宇治拾遺物語 3-16 雀(すずめ)報恩の事

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今は昔、春つかた、日うららかなりけるに、六十ばかりの女のありけるが、虫打ち取りてゐたりけるに、庭に雀のしありきけるを、童部(わらはべ)石を取りて打ちたれば、当たりて腰をうち折られにけり。羽をふためかして惑ふ程に、烏(からす)のかけりありきければ、「あな心憂(こころう)。烏取りてん」とて、この女急ぎ取りて、息(いき)しかけなどして物食はす。小桶に入れて夜(よる)はをさむ。明くれば米食はせ、銅(あかがね)、薬にこそげて食はせなどすれば、子ども孫など、「あはれ、女刀自(をんなとじ)は老いて雀飼はるる」とて憎み笑ふ。

かくて月比(つきごろ)よくつくろへば、やうやう躍(をど)り歩(あり)く。雀の心にも、かく養ひ生(い)けたるをいみじくうれしうれしと思ひけり。あからさまに物へ行くとても、人に、「この雀見よ。物食はせよ」など言ひ置きければ、子孫(こまご)など、「あはれ、なんでふ雀(すずめ)飼はるる」と憎み笑へども、「さはれ、いとほしければ」とて飼ふ程に、飛ぶ程になりにけり。「今はよも烏(からす)に取られじ」とて、外(ほか)に出(い)でて手に据ゑて、「飛びやする。見ん」とて、ささげたれば、ふらふらと飛びて往(い)ぬ。女、「多くの月比日比(つきごろひごろ)、暮るればをさめ、、明くれば物食はせ習ひて、あはれや飛びて往ぬるよ。また来やすると見ん」など、つれづれに思ひていひければ、人に笑はれけり。

さて廿日ばかりありて、この女のゐたる方に雀のいたく鳴く声しければ、「雀こそいたく鳴くなれ。ありし雀の来るにやあらん」と思ひて出でて見れば、この雀なり。「あはれに、忘れず来たるこそあはれなれ」といふ程に、女の顔をうち見て、口より露(つゆ)ばかりの物を落して置くやうにして飛びて往ぬ。女、「何(なに)にかあらん。雀の落して往ぬる物は」とて寄りて見れば、瓢(ひさこ)の種をただ一つ落して置きたり。「持(も)て来たる、やうこそあらめ」とて、取りて持ちたり。「あないみじ。雀の物得て宝にし給ふ」とて子ども笑へば、「さはれ、植ゑて見ん」とて植ゑたれば、秋になるままに、いみじく多く生(お)ひ広ごりて、なべての瓢にも似ず、大きに多くなりたり。女悦(よろこ)び興じて、里隣の人にも食はせ、取れども取れども尽きもせず多かり。笑ひし子孫(こまご)もこれを明け暮れ食ひてあり。一里配り(ひとさとくば)りなどして、果てにはまことにすぐれて大きなる七つ八つは瓢にせんと思ひて、内につりつけて置きたり。

さて月比(つきごろ)へて、「今はよくなりぬらん」とて見れば、よくなりにけり。取りおろして口あけんとするに、少し重し。あやしけれども切りあけて見れば、物一(ひと)はた入りたり。「何(なに)にかあるらん」とて移して見れば、白米の入りたるなり。思ひかけずあさましと思ひて、大きなる物に皆を移したるに、同じやうに入れてあれば、「ただ事にはあらざりけり。雀のしたるにこそ」と、あさましくうれしければ、物に入れて隠し置きて、残りの瓢(ひさこ)どもを見れば、同じやうに入れてあり。これを移し移し使へば、せん方なく多かり。さてまことに頼もしき人にぞなりにける。隣里(となりざと)の人も見あさみ、いみじき事に羨(うらや)みけり。

この隣にありける女の子どものいふやう、「同じ事なれど、人はかくこそあれ、はかばかしき事もえし出(い)で給はぬ」などいはれて、隣の女、この女房のもとに来たりて、「さてもさても、こはいかなりし事ぞ。雀のなどはほの聞けど、よくはえ知らねば、もとありけんままにのたまへ」といへば、「瓢の種を一つ落したりし植ゑたりしよりある事なり」とて、こまかにもいはぬを、なほ、「ありのままにこまかにのたまへ」と切(せつ)に問へば、「心狭(せば)隠すべき事かは」と思ひて、「かうかう腰折れたる雀のありしを飼ひ生けたりしを、うれしと思ひけるにや、瓢の種を一つ持ちて来たりしを植ゑたれば、かくなりたるなり」といへば、「その種一つ賜(た)べ」といへば、「それに入れたる米などは参らせん。種はあるべき事にもあらず。さらにえなん散らすまじ」とて取らせねば、「我はいかで腰折れたらん雀見つけて飼はん」思ひて、目をたてて見れど、腰折れたる雀さらに見えず。

