宇治拾遺物語 4-5 石橋の下の蛇(くちなは)の事

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この近くの事なるべし。女ありけり。雲林院(うりんゐん)の菩提講(ぼだいかう)に、大宮を上(のぼ)りに参りける程に、西院(さいゐん)の辺(へん)近くになりて石橋ありける。

水のほとりを廿(はたち)余り三十ばかりの女、中結(ゆ)ひて歩み行くが、石橋を踏み返して過ぎぬる跡に、踏み返されたる橋の下に、斑(まだら)なる蛇(くちなは)のきりきりとしてゐたれば、石の下に蛇(くちなは)のありけるといふ程に、この踏み返したる女の尻(しり)に立ちて、ゆらゆらとこの蛇の行けば、尻なる女のあやしくて、「いかに思ひて行くにかあらん。踏み出だされたるを悪しと思ひて、それが報答せんと思ふにや。これがせんやう見ん」とて尻に立ちて行くに、この女時々は見返りなどすれども、我が供に蛇のあるとも知らぬげなり。また同じやうに行く人あれども、蛇の女に具して行くを見つけいふ人もなし。ただ最初見つけつる女の目にのみ見えければ、「これがしなさんやう見ん」と思ひて、この女の尻を離れず歩み行く程に、雲林院に参り着きぬ。

寺の板敷(いたじき)に上(のぼ)りて、この女ゐぬれば、この蛇も上(のぼ)りて傍(かたは)らにわだかまり伏したれど、これを見つけ騒ぐ人なし。「稀有(けう)のわざかな」と、目を放たず見る程に、講(かう)果てぬれば、女立ち出づるに随(したが)ひて蛇もつきて出でぬ。この女、「これがしなさんやう見ん」とて、尻に立ちて京ざまに出でぬ。下(しも)ざまに行(ゆ)きとまりて家あり。その家に入れば、蛇(くちなは)も具(ぐ)して入りぬ。「これぞこれが家なりける」と思ふに、「昼はするかたもなきなめり。夜こそとかくする事もあらんずらめ。これが夜の有様を見ばや」と思ふに、見るべきやうもなければ、その家に歩み寄りて、「田舎(ゐなか)より上(のぼ)る人の、行き泊まるべき所も候(さぶら)はぬを、今宵(こよひ)ばかり宿させ給はなんや」といへば、この蛇(くちなは)のつきたる女を家あるじと思ふに、「ここに宿り給ふ人あり」といへば、老いたる女出(い)で来(き)て、「誰かのたまふぞ」といへば、「これぞ家のあるじなりける」と思ひて、「今宵ばかり宿借り申すなり」といふ。「よく侍りなん。入りておはせ」といふ。うれしと思ひて入りて見れば、板敷(いたじき)のあるに上(のぼ)りて、この女ゐたり。蛇(くちなは)は下敷きの下(しも)に、柱のもとにわだかまりてあり。目をつけて見れば、この女をまもりあげて、この蛇(くちなは)はゐたり。蛇(くちなは)つきたる女、「殿にあるやうは」など物語しゐたり。「宮仕(みやづか)へする者なり」と見る。

かかる程に、日ただ暮れに暮れて暗くなりぬれば、蛇の有様を見るべきやうもなく、この家主と覚ゆる女にいふやう、「かく宿させ給へるかはりに、麻(を)やある、績(う)みて奉らん。火とぼし給へ」といへば、「うれしくのたまひたり」とて火ともしつ。

麻(を)取り出してあづけたれば、それを績(う)みつつ見れば、この女臥(ふ)しぬめり。「今や寄らんずらん」と見れども、近くは寄らず。「この事やがても告げばや」と思へども、「告げたらば、我(わ)がためも悪(あ)しくやあらん」と思ひて、物もいはで、「しなさんやう見ん」とて、夜中の過ぐるまでまもりゐたれども、遂(つひ)に見ゆる方(かた)もなき程に火消えぬれば、この女も寝(ね)ぬ。

