宇治拾遺物語 4-1 狐(きつね)、人に憑(つ)きてしとぎ食ふ事

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昔、物(もの)の怪(け)煩(わづら)ひし所に物の怪渡しし程に、物の怪、物つきに憑(つ)きていふやう、「おのれは祟(たた)りの物の怪にても侍らず。うかれてまかり通りつる狐なり。塚屋に子どもなど侍るが、物をほしがりつれば、かやうの所には食物(くひもの)散ろぼふものぞかしとて、まうで来つるなり。しとぎばら食べてまかりなん」といへば、しとぎをせさせて一折敷(ひとをしき)取らせたれば、少し食ひて、「あなうまや、うまや」といふ。「この女のしとぎほしかりければ、そらもの憑きてかくいふ」と憎みあへり。

「紙賜(たまは)りてこれ包みてまかりて、専女(たうめ)や子どもなどに食はせん」といひければ、紙を二枚引きちがへて包みたれば、大(おほ)きやかなるを腰に挟みたれば、胸にさしあがりてあり。かくて「追ひ給へ。まかりなん」と験者(げんじゃ)にいへば、「追へ追へ」といへば、立ち上がりて倒れ伏しぬ。しばしばかりありて、やがて起きあがりたるに、懐(ふところ)なる物さらになし。失(う)せにけるこそ不思議なれ。

現代語訳

昔、物の怪にとり憑かれた人の家で、それをとり除く祈祷をして、霊媒に乗り移らせた時に、物の怪が霊媒の口を借りて言うには、「自分は祟りの物の怪ではない。さまよい歩いて通りかかった狐である。塚屋の家には子どもなどがいるが、食物を欲しがるので、「このような所には、食物が散らばって落ちているものだ、と思ってやって来たのだ。しとぎでも食べて帰ろう」と言うので、しとぎを作らせて、折敷きにいっぱいくれてやると、少し食ってから、「ああ、うまい、うまい」と言う。「この霊媒の女は、しとぎが欲しいので、狐が憑いた振りをしてこんなことを言っているのだ」と人々は憎々しく思い合った。

「紙をいただいて、これを包んで帰り、年寄や子どもたちに食わせたい」と言うので、紙を二枚引き違いにして重ねて包んだところ、大きな包になった。それを腰に挟むと、胸もとまで盛り上がるくらいになった。そうしたら、狐が「私を追ってください。退散しましょう」と修験者に言うので、「去れ、去れ」と追うと、霊媒が立ち上がって倒れ伏した。しばらくたって、やがて起きあがったが、懐の紙包はきれいになくなっていた。失(う)せてしまったのは実に不思議なことだ。          

語句

■物の怪-人間に取り憑いて祟り悩まし、場合によっては命を奪う鬼神・妖怪や人間の生霊・死霊などの総称。■煩ひし所に-取り憑かれて苦しんでいる人の家で。■物の怪渡しし程に-物の怪に取り憑かれている病人から、その物の怪を祈祷によって「物つき」という他人に移らせた時に。「物つき」は、よりまし・寄人・神子などの総称で、修験者が物の怪を調伏する際に、それを一時的に乗り移らせる人物。主に未婚の乙女が選ばれた。■うかれてまかり通りける-さまよいあるいて通りかかった。■塚屋-墓守の住む小屋か。狐どもがそこに住みついていたもの。■散ろぼふものぞかし-散らばって落ちているものだ。■まうで来つるなり-やって来たのだ。■しとぎばら-しとぎでも。「しとぎ」とは、米の粉をこねて作った餅。饅頭形に作り、神前や仏前に供える。■しとぎばら食べてまかりなん-しとぎでも食べて帰ろう。■せさせて-作らせて。■専女(たうめ)-老女。ここは老狐の事。■紙を二枚云々-破れないように二枚の紙を交差させて、十文字に重ねて。■胸にさしあがりて-胸もとまで盛り上がって。■追ひ給へ。まかりなん-追いだしてください。退散しましょう。物憑きの女が取り次いだ病人に憑いている物の怪の言葉。           

朗読・解説:左大臣光永

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