つとめてごとに窺(うかが)ひ見れば、せどの方(かた)に米の散りたるを食ふとて雀の躍(をど)り歩(あり)くを、石を取りてもしやとて打てば、あまたの中にたびたび打てば、おのづから打ち当てられて、え飛ばぬあり。悦(よろこ)びて寄りて腰よくうち折りて後に、取りて物食はせ、薬食はせなどして置きたり。「一つが徳をだにこそ見れ。ましてあまたならばいかに頼もしからん。あの隣の女にはまさりて、子どもにほめられん」と思ひて、この内に米撒(ま)きて窺(うかが)ひゐたれば、雀ども集りて食ひに来たれば、また打ち打ちしければ、三つ打ち折りぬ。「今はかばかりにてありなん」と思ひて、腰折れたる雀三つばかり桶(をけ)に取り入れて、銅(あかがね)こそげて食はせなどして月比経(つきごろふ)る程に、皆よくなりにたれば、悦びて外(と)に取り出でたれば、ふらふらと飛びてみな往(い)ぬ。「いみじきわざしつ」と思ふ。雀は腰うち折られて、かく月比籠(こ)め置きたる、よに妬(ねた)しと思ひけり。

さて十日ばかりありて、この雀ども来たれば、悦びて、まづ「口に物やくはへたる」と見るに、瓢(ひさこ)の種を一つづつみな落して往ぬ。「さればよ」とうれしくて、取りて三所(みところ)に植ゑてけり。例よりもするすると生(お)ひたちて、いみじく大きになりたり。これはいと多くもならず、七つ八つぞなりたる。女、笑(ゑ)みまけて見て、子どもにいふやう、「はかばかしき事し出(い)でずといひしかど、我は隣の女にはまさりなん」といへば、げにさもあらなんと思ひたり。これは数の少なければ、米多く取らんとて、人には食はせず、我も食はず。子どもがいふやう、「隣の女房は里隣(さとどなり)の人にも食はせ、我も食ひなどこそせしか。これはまして三つが種なり。我も人にも食はせらるべきなり」といへば、さもと思ひて、「近き隣の人にも食はせ、我も子どもにももろともに食はせん」とて、おほらかににて食ふに、にがき事物にも似ず。黄蘗(きはだ)などのやうにて心地惑ふ。食ひと食ひたる人々も、子どもも我も、物をつきて惑ふ程に、隣の人どももみな心地を損じて、来集りて、「こはいかなる物を食はせつるぞ。あな恐ろし。露(つゆ)ばかりけふんの口に寄りたる者も、物をつき惑ひ合ひて死ぬべくこそあれ」と、腹立ちて、「いひせためん」と思ひて来たれば、主(ぬし)の女を始めて子どももみな覚えず、つき散らして臥(ふ)せり合ひたり。いふかひなくて、共に帰りぬ。ニ三日も過ぎぬれば、誰々(たれたれ)も心地直りにたり。女思ふやう、「みな米にならんとしけるものを、急ぎて食ひたれば、かくあやしかりけるなめり」と思ひて、残りをば皆つりつけて置きたり。

さて月比経(つきごろへ)て、「今はよくなりぬらん」とて、移し入れん料(れう)の桶(をけ)ども具(ぐ)して、部屋に入る。うれしければ、歯もなき口して耳のもとまで一人笑(ひとりゑ)みして、桶を寄せて移しければ、虻(あぶ)、蜂(はち)、むかで、とかげ、蛇(くちなは)など出でて、目鼻ともいはず、一身(ひとみ)に取りつきて刺せども、女痛さも覚えず。ただ「米のこぼれかかるぞ」と思ひて、「しばし待ち給へ、雀(すずめ)よ。少しづつ取らん」といふ。七つ八つの瓢(ひさこ)より、そこらの毒虫ども出でて、子どもをも刺し食ひ、女をば刺し殺してけり。雀の、腰をうち折られて、妬(ねた)しと思ひて、万(よろず)の虫どもを語らひて入れたりけるなり。

