宇治拾遺物語 3-4 山伏、舟折り返す事

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原文

これも今は昔、越前国甲楽城(ゑちぜんのくにかふらき)の渡(わたり)といふ所に、渡りせんとて者ども集りたるに、山伏あり。けいたう坊といふ僧なりけり。熊野(くまの)、御嶽(みたけ)はいふに及ばず、白山(しらやま)、伯耆(はうき)の大山(だいせん)、出雲(いづも)の鰐淵(わにぶち)、大方(おほかた)修行し残したる所なかりけり。

それにこの甲楽城の渡に行きて渡らんとするに、渡せんとする者雲霞(うんか)のごとし。おのおの物を取りて渡す。このけいたう坊、「渡せ」といふに、渡守(わたしもり)聞きも入れで漕(こ)ぎ出(い)づ。その時に、この山伏、「いかにかくは無下(むげ)にはあるぞ」といへども、大方耳にも聞き入れずして漕ぎ出(いだ)す。その時に、けいたう坊、歯を食ひ合せて念珠(ねんず)を揉みちぎる。この渡守見返りて、をこの事と思ひたる気色にて三四丁ばかり行くを、けいたう坊見やりて、足を砂子(すなご)に脛(はぎ)の半(なか)らばかり踏み入れて、目も赤くにらみなして、数珠(ずす)を砕けぬと揉みちぎりて、「召し返せ、召し返せ」と叫ぶ。

なほ、行き過ぐる時に、けいたう坊、袈裟と念珠とを取り合せて、汀(みぎわ)近く歩み寄りて、「護法(ごほふ)、召し返せ。召し返さずば、長く三宝に別れ奉らん」と叫びて、この袈裟を海に投げ入れんとす。それを見て、この集(つど)ひゐたる者ども色を失ひて立てり。

かくいふ程に、風も吹かぬに、この行く船のこなたへ寄り来(く)。それを見て、けいたう坊、「寄るめるは、寄るめるは。早う率(ゐ)ておはせ、早う率(ゐ)ておはせ」とすなはちをして、見る者色を違(たが)へたり。かきいふ程に、一町がうちに寄り来たり。その時、けいたう坊、「さて今は打ち返せ、打ち返せ」と叫ぶ。その時に集ひて見る者ども、一声(ひとこゑ)に「無慙(むざう)の申しやうかな。ゆゆしき罪にも候(さぶら)ふ。さておはしませ、さておはしませ」といふ時、けいたう坊、今少し気色(けしき)変りて、「はや打ち返し給へ」と叫ぶ時に、この渡船(わたしぶね)に廿余人渡る者、づぶりと投げ返しぬ。その時けいたう坊汗を押しののごひて、「あな、いたのやるばらや。まだ知らぬか」といひて立ち帰りにけり。世の末なれども、三宝おはしましけりとなん。

現代語訳

これもい、今は昔、越前国甲楽城(ゑちぜんのくにかふらき)の渡(わたり)といふ所に、海を渡ろうとして集まった人の中に一人の山伏がいた。けいとう坊という僧だった。熊野、御嶽は言うに及ばず、白山、伯耆(はうき)の大山(だいせん)、出雲(いづも)の鰐淵(わにぶち)などで大方の修行を積み、修行し残した所は無かった。

それが、この甲楽城の渡に来て、海を渡ろうとすると、同じく渡ろうとする者が雲霞のよう群れをなしている。渡守は一人一人から渡し賃を取って渡していた。このけいとう坊は、渡し賃を渡さず、強引に、「船に乗せろ」と言ったが、渡守はそれを聞き入れもせず船を漕ぎ出す。その時にこの山伏、「どうして、こんな無情なまねをするのだ」と言ったが、渡守はまったく耳にも聞き入れず漕ぎ出して行った。その時に、けいとう坊は歯を食いしばり、数珠を揉みに揉んだ。この渡守は振り返って、馬鹿なことをするものだと思ったような様子で三、四丁ばかり漕ぎ進んで行くのをけいとう坊は見やりながら、足を砂に脛の半分ほどまで踏み入れ、目を血走らせて睨み、数珠よ砕けよとばかり揉みに揉んで、「戻せ、戻せ」と叫んだ。

