宇治拾遺物語 3-14 伏見修理大夫俊綱(ふしみのすりのだいぶとしつな)の事

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原文

これも今は昔、伏見修理大夫は宇治殿の御子にておはす。あまり公達(きんだち)多くおはしければ、やうを変へて橘俊遠(たちばなのとしとほ)といふ人の子になし申して、蔵人(くらうど)になして、十五にて尾張守(をはりのかみ)になし給ひてけり。それに尾張に下(くだ)りて国行ひけるに、その比熱田神(ころあつたのかみ)いちはやくおはしまして、おのづから笠(かさ)をも脱がず、馬の鼻を向け、無礼(むらい)をいたす者をば、やがてたち所に罰せさせおはしましければ、大宮司(だいぐうじ)の威勢、国司にもまさりて、国の者どもおぢ恐れたりけり。

それにこの国司下(くだ)りて国の沙汰(さた)どもあるに、大宮司、我はと思ひてゐたるを、国司咎(とが)めて、「いかに大宮司ならんからに、国にはらまれては見参(げんざん)にも参らぬぞ」といふに、「さきざきさる事なし」とてゐたりければ、国司むつかりて、「国司も国司にこそよれ。我らにあひてかうはいふぞ」とて、いやみ思ひて、「知らぬ所ども点(てん)ぜよ」などいふ時に、人ありて大宮司にいふ。「まことにも国司と申すに、かかる人おはす。見参に参らせ給へ」といひければ、「さらば」といひて衣冠(いくわん)に衣出(きぬいだ)して、供の者ども三十人ばかり具(ぐ)して、国司のがり向ひぬ。国司出であひて対面(たいめん)して、人どもを呼びて、「きやつ、たしかに召し籠(こ)めて勘当(かんだう)せよ。神官といはんからに、国中にはらまれて、いかに奇怪(きくわい)をばいたす」とて、召したててゆぶねに籠(こ)めて勘当す。

その時、大宮司、「心憂(こころう)き事に候(さぶら)ふ。御神はおはしまさぬか。下﨟(げらふ)の無礼(むらい)をいたすだにたち所に罰せさせおはしますに、大宮司をかくせさせて御覧ずるは」と、泣く泣くくどきてまどろみたる夢に、熱田(あつた)の仰(おほ)せらるるやう、「この事におきては我(わ)が力及ばぬなり。その故(ゆゑ)は僧ありき。法華経を千部読みて我に法楽(ほふらく)せんとせしに、百余部は読み奉りたりき。国の者ども貴(たふと)がりて、この僧に帰依(きえ)しあひたりしを、汝(なんじ)むつかしがりて、その僧を追ひ払ひてき。それにこの僧悪心を起こして、『我この国の守(かみ)になりて、この答(こたへ)をせん』とて生れ来て、今国司になりてければ、我が力及ばず。その先生(せんじやう)の僧を俊綱(すんがう)といひしに、この国司も俊綱(としつな)といふなり」と、夢に仰せありけり。人の悪心はよしなき事なりと。

現代語訳

これも今は昔、伏見修理大夫は宇治殿の御子であられた。あまり御子たちが大勢おられたので、橘俊遠(たちばなのとしとほ)といふ人の所に養子に出して、蔵人となし、十五歳の時、尾張の国守に任ぜられたのであった。そこで彼は尾張に下って国政を執ったが、その頃、熱田神宮は神威があらたかであられて、うっかりして笠をも脱がず、馬の鼻先を向けたり、無礼な態度をとったりする者には、すぐにその場で神罰をお与えになったので、大宮司の威勢は国司より強く、国内の者たちは怖がり恐れていた。

そういうところへこの国司が下って、国政の処理などをするのに、大宮司が我こそは思いあがっていたのを、国司が咎め、「いかに大宮司だからといって、この国に生まれた者であるのに挨拶にもまかり来ないという法があるか」と言うのを、「これまでにそのような事はない」と言って挨拶に行かないので、俊綱は不快になって憤り、「国司も国司によるのだ。この俺様に向ってそのような大口をたたくのか」と言って、憎たらしく思い、「大宮司の土地を没収せよ」などと命じたので、それを聞いたある人が、「一口に国司といってもこういう人もおられるのだ。とにかくご挨拶に伺いなさい」と言ったので、「それでは」と言って、衣冠(いくわん)の正装に出衣(いだしぎぬ)にして、供の者たち三十人ばかり引き連れて国司のもとへ向かった。国司は出で合い対面して、臣下の者たちを呼んで、「あいつめを、しっかりと召し捕らえて処罰せよ。神官とは言うものの、この国に生まれておりながら、実に不届きな事をする」と言って、呼び出し引き立ててしばりあげ湯船に閉じ込めて処罰した。

