宇治拾遺物語 2-13 成村(なりむら)、強力(がうりき)の学士にあふ事

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原文

昔、成村といふ相撲(すまひ)ありけり。時に国々の相撲ども上(のぼ)り集りて相撲節(すまひのせち)待ちける程、朱雀門(すざくもん)に集りて涼みけるが、その辺(へん)遊び行くに、大学の東門(ひがしのもん)を過ぎて南ざまに行かんとしけるを、大学の衆どももあまた東の門に出でて涼み立てりけるに、この相撲どもの過ぐるを通さじとて、「鳴り制せん。鳴り高し」といひて立ち塞(ふたが)りて通さざりければ、さすがにやごつなき所の衆どものする事なれば、破りてもえ通らぬに、長低(たけひき)らかなる衆の、冠、上(うへ)の衣(きぬ)、異人(ことひと)よりは少しよろしきが、中にすぐれて出で立ちて、いたく制するがありけるを、成村は見つめてけり。「いざいざ帰りなん」とて、もとの朱雀門に帰りぬ。

そこにていふ、「この大学の衆、憎きやつどもかな。何の心に我らを通さじとはするぞ。ただ通らんと思ひつれども、さもあれ、今日は通らで、明日通らんと思ふなり。長低(たけひく)やかにて、中にすぐれて、『鳴り制せん』といひて通さじと立ち塞(ふたが)る男、憎きやつなり。明日(あす)通らんにも、必ず今日のようにせんずらん。何主(なにぬし)、その男が尻鼻(しりばな)、血あゆばかり必ず蹴(け)給へ」といへば、さいはるる相撲(すまひ)脇を掻(か)きて、「おのれが蹴てんには、いかにも生かじものを、凝議(がうぎ)にてこそいかめ」といひけり。この尻蹴(しりけ)よといはるる相撲は、覚えある力異人(ことひと)よりはすぐれ、走り疾(と)くなどありけるを見て、成村もいふなりけり。さてその日はおのおの家々に帰りぬ。

またの日になりて、昨日(きのふ)参らざりし相撲などをあまた召し集めて、人勝ちになりて通らんと構ふるを、大学の衆もさや心得にけん、昨日(きのふ)よりは人多くなりて、かしがましう、「鳴り制せん」と言ひ立てりけるに、この相撲どもうち群れて歩みかかりたり。昨日(きのふ)すぐれて制せし大学の衆、例の事なれば、すぐれて大路を中に立ちて、過ぐさじと思ふ気色(けしき)したり。成村、「蹴よ」といひつる相撲に目をくはせければ、この相撲、人より長(たけ)高く大きに、若きいさみたるをのこにて、くくり高やかにかき上げて、さし進み歩み寄る。それに続きて異相撲(ことすまひ)もただ通りに通らんとするを、かの衆どもも通さじとする程に、尻蹴(しりけ)んとする相撲、かくいふ衆(しゆ)に走りかかりて、蹴倒さんと足をいたくもたげたるを、この衆は目をかけて背をたはめてちがひければ、蹴外(はづ)して足の高く上(あが)りて、のけざまになるやうにしたる足を大学の衆取りてけり。

その相撲を細き杖などを人の持ちたるやうに引きさげて、かたへの相撲に走りかかりければ、それを見て、かたへの相撲逃げけるを追ひかけて、その手にさげたる相撲をば投げければ、振りぬきてニ三段ばかり投げられて、倒(たお)れ臥しにけり。身砕(くだ)けて起き上(あが)るべくもなくなりぬ。それをば知らず、成村(なりむら)がある方(かた)ざまへ走りかかりければ、成村も目をかけて逃げけり。心もおかず追ひければ、朱雀門(すざくもん)の方(かた)ざまに走りて脇の門より走り入るを、やがてつめて走りかかりければ、捕へられぬと思ひて、式部省の築地超えけるを引きとどめんとて手をさしやりたりけるに、早く超えければ、異所(ことどころ)をばえ捕へず、片足少し下がりたりける踵(きびす)を沓(くつ)加へながら捕へたりければ、沓の踵に足の皮を取り加へて、沓の踵を刀にて切りたるやうに引き切りて取りてけり。

