宇治拾遺物語 3-12 多田新発郎等(ただしんぱちらうどう)の事

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これも、今は昔、多田満仲のもとに孟(たけ)く悪(あ)しき郎等(らうどう)ありけり。物の命を殺すをもて業(わざ)とす。野に出(い)で、山に入りて鹿を狩り鳥を取りて、いささかの善根(ぜんごん)する事なし。ある時出でて狩(かり)する間、馬を馳(は)せて鹿追ふ。矢をはげ、弓を引きて、鹿に随(したが)ひて走らせて行く道に寺ありけり。その前を過ぐる程に、きと見やりたれば、内に地蔵(ぢざう)立ち給へり。左の手を持ちて弓を取り、右の手して笠(かさ)を脱ぎて、いささか帰依(きえ)の心をいたして馳せ過ぎにけり。

その後(のち)いくばくの年を経ずして、病(やまひ)つきて、日比(ひごろ)よく苦しみ煩(わずら)ひて、命絶えぬ。冥途(めいど)に行き向ひて、閻魔(えんま)の庁(ちやう)に召されぬ。見れば、多くの罪人、罪の軽重に随ひて打ちせため、罪せらるる事いといみじ。我(わ)が一生の罪業(ざいごふ)を思ひ続くるに、涙落ちてせん方(かた)なし。

かかる程に、一人(ひとり)の僧出(い)で来(き)たりて、のたまはく、「汝(なんぢ)を助けんと思ふなり。早く故郷(ふるさと)に帰りて、罪を懺悔(ざんげ)すべし」とのたまふ。僧に奉りて曰(いは)く、「これは誰(たれ)の人の、かくは仰(おほ)せらるるぞ」と。僧答え給はく、「我は汝(なんぢ)鹿を追うて寺の前を過ぎしに、寺の中にありて汝に見えし地蔵菩薩(ぢざうぼさつ)なり。汝罪業深長(ざいごふじんぢゆう)なりといへども、いささか我に帰依(きえ)の心の起こりし功によりて、吾(われ)いま汝を助けんとするなり」とのたまふと思ひてよみがへりて後(のち)は、殺生(せつしやう)を長く断ちて、地蔵菩薩につかうまつりけり。

現代語訳

これも、今は昔、多田満仲のところに、荒々しく悪い家来がいた。生き物を殺して生業としている。野に出て、山に入り鹿を狩り、鳥を追いかけて、わずかの善行もしなかった。ある時、いつものように野に出かけて狩りをする間、馬を走らせ鹿を追いかける。矢をつがえ、弓を引いて、鹿を追いかけて行く道の途中に寺があった。その前を通り過ぎるとき、一瞬、ちらりとその寺を見ると、中に地蔵様が立っておられる。左手で弓を取り、右手で笠を脱ぎ、少しばかり、信心する気持ちを示して走って通り過ぎた。

その後、何年も経たないうちに、彼は病気にかかり、何日もひどく苦しみ煩ったあと、亡くなった。冥途へ行って閻魔大王の法廷に呼び出された。見ると、たくさんの罪人がその罪の軽重に随って罰せられていたが、それが実に手厳しい。この男も、自分の一生の罪深い悪業を思い続けると、涙が落ちて、どうしようもない。

こうしているうちに、一人の僧が出て来て、「お前を助けようと思う。早く人間界に戻って罪を悔い改めるがよかろう」と仰せられる。「これはどなた様が、このように仰せられるのですか」とその僧にお尋ねする。すると僧が答えて、「私はお前が鹿を追いかけて寺の前を通り過ぎたとき、寺の中にあってお前の目に入った地蔵菩薩である。お前の罪は深くて重いものだが、わずかにお前が仏をうやまう気持ちを起こしたという功によって、私は今お前を助けようとしているのだ」と仰せられたと思うや生き返った。

その後は、生き物を殺す事をぷっつりと止め、地蔵菩薩にお仕え申し上げたという。

語句

■多田満仲-源満仲(912~997)。清和源氏経基の長子。諸国の守を歴任、佐馬頭、鎮守府将軍。摂津国多田(兵庫県川西市)に住み、寛和二年(986)八月出家、法名満慶。出家の経緯は『今昔』巻十九-四話に詳しい。■孟(たけ)く悪(あ)しき-あらあらしく悪い。■郎等-家来。中世の武士の家臣で、主人と結縁の関係が無く、自身で所領を持たない者。■業とす-仕事とする。■いささかの-わずかの。■善根-良い結果を招く元となる行為(仏教語)具体的には仏像礼拝、経典書写・読誦、布施・供養などの仏・法・僧への敬信(尊敬し、信頼すること。うやまい、信じること。)行為をさす。■馳せて-走らせて。■矢をはげ-矢をつがえ。■鹿にしたがひて-鹿の後を追って。■きと-ちらりと一瞬。■地蔵-地蔵菩薩。地獄に落ちた衆生の苦を救うとされている。■帰依の心-うやまう気持ち。信心する気持ち。■いたして-起こして。

■いくばくの年を経ずして-何年も経たないで。■病つきて-病気にかかって。■日比よく-何日もひどく。■冥途-死者の霊魂の赴く世界。■行きむかひて-出かけていって。■閻魔の庁-十八人の将官と獄卒を従える地獄の大王のいる王庁。地獄に落ちた死者はそこで生前の所行の罪悪を調べられ、閻魔大王によって刑罰が裁定される。■打ちせため-責めさいなまれ。■いといみじ-まことにひどい。■罪業-「物の命を殺すをもて業とす」と紹介されていた殺生の行為。■涙落ちて-『今昔』巻十七-二四話では、後悔・反省の涙ではなく、厳罰を免れ得ないことを悲嘆する涙。■せん方なし-どうしようもない。

■かかる程に-こうしているうちに。■一人の僧-『今昔』では、「其の形端厳(たんごん)<端正な小僧>とする。■故郷-人間界、娑婆世界。■汝に見えし-お前の目に入った、お前の目に映った、の意。■懺悔-過去の罪悪を悔いて、仏菩薩などに詫びること。■かくは-このように■深長(じんぢゆう)-深く重い。■心の起こりし功-書陵部本は、「心を起こしし業」とする。その業は業因、すなわち善悪につけて将来ある果報を招く原因となる行為の意。。■断ちて-止めて。■つかうまつりけり-お仕え申し上げたという。

朗読・解説:左大臣光永

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