宇治拾遺物語 3-17 小野篁(をののたかむら)広才の事

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原文

今は昔、小野篁といふ人おはしけり。嵯峨帝(さがのみかど)の御時に、内裏(だいり)に札(ふだ)を立てたりけるに、「無悪善」と書きたりけり。帝、篁に、「読め」と仰(おほ)せられたりければ、「読みは読み候(さぶら)ひなん。されど、恐れにて候へば、え申し候はじ」と奏(そう)しければ、「ただ申せ」とたびたび仰せられければ、「さがなくてよからんと申して候ふぞ。されば君を呪(のろ)ひ参らせて候ふなり」と申しければ、「おのれ放ちては誰(たれ)か書かん」と仰せられければ、「さればこそ、申し候はじとは申して候ひつれ」と申すに、御門(みかど)、「さて何(なに)も書きたらん物は読みてんや」と仰せられければ、「何(なに)にても読み候ひなん」と申しければ、片仮名の子文字(ねもじ)を十二書かせて給ひて、「読め」と仰せられければ、「ねこの子のこねこ、ししの子のこじし」と読みたりければ、御門ほほゑませ給ひて、事なくてやみにけり。

現代語訳

今は昔、小野篁という人がおられた。嵯峨天皇の治世に、内裏(だいり)に札を立てた者がいたが、それには「無悪善」と書かれていた。帝が篁に、「読め」とお命じになられたので、「読むことは読みましょう。しかし、恐れ多いことでございますので、あえて申しあげますまい」と申し上げると、「かまわずに申せ」とたびたび仰せられたので、「『さがなくてよからん』と申しておりますぞ。すなわち、君を呪(のろ)い申しているのでございます」とお答えした。帝が、「おまえをおいて他に誰が書くというのか」と仰せられたので、「それだからこそ、申し上げることはできませんと申し上げております」と申し上げた。帝は、「それでは何でも書いた物は確かに読めるというのか」と仰せられたので、「何にてもお読み申し上げます」と申し上げると、天皇は、片仮名の子の文字を十二回お書かせになり、「読め」とお命じになったので、すぐ「ねこの子のこねこ、ししの子のこじし」と読んだので、帝は微笑まれて、何のお咎めもなく終わった。
                              

語句

■広才-才知が幅広いこと。また,そのような人やさま。■小野篁-参議岑守(みねもり)の子(802~852)陸奥・信濃・近江などの国守を歴任。左大弁、参議。漢詩文集『凌雲集』を撰した父の参議岑守は嵯峨天皇の信任が厚く、篁も少年時代から目をかけられていた。漢詩文・和歌・書にすぐれ、清原夏野らと『令義解』を編集した。承和元年(834)、遣唐副使に任命されたが、乗船をめぐって正使と争い、嵯峨上皇により承和五年、隠岐へ流された。「わたの原八十島かけて漕ぎいでぬ人には告げよ海人の釣船」(古今・羇旅)はその折の作。■嵯峨帝-第五十二代天皇(786~842)。桓武天皇の皇子。延暦四年(809)~弘仁十四年(823)在位。経史・詩文に通じ、『凌雲集』『文華秀麗集』を編集させた。能書家で、日本三筆の一人。■内裏-天皇の住む御殿。皇居。■さがなくて云々-『江談抄』は「さがなくはよかりなまし」、『十訓抄』は「さがなくてよし」と訓じている。「さが」は人間の性分・性質で、善悪両方に言うが、ここは「悪」を「さが(嵯峨)」と無理に読ませたもの。■読みは読み候(さぶら)ひなん-読むことは読みましょう。■恐れにて候へば-恐れ多いことでございますから。■え申し候はじ-申し上げることはできますまい。■ただ申せ-とにかく申せ。■申して候ふぞ-申しておりますぞ。■されば-それで。■参らせて候ふなり-申し上げておるのでございます。■おのれ放ちては-。■誰か書かん-誰が書こうか。■さればこそ-それだからこそ。■申し候はじとは申して候ひつれ-申しあげますまいと申したのでございます。■さて-それでは。■何(なに)も書きたらん物-何でも書いてある物。■読みてんや-確かに読めるのか。■書かせて給ひて-お書きになられて。■片仮名の子文字-当時は片仮名のネに「子」の字を用いた。音はシ・訓はコ・ネ。■事なくてやみにけり-何のおとがめもなくて終わった。

備考・補足

■圭角(けいかく)<言語・行動がかどだって、円満でないこと>のある人物ながら、その抜群の知才に自分は一目を置いていた若者と、みずからも高い知識人であった天皇との忌憚(きたん)のない<「遠慮の無い」「余計な気遣いのない」>やりとりには、信頼し合っている者同士の情愛が底流している。後味のよい一件。

朗読・解説:左大臣光永