成村、築地の内に立ちて足を見ければ、血走りてとどまるべくもなし。沓の踵(くびす)切れて失せにけり。我を追ひける大学の衆、あさましく力ある者にてぞありけるなめり。尻蹴つる相撲をも人杖(ひとどゑ)につかひて投げ砕くめり。世の中広ければ、かかる者のあるこそ恐ろしき事なれ。投げられたる相撲は死に入りたりければ、物にかき入れて担(にな)ひて持(も)て行きけり。

この成村、方(かた)の次将(すけ)に、「しかじかの事なん候(さぶら)ひつる。かの大学の衆はいみじき相撲に候ふめり。成村と申すとも、あふべき心地仕(つかまつ)らず」と語りければ、方の次将は宣旨(せんじ)申し下(くだ)して、「式部の丞なりとも、その道に堪へたらんはといふ事あれば、まして大学の衆は何条ことかあらん」とて、いみじう尋ね求められけれども、その人とも聞えずしてやみにけり。

現代語訳

昔、成村という相撲取りがいた。折しも諸国の相撲取りたちが上京し集まって相撲節を待っていたころ、朱雀門に集まって涼んでいたが、その辺りを遊び歩き、大学の東門を過ぎて南の方へ行こうとした。ところが、大学の学生たちが大勢東の門に出て涼み立っていた。彼らはこの相撲取りたちが取り過ぎるのを通せんぼして、「うるさいぞ、静かにしろ」と言って立ち塞がって通さなかった。なんといってもやはり身分の高い人の子弟たちがすることなので破って通るわけにもいかずにいると、中に背の低い学生で、冠や上の衣など他の人よりはいくらかましな物を身につけた者が先頭に出て立ち塞がって、強く制止しようとしている。それをしっかり成村は目をつけておいた。それから「さあさあ帰ろう」と言って、もとの朱雀門に引き揚げた。

そこで成村が言うには、「この大学の学生たちは、憎い奴どもだ。どういうわけで我らを通そうとしないのか。一気に通り抜けようと思ったが、そうはいっても、ともかく今日は通らず、明日は通ろうと思うのだ。背が低くて、あの中でひときわ『静かにせよ』と怒鳴り散らして通すまいと立ち塞がった男は憎い奴だ。明日通ろうとするも、必ず今日のように我らの邪魔をするだろう。なんとかひとつ、その男の尻べたをぜひ血が出るぐらい蹴とばしてくれ」。そういわれた相撲取りは得意げに脇の下を擦りながら、「わしが蹴ったら、とても生きてはおられまいに。力ずくで押し通って行こう」と言った。この尻を蹴れと言われた相撲取りは、うわさに高い力自慢で、走るのも早い様子だったで成村も声を掛けたのであった。さてその日はおのおの家に帰った。

次の日になって、昨日来なかった相撲取りなどを大勢呼び集めて、数の力を頼んで通ろうと企てたのを、大学の学生たちもそれに気づいたのであろう、昨日よりは人数が増えて、やかましく、「静かにしろ」と言い立てたので、この相撲人たちは一団となって通り過ぎようとした。昨日きわだって制止しようとした学生は、案の定、大路の真ん中に立って、通すまいとする様子であった。成村が、「蹴とばせ」と言った相撲取りに目くばせしたので、この相撲人は、人よりも背が高く大きいうえに、若く勇気のある男で、括りひもで高く股立(ももだ)ちをとって、押し進み歩み寄って行く。これに続いて別の相撲取りが一気に通り過ぎようとするのを、かの学生たちも通すまいとするうちに、尻を蹴り上げようとする相撲取りが、どなり立てている学生に向って走りかかり、蹴倒そうと足を高く持ち上げたのを、この学生が背を丸めて身をかわしたので、蹴り損ねて、足が高く上がり、仰向けにひっくり返りそうになった足を大学寮の学生がむんずと掴んだ。