その時、大宮司は、「何とも情ない事でございます。神様はおられないのか。下賤の者が無礼をしたらすぐに罰せられるのに、大宮司をこのようなひどい目に遭わせて黙っておられるとは」と、泣きながら訴えて、まどろんだ夢の中で、熱田の神が仰せられるには、「この事については我が力は及ばす。その故は前世に僧がいたからだ。この僧は法華経を千部唱えて我を供養しようとしてすでに百余部は唱え終わった。国の者たちが敬って、この僧に帰依し合ったのを、お前が嫌って、その僧を追い払ってしまった。その事をこの僧が恨みに思い、「自分はこの国の国守になって、報復するぞ」と誓って生まれ変り、今国司になっているのだから、自分の力ではどうしようもないのだ。その前世の僧の名を俊綱(すんがう)といったので、この国司も俊綱(としつな)というのだ」と夢の中で仰せられた。人の悪心とはつまらない事だとか。

語句

■伏見修理大夫-藤原俊綱(1028~94)。摂政関白頼通の子。母は源祇子(進命婦。?~1053)。兄に師実、通房がいる。母の祇子が懐妊中に讃岐守橘俊遠に嫁したので、はじめ俊遠の子となし、後年、頼通の子に直した。官位は正四位下、修理大夫(修理職の長官)どまりだが、諸国の国守を歴任して富を蓄え、『今昔』巻四によれば、伏見の邸宅は数奇を凝らした豪邸であったという。(→巻第五ノ二話)『後拾遺集』以下に十二首入る。■宇治殿-藤原頼通(→巻第一ノ九話)■やうを変へて-様子を変えて。■橘俊遠(たちばなのとしとほ)-大和守橘俊済の子。讃岐守、従四位下。子に肥後守俊経がいる。■蔵人-蔵人所の職員。天皇に近侍して宣旨の伝達、文書の奏上、諸儀式の準備など宮中の大小の雑事を処理した。■それに-そこで。■国行ひけるに-国政を執ったが。■熱田神-現在の名古屋市熱田区に鎮座する熱田神宮の祭神日本武尊(やまとたけるのみこと)。神体は草薙(くさなぎ)の剣。伊勢神宮と同じく、天皇家の祖神として崇拝された。■いちはやくおはしまして-神威(神の威光、威力)があらたか(神仏の霊験や薬効が著しいさま)であられて。■おのづから-たまたま、うっかりして。■やがて-すぐに。その場で。■罰せさせおはしましければ-神罰をお与えになったので。■大宮司-熱田の大宮司。代々尾張氏が世襲していた。ここは伊勢守尾張員信の子の員数(もとかず)あたりがモデルとされたか。彼は寛徳二年(1045)から応徳元年(1084)まで大宮司の地位にあった。■おぢ恐れたりけり-怖がり恐れていた。

■それに-そういうところへ。■国の沙汰どもあるに-国政の処理などをするに。■我はと思ひてゐたるを-我こそはと思いあがっていたのを。■ならんからに-だからとって。■はらまれて-生まれた者でありながら。■見参にも参らぬぞ-挨拶にもまかり出てこない法があるか。■さきざき-これまでに。■むつかりて-不快に感じて憤る。不機嫌になって怒る。■我らにあひて-この俺様に向って。「我ら」はここでは単数。■知らんところども点ぜよ-知行している土地(領地)を摘発・没収せよ。「点ず」は削る・の除くの意。すでに不正に領有している土地があることを把握している者の指示。これまでのように黙認はしないぞ、という威嚇。また、不正な土地の所有はないか点検せよの意にもとれるが、それでは、両者のやりとりに緊迫感が生じない。■まことにも-いかにも。■国司と申すに-国司と申しても。■かかる人おはす-このような人がおいでになるものだ。■見参に参らせ給へ-ご挨拶に伺いなさい。■衣冠-束帯に次ぐ略式の礼装。冠・袍(ほう)・指貫(さしぬき)・腰帯をつけ、笏(しやく)の代りに檜扇を持つ。■衣出(きぬいだ)し-直衣(なおし)の下、指貫の上に衣の裾を出して、出(いだ)し衣と称する着方。■のがり-…のもとへ。…のいる所に。 ■勘当-犯した罪科によって罰を加えること。

■心憂き事-情ない事。■法楽-神仏を喜ばせる行為,すなわち読経(どきよう)、奏楽、献歌などを法楽と呼ぶようになった。■汝むつかしがりて-(その時も)大宮司であったお前が憤慨して。この一節が前出の「国司むつかりて」と対応して、因果の報いを暗示している。■悪心-大宮司を恨み呪う心。■この答へせん-この仕返しをしてやるぞ。■その先生の僧-その先の世での、生まれ変る前のお前が追い払った僧。■よしなきこと-つまらないこと。

備考・補足

■熱田神社の公然たる国衙(こくが)領<平安時代後期以後,私領である荘園に対して,国衙すなわち国司の直接支配下にある土地をいう。古くは,国司が管理していた公田をさした。>の侵犯にもかかわらず、その威勢の前には手の施しようがないままに黙認させられてきた代々の尾張守の鬱憤を解消させるために仕組まれたような報復譚。「十五歳の国守の赴任」という国守の年齢の異様な若さの意味も報復したい相手がまだこの世に存命していることが必要であったという事情によって説明がつく。九巻本『宝物集』第六の類話では、大宮司は奉加(寄付金)を求めた僧に水をかけて追いだし、恨みをかったことになっている。

朗読・解説:左大臣光永