それでもなお船は漕ぎ進んで行った。そこで、けいとう坊は袈裟と数珠を一緒に持って、水際近くに歩み寄り、「護法、戻せ。もし戻さずば仏法とはこれっきりお別れ申そう」と叫んで、この袈裟を海に投げ入れようとする。それを見て、この渡し場に参集していた人々は顔色を失って立っていた。

こう言っているうちに、風も吹かないのに、この漕ぎ行く船がこちら側へ寄って来る。それを見て、けいとう坊は、「寄ってくるぞ、寄って来るぞ。護法よ、早く連れて来い、連れて来い」と、数珠を片手に持ち替え、振り回すと、それを見ていた者たちはさらに顔色が変わった。こう言っていると、一町近くまで船が寄って来た。その時、けいとう坊は、「さあ、今度はひっくり返せ、ひっくり返せ」と叫ぶ。その時に集まって見ていた人々は、口を揃えて、「それは残酷な申しようです。とんでもない罪になります。そのままにしておいて下さい。そのままにしておいて下さい」と言う時、けいとう坊は、いくらか顔色を変えて、「さあ、ひっくり返したまえ」と叫ぶ時に、この渡船に乗っていた二十数人の人たちは、ざんぶと海に投げ出された。その時、けいとう坊は汗を押し拭って、「ああ、笑止な者どもじゃ、仏法の威力をまだわからぬか」と言って、立ち去った。末法の世だが仏法の霊験はあらたかであると人々は語り合ったという。

■越前国甲楽城(ゑちぜんのくにかふらき)の渡(わたり)-福井県南条郡河野村にあった渡し場。敦賀港の西北約に20キロメートルの地点。現在も甲楽城(かふらき)。古くは「蕪木」とも。■けいたう坊-伝未詳。■熊野-和歌山県の熊野三山(本宮、速玉、那智)、熊野三所権現を言う。以下、古くからの山伏修験道の修行霊場が列挙される。■御嶽(みたけ)-吉野の金峰山。■白山(しらやま)-加賀の白山。■伯耆(はうき)の大山(だいせん)-鳥取県西部にある標高1729メ^トルの高山。山頂に慈覚大師の創建とされる大山寺がある。■出雲(いづも)の鰐淵(わにぶち)-島根県平田市にある天台宗の古刹、鰐淵寺。武蔵坊弁慶の修行地の一つと伝えられる。■雲霞-大勢が群集する形容。■物を取りて-船賃(貸し賃)を取って。■渡せ-船に乗せて渡せ。つまり船に乗せろ。山伏はおそらく当然のことのように船賃を渡しもせずに強引に言い迫った。■無下(むげ)-無情で腹が立つひどさ。■をこの事-おろかな事。ばかな事。■なほ-引き返さずにそのまま。■護法-護法童子、護法天童。仏法および仏教徒を守護する主に天部の神々(天)のこと。■三宝-仏・法・僧の総称。山伏の修行する修験道は仏教の密教の法に基づくもの。数珠を持ち、袈裟をかける服装にも仏教僧との関連がうかがわれるが、護摩木を焚き、呪文を唱える行法と山中での難行苦行をして法験力を体得する点には共通性は明白である。■この集(つど)ひゐたる者ども-この渡し場に参集していた人々。■すなはち-「珠(ず)放ち」で、それまで両手で揉んでいた数珠を片手に持ち直してX字を書くように空を切る所作か。■いたのやつばらや-「かたはらいたのやつばらや」の意。笑止な者どもじゃ。■まだ知らぬか-山伏の(または吾輩の)法験力のほどはこんなものだ、わかったか、という勝利宣言。■末法の世-仏の教のみが存在して悟りに入る人がいない時期のこと。または、釈迦の死後1500年(または2000年)以降の時期のことである。                                                         

朗読・解説:左大臣光永