宇治拾遺物語 3-19 一条摂政歌の事

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原文

今は昔、一条摂政とは東三条殿の兄におはします。御かたちより始め、心用ひなどめでたく、才(さえ)、有様、まことしくおはしまし、また色めかしく、女をも多く、御覧じ興ぜさせ給ひけるが、少し軽々(きやうきやう)に覚えさせ給ひければ、御名を隠させ給ひて、大蔵(おほくら)の丞豊蔭(じようとよかげ)と名のりて、上(うへ)ならぬ女のがりは御文も遣はしける。懸想せさせ給ひ、逢はせ給ひもしけるに、皆人(みなひと)さ心得て知り参らせたり。

やんごとなくよき人の姫君のもとへおはしまし初(そ)めにけり。乳母(めのと)、母などを語らひて、父には知らせさせ給はぬ程に、聞きつけて、いみじく腹立ちて、母をせため、爪弾(つまはじ)きをして、いたくのたまひければ、「さる事なし」とあらがひて、「まだしき由(よし)の文書きて給べ」と、母君のわび申したりければ、

人知れず身はいそげども年を経てなど越がたき逢坂(あふさか)の関

とて遣はしければ、父に見すれば、「さては空事なりけり」と思ひて、返し、父のしける。

あづま路(ぢ)に行きかふ人にあらぬ身はいつかは超えん逢坂の関

と詠みけるを見て、ほほゑまれけんかしと、御集(ぎよしふ)にあり。をかしく。

現代語訳

今は昔、一条摂政という人は東三条の兄であられます。ご容貌を始めとして、心遣いなどすばらしく、学識、振舞いも優れておられたが、また一面色好みで、何人もの女とお逢いになり、お戯れになっておられたが、少し軽々しい振舞と自覚なさったために、お名前をお隠しになり、身分の低い女の所へは大蔵丞豊蔭と名乗って手紙をお出しになり、思いをおかけになったり、またお逢いにもなられたが、人は皆その事を心得て存じ上げていた。

その一条摂政が、高貴な身分の人の姫君のところへお通いになり始めた。姫君の乳母や母親を味方につけて、父親には知らせないうちに、父親がその事を聞きつけてひどくお怒りになり母を責めさいなみ、非難してひどくおっしゃったので、母は「そんなことはありません」と父親と言い争って、「まだ娘とは逢っていないという内容の手紙を書いてください」と豊蔭に困って申されたので、

(心ひそかに、早く逢いたいとわが身は急ぐのに、何年にもなるのにどうして逢坂の関は越えがたいのであろうか-なぜに契りを結ぶことが出来ないのであろうか)

と詠んで遣わしたので、母親がそれを父親に見せると、「それでは、噂は嘘だったのだ」と思って、父親が、

(東国に行ったり来たりする身の上ではないから、逢坂の関はいつ超えることがありましょうか-おそらくお逢いすることはありますまい)

と返歌に詠んだのを豊蔭が見て、きっと微笑まれたであろうと、「一条摂政御集」に書いてある。笑を誘う話だ。
                              

語句

■一条摂政-藤原伊尹(これただ)(924~972)、右大臣師輔の子。諡号(しごう)は謙徳公。摂政、太政大臣。和歌にすぐれ、『後撰集』の和歌所の別当を務めた。『後撰集』以下に三十七首入集。家集に『一条摂政御集(または豊蔭集とも)』がある。■東三条殿-藤原兼家(929~990)。号は法興院。道綱、道長らの父。摂政、関白、太政大臣。■御かたちよりはじめ-ご容貌を始めとして。■心用い-心遣い。■めでたく-すばらしく。■才-学識。■まことしう-立派で。■おはしまし-おありになり。■御覧じ-お逢いになり。■興じさせ給ひける-お戯れになったが。■軽々(きやうきやう)に覚えさせ給ひければ-(社会的立場や身分からすると)感心できない軽々しいふるまいと自覚なさったために。■大蔵(おほくら)の丞豊蔭(じようとよかげ)-大蔵省の判官(三等官)。『一条摂政御集』の初めに、「大蔵のしさう(史生)くらはしのとよかげ(倉橋豊蔭)」の集としてある。■上ならぬ女のがりは-身分の高くない女のもとへは別名を使って。■皆人さ心得て知り参らせたり-大蔵丞豊蔭と名乗っている男性の正体が藤原大臣家の若殿であると心得、承知していた。■懸想せさせ給ひ-思いをおかけになり。■逢せ給ひもしけるに-お逢いにもなったが。■さ心得て-その事を心得て。■知り参らせたり-存じ上げていた。■やんごとなくよき人の姫君-きわめて身分の高い人の娘。『後撰集』恋三によれば、参議小野好古(884~968)の娘の事。天徳四年(960)八月、伊尹(これただ)が三十七歳で参議に昇格した時、好古は七十七歳で、先任の参議、備中守、太宰大弐であった。■おはしましそめにけり-お通いになり始めた。■語らひて-味方につけて。■知らせさせ給はぬ-お知らせにならない。■聞きつけて-女たらしの噂の高い豊蔭なる男を通わせていることを。■いみじく-たいそう。■せため-責めさいなみ。■爪弾きをして-非難をして。■いたくのたまひければ-ひどくおっしゃったので。■さる事なし-そのような事はございません。■あらがひて-(父親と)言い争って。■まだしき-(豊蔭に対して)まだ娘とは逢っていないという内容の手紙。■書いてたべ-書いてください。■わび-困って。■人知れず身はいそげども-(お逢いしたいと)心ひそかに私自身はせいているのだが。

備考・補足

■母親と乳母とが十分な計算ずくで、正体の割れている上流貴族の若殿との受け入れようと共謀して、妙に潔癖で好人物の父親を欺いた結婚をめぐる哀笑話。

朗読・解説:左大臣光永