまもなく」という意味が加わる。■家の具足-家具・調度。家財道具の類。■おのれも持ちて-老婆自身も持って。道具類の荷造をして運ぶこともできないような、緊急避難の様。

■その事ともなく-何事が起ころうとしているのか判断のつきかねるようなざわめきの音が不気味に高まったさま。■つつ闇-真っ暗な闇。『名語記』は、天照大神が天の岩戸を閉じた時の「天下ツツヤミ、トナリケリト・・」の故事を引いて、「トヅヤミ(閇闇)」を語源とする。

朗読・解説:左大臣光永

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