隣の雀は、もと腰折れて烏(からす)の命取りぬべかりしを養ひ生けたれば、うれしと思ひけるなり。されば物羨(うらや)みはすさまじき事なり。

現代語訳

今は昔、春の頃、うららかな日差しの下で六十ぐらいの老女が虱を取っていた時に、庭に雀が跳ね回っていたのに子どもが石を拾って投げつけると、それが当り、腰が折れてしまった。羽をばたばたさせてうろたえているうちに、空を烏が飛び回っていたので、「ああ、可哀想に。このままでは烏が捕ってしまうわい」と言って、怪我をした雀をすばやく手に取り上げ、息を吹きかけなどして、食べ物を与えた。小さな桶に入れ、夜になったらしまい、夜が明けると、米を食わせ、銅を薬として削って与えたりしたので、子どもや孫などが、「なんと、お婆さんは年をとってから雀を飼いなさる」と言ってひやかして笑った。

こうして幾月も手厚く介抱してやったので、だんだんと跳ね歩けるようにもなった。雀も心のうちで、このように養い生かしてくれたのを、たいそう嬉しい事に思っていた。ちょっとどこかに出かける時にも、家人に、「この雀の世話をしなさい。食べ物を与えなさい」などと言い置いたので、子孫などは、「ああ、どうして雀なんぞ飼っているのか」と言って、冷やかして笑うが、「とにかく、かわいそうなので」と言って、飼っているうちに、飛べるくらいに回復した。「今となっては、まさか烏に捕られることもこともあるまい」と言って、外に出て、手の平に乗せ、「飛べるかどうか試してみよう」と言って、さしあげたところが、ふらふらと飛んで行ってしまった。老女は長い月日、日が暮れるとしまい、夜が明けると物を食わせる慣わしであったので、「ほんにまあ、飛んで行ったよ。また来るであろうかと待っていよう」など、手持無沙汰に思って言ったので家の者に笑われてしまった。

それから二十日ほど過ぎて、この老女のいる近くで、うるさく雀の鳴く声がしたので、「まあ、雀がずいぶん鳴いている。あの雀がやって来たのかもしれない」と思って外に出て見ると、あの雀である。「関心に忘れずに来てくれたなんてうれしいこと」と言っていると、雀は老女の顔を見て、口から僅かばかりの小粒の物を落とし置くようにして飛び去っていった。老女は、「何だろう。雀が落していった物は」と寄って見ると、瓢の種が一粒落として置いてある。「持って来たのにはわけがあろう」と取り上げて手に持った。「まあ、あきれたこと。雀のくれた物をもらって宝にしておられる」と言って、子どもが笑う。「とにかく、植えてみよう」と植えると、秋になる頃には、たいそう繁り生い広がって、普通の瓢とは違って、大きくしかもたくさんの実がなった。老女はひどく悦んで、隣の里の人にも食わせたが、その実は取れども取れども尽きる事もなく、沢山の実がなった。笑っていた子や孫もこの実を明けても暮れても食べていた。村中に配ったりなどして、しまいには、格別に優れて大きい七つか八つの瓢を瓢箪(ひょうたん)にしようと思って、家の中にぶら下げておいた。

それから幾月かして、「もう十分乾燥して堅くなっているだろう」と見ると、立派な瓢箪になっていた。取りおろして、口を開けようとすると、少し重たい。不思議に思って切り開けて見ると、何やらいっぱい入っている。「何だろうか」と、中の物を他の器に移してみると、入っていたのは白米であった。思いもかけず、驚いたことだと思い、大きな器に瓢箪の白米を全部移してみたが、瓢箪の中には移す前と同じように白米がたくさん入っているので、「これはただ事ではないぞ。雀が恩返しにしたのだろう」と驚き嬉しくなって、物に入れて隠し置き残りの瓢箪を見ると、同じように白米がたくさん入っている。これを他の器へ移し移ししながら使うがどうしようもなく使いきれないほどたくさんあった。こうして女は大変な財産家になってしまった。隣村の人も見てびっくりし、たいしたものだとうらやましがった。

「同じ年寄でも、よその年寄はあのようによいことをして役に立つ。家族の為に少しは目に見えて役に立つようなことをなさって見せることもございませんね」などと子どもから言われた隣の老女は、この女の所に来て、「さてもさても、これはどうしたことです。雀がどうとかしたなどという噂をうすうす聞いたが、よくわからないので、初めからあったことをありのままにお話し下され」と言うと、「雀が瓢の種を一粒落したので、それを植えてみたらこうなったのです」と言って、細かい事は言わないので、なお、「ありのままに細かに教えて下され」としきりに聞くので、「心を狭くして隠す事ではないか」と思って、「かくかくしかじか腰が折れた雀がいたので、それを飼い助けたところ、それをうれしいと思ったのか、瓢の種一粒持って来たのを植えたら、このようになったのです」と言うと、「その種を一つくださらんか」と言うので、「その瓢に入った米ならさしあげましょう。しかし、種はあげられません。決してよそに散らすわけにはまいりません」と言って渡さない。「それなら自分もどうにかして腰の折れた雀を見つけて飼うことにしよう」と思って、目をこらして見るが、腰の折れた雀はいっこうに見つからない。