学生は、その相撲取りを、まるで、人が細い杖を持っているようにぶら下げたまま他の相撲取りに走りかかった。それを見て、他の相撲取りは逃げ出した。学生はその相撲取りを追いかけてその手にぶら下げた相撲取りを投げつけたので、その相撲取りは、ふり飛ばされ、約二、三十メートルも投げ飛ばされて、倒れ臥し、体が砕けて起き上がる事もできなくなった。その学生はそのことを気にもかけず、成村のいる方へ走りかかったので、成村も相手の動きをよく見ながら逃げだした。ためらいもなく迷わずに追いかけたので成村は朱雀門の方に走って、腋の門から中に入って行った。しかし追いかけて来た学生は、すぐに追い詰めて走りかかると、成村は捕まえられると思い、式部省の築地を飛び越えた。学生はこれを引き留めようと手を差し伸べたが、成村の飛び越えるのが一瞬早く、他の所を捕まえる事ができず、少し下がった片足の沓を履いたままの踵を捕まえたので、成村は沓の踵に足の皮を残したまま、まるで沓の踵を刀で切ったように引き切られてしまった。

成村が築地の内に立って足を見ると、血が流れ、止まる様子もない。沓の踵が切れて無くなっていた。「自分を追いかけて来た学生は大変な力持ちだったのだなあ。尻を蹴った相撲取りを杖のように扱って、投げ砕いたらしい。世の中は広いので、このような強力の者がいるということは恐ろしい事だ」と思った。投げられた相撲取りは死んでしまったので、何かにかつぎこんで担いで持ち帰った。

この成村は、味方の監督に「これということがありました。あの大学寮の学生は大変な相撲取りと見受けます。さすがにこの成村といえどもとても取り組む気にはなれません」と語ったので、味方の監督は宣旨を願い出て、「たとえ式部の省といえども、その道に優れている者は召すということがあるので、まして若い大学の学生であれば相撲人として召し出してもかまうまい。」と言って、その学生の行方を懸命に探し求められたけれども、ついに、誰のことだかわからず終わってしまったそうだ。

語句

■成村-真髪成村(まかみのなりむら)-常陸の国の力士で村上天皇~円融天皇時代(946~984)に活躍したとされる。大きさ、力共に並ぶものなしと言われた。(今昔巻二三~二五より)■相撲節(すまひのせち)-毎年七月下旬の三日間、宮中で行われた天覧相撲。それに先立ち、二、三月ごろに派遣される相撲使によって諸国から相撲人(力士)が召し集められ、一か月前に上京、近衛府で練習を続けた。■朱雀門(すざくもん)-大内裏の正門。南面中央の門。■大学-式部省に属した大学寮。大内裏の外、二条大路の南、朱雀大路の東、神泉苑の西に位置した。■南ざまに-南の方に。■大学の衆-大学寮の学生たち、五位以上の者の子弟たち。身分意識とともに都人意識が高く、相撲人を田舎者と見下す気風があったか。■通さじとて-通すまいとして。■鳴り制せん。鳴り高し-静まれ、うるさいぞ。大勢の者のざわめきを制止する際の掛声。■さすがに-なんといっても。■やごつなき所の衆ども-身分の高い家柄の子弟ども。■破りてもえ通らぬに-破って通るわけにもゆかないが。■長低(たけひき)らかなる-背丈の低い。■上-袍(ほう)。朝廷に出仕する際に着用する束帯(正装)の上着。■異人よりは少しよろしき-ほかの人よりはいくらかましな者。■すぐれて-きわだって。■いたく制するが-強くとどめている者が。■見つめてけり-よく見極めておいた。あいつが張本人だと成村は目をつけた。■いざいざ-さあさあ。

■何の心に-どういうつもりで。■通さじとはするぞ-通すまいとするのだ。■さもあれ-「さもあらばあれ」の略形。通さないのなら、それでよい。せんずらん-「せんとすらん」の略形。しようとするであろう。するはずだ。■尻鼻-尻べた。■血あゆばかり-血がしたたるほどに。渾身の力を込めて。思いっきり強く。■脇を掻きて-わきの下をさすりながら。得意然として勇み立っている様子。■おのれが蹴てんには-おれが蹴ったならば。■いかにも生かじものを-とても生きてはいまい。■嗷議(がうぎ)にていかめ-力づくで通ろう。■覚えある-うわさに高い。■走りとくなど-走るのが早いなど。