明けて後、「いかがあらん」と思ひて惑ひ起きて見れば、この女よき程に寝起きて、ともかくもなげにて、家あるじと覚ゆる女にいふやう、「今宵夢をこそ見つれ」とへば、「いかに見給へるぞ」と問へば、「この寝(ね)たる枕上(まくらがみ)に、人のゐると思いて見れば、腰より上(かみ)は人にて下(しも)は蛇(くちなは)なる女、清げなるがゐていふやう、『おのれは人を恨めしと思ひし程に、かく蛇(くちなは)の身を受けて、石橋の下(した)に多くの年を過(すぐ)して、わびしと思ひゐたる程に、昨日おのれが重石(おもし)の石を踏み返し給ひしに助けられて、石のその苦をまぬかれてうれしと思ひ給へしかば、この人のおはし着かん所を見置き奉りて悦びも申さんと思ひて、御供に参りし程に、菩提講(ぼだいかう)の庭に参り給ひければ、その御供に参りたるによりて、あひがたき法(のり)をうけたまはりたるによりて、多く罪をさへ滅(ほろぼ)して、その力にて人に生まれ侍るべき功徳の近くなり侍れば、いよいよ悦びをいただきて、かく参りたるなり。この報ひには、物よくあらせ奉りて、よき男などあはせ奉るべきなり』と、いふなんと見つる」と語るに、あさましくなりて、この宿りたる女のいふやう、「まことには、おのれは田舎(ゐなか)より上(のぼ)りたるにも侍らず。そこそこに侍る者なり。それが昨日(きのふ)菩提講に参り侍りし道に、その程に行きあひ給ひたりしかば、尻(しり)に立ちて歩みまかりしに、大宮のその程の河の石橋を踏み返されたりし下より斑(まだら)なりし小蛇(こくちなは)の出(い)で来(き)て御供に参りしを、かくと告げ申さんと思ひしかども、告げ奉りては我(わ)がためも悪(あ)しき事にてもやあらんずらんと恐ろしくて、え申さざりしなり。まこと、講の庭にもその蛇(くちなは)侍りしかども、人もえ見つけざりしなり。果てて出で給ひし折、また具(ぐ)し奉りたりしかば、なりはてんやうゆかしくて、思ひもかけず今宵(こよひ)ここにて夜を明かし侍りつるなり。この夜中過ぐるまではこの蛇(くちなは)柱のもとに侍りつるが、明けて見侍りつれば、蛇(くちなは)も見え侍らざりしなり。それにあはせてかかる夢物語(ゆめものがたり)をし給へば、あさましく恐ろしくて、かくあらはし申すなり。今よりはこれをついでにて何事も申さん」など言ひ語らひて、後は常に行き通ひつつ、知る人になんなりにける。

さてこの女、世に物よくなりて、この比(ごろ)は何(なに)とは知らず、大殿(おほいどの)の下家司(しもげいし)のいみじく徳あるが妻になりて、よろづ事かなひてぞありける。尋ねば隠れあらじかしとぞ。

現代語訳

近頃のことのようだ。一人の女がいた。雲林院の菩提講に参加するため、西の大宮大路を上って来たのだが西院の近くになった時、石橋があった。

水の辺を二十歳過ぎの三十歳ぐらいの女が、衣が足にまつわりつかないように、衣を少し引き上げて歩いて行く。ある所で、その女が石橋を踏み返して通り過ぎた後、その踏み返された橋の下に、斑な蛇がくるくるととぐろを巻いていたので、「石の下に蛇がいたわ」と思って見ているうちに、この踏み返した女の後に、その蛇がにょろにょろとついて行く。後ろにいた女が見ていると不思議で、どのように思ってついて行くのだろうか、石橋の下から踏み出されたのを憎いと思って、その仕返しをしようと思うのであろうか。このしようとする様を見ようと思って、後ろからついていくと、前に行く女は、時々見返りはするが、自分に蛇がついてきているのはわからない様子である。また、同じように雲林院の菩提講に参加しようとして歩いていく人がいるのだが、蛇が女に付いていくのを見つけてもそれを忠告する人もいない。ただ最初に見つけた女の目にだけ見えたので、「この蛇がたくらんですることを見届けてやろう」と思って、この女の後を離れずついていくうちに雲林院に行き着いた。

