宇治拾遺物語 3-3 小式部内侍(こしきぶのないし)、定頼卿(さだよりのきやう)の経にめでたる事

≫音声つき【古典・歴史】無料メールマガジンのご案内

スポンサーリンク

原文

今は昔、小式部内侍に定頼中納言物いひわたりけり。それにまた時の関白通ひ給ひけり。局(つぼね)に入(い)りて臥(ふ)し給ひたりけるを知らざりけるにや、中納言寄り来て叩(たた)きけるを、局の人、かくとやいひたりけん、沓(くつ)をはきて行きけるが、少し歩み退(の)きて、経をはたとうちあげて読みたりけり。二声ばかりまでは、小式部内侍きと耳を立つるやうにしければ、この入りて臥し給へる人、あやしと思(おぼ)しける程に、少し声遠うなるやうにて、四声五声ばかり行きもやらで読みたりける時、「う」といひて、後(うし)ろざまにこそ臥しかへれたれ。

この入り臥し給へる人の、「さばかり堪へがたう恥(はづ)かしかりし事こそなかりしか」と、後(のち)にのたまひけるとかや。

現代語訳

小式部内侍が定頼卿の誦経(ずきょう)に感嘆した事

今は昔、小式部内侍に定頼中納言が言いかわし続けていた。その小式部に時の関白教道(のりみち)卿も通っておられた。ある時、関白が小式部の部屋に入って内侍と寝ておられたが、それを知らなかったのだろうか、中納言がやってきて部屋の戸をたたいた。そこで部屋付きの女童がこれこれとわけを言ったのであろうか、沓をはいて出て行ったが、少し歩き去ってからだしぬけに声を張り上げて経を誦(ず)し始めた。二声ほどまでは小式部内侍がはっと耳をそばだてるようにしただけなので、寝ていた関白も変だとはお思いになられたが、そのうち声が少し遠ざかるようなので、かといって行きもせず、四声五声ばかり誦(ず)し続けた時、「ああ」と言って、女は後ろ向きに寝返りをしてしまった。

関白は、「あれほどに堪えがたく恥ずかしい事はなかったよ」と、後におっしゃったということである。

語句

■小式部内侍-和泉守橘道貞の娘。母の和泉式部とともに、一条天皇の中宮上東門院彰子に仕え、歌をよくした。関白藤原教通の子(静円僧正)を産んで、万寿二年(1025)夭死(ようし)。『古事記談』第二「臣節」の載る類話(一七七話)では「上東門院ノ好色ノ女房」とある。■定頼中納言-藤原定頼(995~1045)。大納言公任の子。権中納言、兵部卿。中古三十六歌仙の一人、また能筆家、誦経の名手で美声。寛徳二年(1045)に五十一歳で没。■関白-藤原道長の子教通(996~1075)をさす。ただし教通の関白在任は康平八年(1065)から没年までの老年期。ここは青年期の教通でなければならない。『古事談』は教通ではなく、その兄の「堀川右府(頼宗)とする。承保二年(1075)八十歳で没。■局-小式部内侍が上東門院の殿中に与えられていた私室。■「う」-感嘆・感泣・うめき声。

備考・補足

■「大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」の歌をめぐる小式部内侍と定頼との親しげなやりとりの一件が「十訓抄」にある。定頼は美貌と歌才と博識で知られた名家の貴公子。一方の教通もまた名門中の名門の三男坊。その二人の青年の思いがけない恋の鞘当。情事のさなかに別の男の誦経の声に感動して背を向ける女、こけにされた男の戸惑い。笑えない喜劇。

朗読・解説:左大臣光永