宇治拾遺物語 3-10 同人仏事(ぶつじ)の事

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原文

今は昔、伯(はく)の母仏供養(ほとけくよう)しけり。永縁僧正(やうえんそうじやう)を請(しやう)じて、さまざまの物どもを奉る中に紫の薄様(うすやう)に包みたる物あり。あけて見れば、

朽(く)ちにける長柄(ながら)の橋の橋柱(はしばしら)法(のり)のためにも渡しつるかな
長柄の橋の切(きれ)なりけり。

またの日つとめて、若狭阿闍梨隆源といふ人、歌よみなるが来たり。「あはれ、この事を聞きたるよ」と僧正思(おぼ)す。み懐(ふところ)より名簿(みやうぶ)を引き出でて奉る。「この橋の切賜(きれたまは)らん」と申す。僧正、「かばかりの稀有(けう)の物はいかでか」とて、「何(なに)しにか取らせ給はん。口惜し」とて、帰りにけり。すきずきしくあはれなる事どもなり。

現代語訳

今は昔、伯の母が仏像の開眼供養をした。永縁僧正をお招きして、いろいろなものをお布施としてさしあげた中に、紫の薄い鳥の子紙に包んだ物がある。開けてみると、

朽ちた長柄川の橋の柱を仏さまのへのお布施としてお渡しいたします。と書いてあり、包まれていたのは、長良川の橋の切れ木なのであった。

次の日朝早く、若狭阿闍梨隆源という歌人がやってきた。「ははぁ、さてはこの事を聞いたな」と僧正はお思いになった。歌人は、隆源は懐から名簿を取り出してさし出し、永遠の弟子となる気持ちを示してから、「この橋の木切をいただきたいと存じます」と言った。僧正が、「こんなに珍しく貴重な物をどうしてさしあげられましょう」と言うと、「いかにも私にはお譲りにはなれないでしょうね。やむをえませんが残念です」と言って、帰っていった。歌道への執心ぶりに感動させられる話である。

語句

■仏供養-完成した仏像に魂を入れるための法要。開眼の供養。■永縁僧正-藤原永相の子で、興福寺別当を勤めた初音の僧正(1048~1125)花林院権僧正とも。『金葉集』以下に二十六首入集。■請(しやう)じて-お招きして。■奉る-さし上げる。■薄様-薄手の鳥の子紙。雁皮紙。■長柄の橋-淀川の支流の長柄川に弘仁三年(812)に架けられた橋。朽ちはてて古いものの比喩に使われてきた歌枕。■またの日-つぎの日。■つとめて-朝早く。■若狭阿闍梨隆源-若狭守藤原通宗の子隆源。叔父にあたる『後拾遺集』の撰者通俊の生母は、伯の母の妹。三井寺の僧で、歌学書『隆源口伝』の筆者。■あはれ-ああ。■思(おぼ)すに-お思いになるが。■名簿-入門や服従の意思表示の証拠としてさしだす姓名などを記した名札。■賜らん-いただきましょう。■かばかりの-これほどの。■稀有の物-珍しく貴い物。■いかでか-どうしてお渡ししようか。■何しにか取らせ給はん-どうしたらお渡しくださいましょうか。■くちなし-(やむをえませんが)残念です。■すきずきしく-歌道に熱心で。■あはれなる-感動させられる。

備考・補足

■初音の僧正が伯の母から歌枕のゆかりの珍品を供養のお布施として入手したと知るや、その翌朝早々僧正の元に駈けつけ、あわよくばその珍品を譲り受けようと隆源は弟子の礼をとったが、拒絶されたという、僧正と阿闍梨という数寄者同士のおかしなやりとり。『枕草子』巻三には、能因法師が長柄の橋のかんな屑を錦の袋に入れて肌身離さず持ち歩いていたという類話が見える。

■『古本説話集』にも、この説話と同話にあたるものがあって、、伯の母に関わる和歌説話としてあげられている。歌枕の長柄の橋については、『袋草子』や『愚秘抄』に能因法師が錦の袋にその削り屑を入れたと伝えられ、『古今著聞集』や『明月記』などに、後鳥羽院がその橋柱で文台を作ったと伝えられる。そのように、歌人の仲間では、この橋の切れ端までを重んじたのであって、隆源の執着についても、「すきすきしく、さはれなることどもなり」と評されている。

朗読・解説:左大臣光永