毎朝様子を見ていると、裏口の方で、散らかった米を食おうとして雀が飛び回っている。その雀に「もしや」と思いながら石をぶつけていると、なにせたくさんいる中に何度もぶつけたので、たまたま打ち当てられて飛べない雀が出た。女は悦んで傍に寄り、その雀の腰をさらに念入りに折り、捕まえて、家で物を食わせ、薬を与えるなどして養生した。一羽のためにあれだけ得な目に遭ったのだ、ましてや、たくさんの雀ならば、どんなに豊かになるだろう。あの隣の女より優れて、子どもに褒められようと思って、入口の内側に米を撒いて、様子を見ていると、雀どもが集まって食いに来たので、また石をぶつけたら三羽の雀の腰をうち折った。「今はこれぐらいでよかろう」と思い、腰の折れた雀三匹ばかりを桶に入れて、銅を削って食わせなどして、幾月もたつうちに、世話をしていた雀が皆、元気になったので大変悦んで桶の外に出すと、ふらふらと皆飛んで行ってしまった。「すばらしいことをした」と思う。雀は腰を折られて、このように幾月も閉じ込めて置かれた事を実に悔しく思っていた。

それから十日程経って、この雀どもがやって来た。女は悦んで、まず、「口に何か咥えているだろうか」を見ると、皆が瓢の種を一粒づつ落していった。「やはり思った通りだ」と嬉しくなり、その種を拾い、三か所に植えた。普通よりもするすると早く成長して、たいそう大きくなった。しかし実はそれほど多くはならず、七つか八つだけだった。それを見て女は、「たいしたこともしでかさないと言ったが、どうじゃ自分は隣の女より偉かろう」と子どもたちに言うと、「そうあってほしいもの」と子供たちも思った。これは数が少なかったので、米を多く取ろうと、人にも食わせず、自分でも食わない。それを見て子どもたちが、「隣の婆さんは隣村の人にも食わせ、自分も食いましたよ。うちのはまして三つの種からできたのだ。人にも食わせ自分でも食うべきだ」と言うと、 それもそうだと思い、「近くの隣人にも振舞い、自分も子供たちも一緒に食べよう」と言って、たくさん煮て食ったところ、他に比べようもないほど苦く、黄蘗(きはだ)などのようで気持ち悪くなった。およそこれを食べた限りの人々は、子どもも自分も、食べた物を吐き出して苦しむうちに、隣の人たちもみな気を悪くして集まって来て、「これは何という物を食わせたのだ。ああ恐ろしい。ちょっとそいつを煮た湯気の臭いを嗅いだ者までも、げろを吐いて苦しがって、死にそうな騒ぎだったぞ」と腹を立て、「きつく文句を言ってやろう」と思って来てみると、当の老女を始めとして子供たちもみな正気を失い、げろを吐き散らして横たわっていた。それを見ると、いたしかたなく、みなは引き揚げた。それから二三日経つと、誰も彼も気分がよくなりもとどおりになった。女は。「全部米になろうとしたのに、急いで食ったので、このようなおかしなことになったのだろう」と思い、残りの瓢を全部部屋の中にぶら下げて置いた。

それから幾月か過ぎ、「今は食べごろになっているだろう」と、米を移し入れるための桶などを持って部屋に入る。うれしさのあまり、歯も生えていない口を耳元まで開けてひとり笑いし、桶を寄せ集めて、移したところ、虻(あぶ)、蜂(はち)、むかで、とかげ、蛇(くちなは)などが出て来て、目といわず鼻といわず身体中に取りついて刺すが、女は痛いとも思わない。ただ、「米がこぼれるわい」と思い、「少し待って下され。雀どもよ。すこしづつ移すから」と言う。七つ八つの瓢から、数え切れないほどの毒虫が出て来て、子どもたちを刺し食い、女を刺し殺してしまった。腰をうち折られた雀が恨んで、あらゆる虫どもに呼びかけて瓢の中に入れたのであった。