■人勝ちになりて-相手方より上回った人数で。つまり、数の力を頼んで。■構ふる-くわだてる。■さや心得にけん-そうと気づいたのであろうか。■かしがましう-やかましく。■うち群れて歩みかかり-一団となって通りかかり。■すぐれて制せし-きわだってとどめた。■例の事-いつものこと。■すぐれて-めだって。■過ぐさじと-通すまいと。■気色したり-様子をした。■目をくはせければ-(合図の)目くばせをしたので。■長(たけ)高く-丈高く。長身で。■くくり-袴の括りのひもを解いて、裾を高くたくし上げて結んだ様。『江家次第』によれば、相撲人は烏帽子をかぶり、たふさぎ(ふんどし)に狩衣を着、袴の足首をひもで括るという装いであったという。■高やかに-高々と。■ただ通りに通らんとするを-ただ一気に通ろうとするのを。■目をかけて-目を離さずによく見て。■たはめて-かがめて。■ちがひければ-身をかわしたので。■のけざまになるやうにしたる足を-あおむけにひっくり返りそうになった(相撲人)の足を。

■かたへ-かたわら。■ふりぬきて-ふり飛ばされて。■二三段-一段は六間(約1メートル)。したがって約二、三十メートルととてつもなく遠くに投げ飛ばされたことになる。また「一段は六十間(約110メートル)」という説もあるが、ここでは採らない。なお『今昔』には、「二、三尺(約六~九メートリ)」とある。■それをば知らず-それには目もくれず。■成村がある方ざまへ-成村のいる方へ。■目をかけて-相手の動きをよく見ながら。■心もおかず-ためらいもなく迷わずに。成村が相手方の中心人物と写った学生の方も、相撲人の側のかなめにいる人物は成村だと目をつけていた事になる。■やがてつめて-すぐに追いつめて。■捕へられぬと思ひて-つかまってしまうと思って。■式部省-律令における八省の一つ。宮中の儀式や文官の選叙、学政などを司り、大学寮もその所轄。その建物は朱雀門をくぐると、すぐ東隣にあり、追い詰められた成村もそこへ逃げ込もうとした。■さしやりたるけるに-さしのべたところが。■異所(ことどころ)をばえ捕へず-ほかの所をつかまえられず。■沓(くつ)加へながら-沓といっしょに。■取り加へて-つけたままで。

■とどまるべくもなし-とまりそうもない。■あさましく-あきれるほどに。■者とてありけるなめり-者であったようだ。■死に入りたりければ-死んでしまったので。■物にかき入れて-何かにかつぎこんで。

■方(かた)の次将(すけ)-相撲の節会では、左右の近衛府が左方右方に別れ、それぞれに所属する相撲人を持ち、練習の監督もした。ここは成村の属するほうの次将で、節会で審判を務める立場の人物、近衛府の中将か少将が任命された。尚、相撲の節会は、院政期にいったん中絶、のち承安四年(1174)七月に催されたのを最後に途絶えた。■しかじかの-こうこうの。■いみじき-すばらしい。■成村と申すとも、あふべき心地仕(つかま)らず-(この最手である)自分でさえ、相手があまりに強いので、取り組もうという気がしない。「最手(ほて)は当時の横綱格の強者。■宣旨(せんじ)-天皇の御言葉を伝える公文書。詔勅よりも簡略な手続きで出された。■式部の丞-式部省の三等官。かって相撲使が諸国から召し出した相撲人ではなく式部省の丞で取組に出場した例があったことを踏まえたもの。■堪へたらんは-すぐれているような者は。■何条ことかあらん-何の支障もあるまい。相撲人として召し出してもかまうまい。■いみじう-しきりに。■その人とも聞えずして-どの人とも分らないで。■やみにけり-終わってしまった。

備考・補足

■暑い平安京の夏の夜、朱雀門近くで大学寮の学生たちが夕涼みをしている。そのあたりは彼らの縄張り。そこへ同じく地方から招集された巨漢ぞろいの相撲人たちがぞろぞろ近づいて来た。「田舎者どもを縄張りに踏み込ませるな」と、通せんぼする都会人の学生たち。「へなちょこどもめ、出直してやらあ」といったんは引き上げた相撲人たちの屈辱と憤懣(ふんまん)。翌日の夜、両者は、はげしく衝突した。その意外な顛末が活写(生き生きと写しとること)されている。

朗読・解説:左大臣光永