宇治拾遺物語 3-2 藤大納言忠家(とうのだいなごんただいへ)、物いふ女放屁(ほうひ)の事

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今は昔、藤大納言忠家といひける人、いまだ殿上人(てんじやうびと)におはしける時、美々(びび)しき色好(いろごの)みなりける女房と物いひて、夜更(ふ)くる程に、月は昼よりも明(あか)かりけるに堪へかねて、御厨(みす)をうち被(かづ)きて長押(なげし)の上にのぼりて、肩をかきて引き寄せられける程に、髪を振りかけて、「あな、あさまし」といひて、くるめきける程に、いと高く鳴らしてけり。女房はいふにも堪へず、くたくたとして寄り臥(ふ)しにけり。この大納言、「心憂(こころう)き事にもあひぬるものかな。世にありても何(なに)にかはせん。出家せん」とて、御簾の裾(すそ)を少しかき上げて、ぬき足をして「疑ひなく出家せん」と思ひて、二間ばかり行く程に、「そもそもその女房過(あやま)ちせんからに出家すべきやうやはある」と思ふ心またつきて、たたたたと走り出でられにけり。女房はいかがなりけん。知らずとか。

現代語訳

今は昔、藤大納言忠家という人、まだ殿上人でおられる時、 派手で美しい色好みの女房と言いかわして、夜が更けて行くうちに、月は昼間より明るく、女房はその風情に堪えかねて御簾をもたげて、長押の上に上り、女房の肩をかき抱いて引き寄せられたところ、髪を振り乱し、「まあ、恥ずかしいわ」と言って、身体をよじって逃れようとしているうちに、音高く、一発鳴らしてしまった。女房はなにも言うことができず、なよなよとその場に臥してしまった。大納言は、「情けない事になったものだ。世に生きながらえても何になろうか。出家しよう」と、御簾の裾を少しかき上げて、忍び足で「間違いなく出家するぞ」と思い、二間ほど行くうちに、「いったいその女房が間違いをしたからといって、この私が出家しなければならない理由があろうか」 と思い返す心がまた起こって、タタタタと走り出てしまわれた。女房はどうなったのであろうか、誰も知らないそうだ。
                 

語句

■藤大納言忠家-藤原道長の孫、俊成の祖父(1033~91)。『後拾遺集』の作者。二条家の祖。その子の俊忠、孫の俊成、祖孫の定家と続いて、歌道の家として知られる。■殿上人-清涼殿への昇殿を許された四、五位以上の宮廷人と六位の蔵人。忠家は寛徳二年(1045)四月、十三歳で殿上人となり、永承五年(1050)十月、十八歳で参議に昇進した。本話はその間のできごととなる。■美々しき-派手で美しい。■物いひて-言いかわして。■あかかりけるに-あかるかったが。■うち被(かづ)きて-かぶって。■長押(なげし)-寝殿造りの母屋と廂の間との境界上に敷き渡された下の長押。■肩をかきて-肩をかき抱いて。■あな、あさまし-「こんなに月が明るいのに)まあ、なんて恥ずかしい。■くるめきける程に-慌て騒いだ時に。■いと-まことに。■鳴らしてけり-「鳴らす」は音を立てて屁をひること。「おなら」もこの「鳴らす」と関わりのある言葉。■いふにも堪へず-何も言うことができず。■くたくたとして-へなへなとして。■心憂き-情けない。■何にかはせん-何になろうか。■ぬき足をして-忍び足をして。■疑ひなく-間違いなく。■二間-建物の柱と柱の間を一間という。二間は約六~八メートル。■そもそも-いったい。■せんからに-したからといって。■出家すべきやう(様)やは(反語を表す係助詞「や」と、もうひとつの係助詞「は」)ある(係り結びで連体形になった「あり」)。出家しなければならないわけがある。 ■たたたたと-足を小刻みに疾走するさま。■いかがなりけん-どうなったであろうか。

朗読・解説:左大臣光永

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