隣の雀は、もともと腰が折れて烏(からす)に命を取られそうであったのを養生してやったのでうれしいと思ったのである。これだから物羨(うらや)みはしてはならないのだ。

語句

■春つかた-春の頃。■虫-諸注、「虱(しらみ)」とみている。ここでは「蚤(のみ)」はあたらない。■しありきけるを-跳ね回っていたのを。■打ちつけたれば-投げつけると。■ふためかして惑ふほどに-ばたばたさせてうろたえるうちに。■かけりありきければ-飛びまわっていたので。■あな心憂(こころう)-ああ、可哀想に。■鳥取りてん-(このままでは)きっと鳥が捕食してしまうに違いない。■息しかけなどして-息を吹きかけなどして。■をさむ-しまう。■銅(あかがね)-『和漢三才図会』五九「自然銅」の項に、「折レタル傷ヲ治ス。(中略)能(ヨ)ク骨ヲ接(ツ)グ。人アリテ、自然銅を以テ翔ヲ折リタル胡雁ヲ銅ヒタリシニ、後遂ニ飛ビ去レリ」と見え、古来銅粉が接骨に効能あるろされたことが知られる。■薬にこそげて-薬として削って。■あはれ-ああ。■女刀自(をんなとじ)-「戸主」の転。家政をつかさどる主婦のこと。また主婦や老母の尊称。ここは慣用的な呼称。■憎み笑う-ひやかして笑う。

■月比-幾月も。■よくつくろへば-手厚く手当てをしたので。■やうやう躍り歩く-次第に跳ねまわるようになった。■養い生けたるを-養い生かしてくれたのを。■いみじく-たいそう。■あからさまに-ちょっと■物に行くとても-どこかへ出かける時にも。■人に-家人に。■見よ-世話せよ。■なんでふ-どうして。■雀(すずめ)飼はるる-雀なんか飼われるのか。飼っても何の役にも立たない、無駄なものを、という皮肉。■憎み笑へども-自分たちに飼育のお鉢が回って来るので、「かなわないなぁ」と、いやがって苦笑したのである。軽蔑して嘲笑したのではない。■さはれ-それはそうだが。とにかく。そう言われれば、確かにその通りだけれども。「さはあれ」の略。■いとほしければ-かわいそうなので。■今はよも烏に取られじ-これほどに回復すれば、もはやまさか烏に捕らえられることもあるまい、大丈夫だろう。■ささげたれば-さし上げると。■飛びやする-飛べるだろうか。■見ん-試してみよう。■多くの月比日比-今日まで長い間。■あはれや飛びて往ぬるよ-「あはれ飛びて往ぬる」に「や」と「よ」の二語を添えて、その詠嘆性を強調した言い方。■つれづれに思ひて-(朝に夕に決まってする事がなくなって)退屈で手持無沙汰に思って。■人に-子や孫など家族の者たちに。

■この女のゐたる方に-この老女がいる部屋に近いあたりで。治療を受けた雀の来訪である事を示す。■あはれに・・・あはれなれ-「あはれ」を反復して、老女の興奮した気持ちを強調。■女の顔をうち見て-「落し置くやうにして」に掛かる言い方。老女の顔を見やって、注意を促すようにして。■露ばかりの物-露の水玉ほどにちっぽけな物。何やらごく小さな物。■瓢(ひさこ)-夕顔・瓢箪(ひようたん)などの類。夕顔は食用の干瓢(かんぴょう)の材料となる。■やうこそあらめ-なにかその理由があろう。■あないみじ-ああ、ひどい。まあ、あきれたこと。■さはれ-家族に苦笑され、あきれられた老女は、それに不機嫌に反応せずに、一応はもっともだと家族たちの言い分を認めたうえで、「それでもやはり」とやんわりと自分の考えを通す「憎めない年寄」ぶりを見せている。■なべての瓢にも似ず-普通一般の瓢とは違って。■一里(ひとさと)-里中に。その里全体に。■瓢-ひょうたん。成熟した果実の中身を取り除き、乾燥させて作る容器。酒・水・穀物などを入れた。

■今はよくなりぬらん-もう十分に乾燥して堅くなっていることであろう。■あやしけれども-変だと思いながら。ひょうたんを作るには、内部の果実はあたかじめ取り出してあり、重いはずはないので。■白米-単に「米」ではなく、「白米」とあることに注意。白米は精製された、貧しい農民にとっては常食できない上等で贅沢な米。■頼もしき人-裕福な人。豊かな物持ち。書陵部本などには「たのしき」とあるが、それが本来のもの。

■人はかくこそあれ-よその年寄はあのようによいことをして役にたつ。■はかばかしき事-家族のために、少しは目に見えて役に立つようなこと。■えし出で給はぬ-なさって見せることもございませんね。おできにならないのですね。丁寧な口調ではあるが、たっぷり皮肉と軽蔑を込めた物言い。そう言われて老女は「穀潰(ごくつぶ)しのくせに、ただ家にごろごろしていないで、隣のお婆さんを少しは見習ったらどうなんですか」と家族から尻を叩かれるような気持ちで隣家を訪れることになる。■雀のなど-雀がどうとかしたなどという噂。実際はある程度聞き知っていたのに、より正確な情報を得るために、とぼけて見せた。■もとありけんままにのたまへ-初めからあったことをそのとおりに教えてくださいな。■瓢の種を云々-以下、細かな説明をすっかり省いたまことに愛想のない、ぶっきらぼうな返答ぶり。■かうかう云々-繰り返しせがまれて、「かうかう・・・うれしと思ひけるにや」と、最初からのいきさつを話し加えた。■さらに得なん散らすまじ-絶対によそさまにはお分けするわけにはいきません。事の経緯を話させたうえに、問題の瓢箪の種を求める虫のよい願いには、さすがに応じなかった。■我もいかで云々-自分も何とかして腰の折れたような雀を見つけ出して。「我も」に「種を譲ってくれないのなら、もうあなたには頼まない。わたしも自分でやってみることにする」と白米をもらわずに憤然と帰ったであろう老女の姿がうかがわれる。■目を立てて-気持ちをこらして。一心に。

■つとめて-早朝。■せど-背戸。家の裏口。一般の農家の場合、裏口を出た所は畑に通じたり、取り入れた農作物を処理するためのやや広い場所になっていて、雑穀などがこぼれ落ちていることが多かった。■腰をよくうち折りて-石をぶつけて動けなくなった雀の腰を念を入れて折って。この老女は隣家の老女から聞いた通りに確実な手順を踏んで事を運ぼうとしたようだ。失敗できない面子があった。■一つが徳をだに云々-一羽でさえあれだけの果報があったのだから、第一段階がうまくいったことから老女は自信を強め強欲になる。■今はかばかりにてありなん-もうこのくらいでいいだろう。■いみじきわざしつ-一仕事し終えた、という満足感。いずれたっぷりの見返りがあるはずだ、という期待感。■よに妬し-実に悔しい、憎らしい。雀らの老婆への復讐の動機。

■十日-隣の老女の場合は二十日前後。復讐に、はやる雀らの思いを暗示する。■げにさもあらなん-ぜひそうあってほしいものだ。■まして三つが云々-隣は一粒の種からできた瓢、こちらは三つの種からできた瓢ではありませんか。「だから当然・・・」という含み。■さも-「さもあらむ」。なるほど、それもそうだ。そうかもしれない。■おほらかにて食ふに-たくさん煮て食ったところ。いざ食べるとなったら、隣の老女を上回るものを手に入れようとの魂胆から大盤振る舞いになった。当初から隣家の老女に対する負い目が、この二人目の老女のすべての行動の契機になっている。■黄蘗(きはだ)-ミカン科の落葉高木、高さは約12メートルに達し、樹皮は「黄色」の染料となるが、漢方では黒色の実とともに胃腸薬・火傷の薬として用いられる。味は苦い。■物をつきて惑ふ程に-食べた物を吐き出して苦しがっているところに。■けふん-「けぶり(煙)」。瓢を煮るときに出る臭いのある湯気のこと。■いひせためん-きつく文句を言って謝らせてやろう。「せたむ」は問責する。■主の女-文句を言おうと思っていた相手の女。問題を引き起こした本人。■いふかひなくて-いたしかたなく。文句をつけようにも、つけようがなくて。■かくあやしかりけるなめり-こんなおかしな始末になってしまったに違いない。

■移し入れん料の桶-瓢の中にでき上がっているであろう米を、移し入れるための容器としての桶。■歯もなき口して耳のもとまで一人笑(ひとりゑ)みして-老齢で歯のすっかり抜け落ちてしまった口を、口が裂けんばかりに大きく開けて、自然にこみあげて来る喜びにほくそ笑みつつ。■目鼻ともいはず一身に-目や鼻ばかりでなく、口や耳や手足など、体中いたる所に。■そこら-たくさん、数え切れないほど。

朗読・解説:左大臣光永

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