寺の板敷に上がって、この女が座ったので、蛇も上がって傍でとぐろを巻いてうずくまっていたが、これを見つけて騒ぐ人もいない。「なんて不思議な事かしら」と、目を離さずに見ていると、講が終わり、女が立ち上がって出ようとするのに随って蛇もついて出た。後ろの女は、「この蛇がすることを見てみよう」と、後ろについて京の方へ出た。すると、下京の方角の行きどまりに家がある。女がその家に入ると蛇もそれについて家に入って行った。「ここがこの女の家なのかしら」と思うが、「昼間は何かをする気配はないようだ。夜には何かをすることもあろう。この蛇の夜の様子を見たいもの」と思うが見るすべもないので、その家に歩み寄って、「田舎から出て来た者ですが、泊まる所も無いので、今夜一晩泊まらせてくれませんか」と言うと、この蛇の憑いた女を家主と思っていたが、その女が「ここにお泊りの方がおいでですよ」と言うと、年老いた女が出て来て、「どなたでいらっしゃいますか」と言う。「さてはこの人が家の主人なのだ」と思って、「今夜だけ宿をお借りしたいのですが」と言うと、老女は、「よろしゅうございましょう。お入りください」と言う。うれしいと思って入って見ると、板敷の上にあの女が座っている。蛇は板敷の下の柱の根元にとぐろを巻いている。気をつけて見ると、蛇はこの女をじっと目を離さずに見上げていた。蛇憑きの女が、「御殿に上がっておりますと・・・」などと話しをしていた。宮仕えをしている者と思われる。

そうしているうちに、日はどんどん暮れていき暗くなったので、いつまでも蛇の様子を見ている事もできず、この家主と思える女に、「このように宿をお貸しいただいたかわりに麻があれば紡いでさしあげましょう。明かりを点けてください」と言うと、老女は、「ありがたい申し出です」と言って、明かりを灯した。

老女が、麻を取り出して渡したので、それをよりながら気をつけていると、この蛇憑きの女は寝てしまったようだ。「今こそ蛇は寄って来るだろう」と見ているが、近寄らない。「この事をすぐにも知らせたい」と思うが、「もし知らせたら、自分の身にも不都合な事が起こるのではないかしら」と思い、物も言わず、「どうするのだろうか」と、夜中過ぎまでじっと見守っていたが、遂にどうにも見えないほどに明かりが細くなってしまったので、この女も寝た。

夜が明けてから、「どうしたろう」と思って、あわてて起きてみると、この女はいい時分に起き出して、何ともなさそうな様子で、家の主人と思われる女に、「昨夜は夢を見ました」と言う。家主の女が、「どんな夢を見たのですか」と聞くと、「私の寝ていた枕元に、人が座っている気配がしたので、見ると、腰から上は人で下は蛇の形をした端正な顔をした女がいて言うには、『自分はある人を恨めしいと思ったために、このように蛇になり、石橋の下で長年過ごして、つらいと思っておりました。昨日私を押さえつけていた重石の石を踏み返されて助けられ、石のその苦を除かれて嬉しく思いましたので、この人が行き着く先を見定めて、お礼を言おうと思って、お傍に寄り添って参りました。その後、貴方様が菩提講の席においでになりましたので、その御供をしたことで、人間でさえ出会う事が難しい仏法と出会うことができました。そのうえ、多くの罪まで消滅して、その仏法の力によって人間に生れ変るべき功徳も近くなりましたので、いよいようれしく思いまして、このようについて参ったのでございます。このお礼として、貴方様を裕福にしてさしあげて、立派な殿御にめあわせてさしあげましょう』と、言うのを見たのです」と語った。これを聞いて大いに驚いて、この宿を借りた女が言うには、「実は、私は田舎から上って来たものではないのです。これこれの所に住んでいる者です。それが昨日、菩提講に参りました道の途中で貴方に行き合いましたので、後について参りましたが、大宮大路のあの辺りの河の石橋を踏み返された下から斑な小蛇が出て来て御供について行くのを、これこれとお知らせしようと思ったのですが、お知らせしたら 自分にとってもいい事はないであろうと、恐ろしくて言うことが出来ませんでした。そういえば、講の席にもその蛇はおりましたが、誰も見つけられなかったのです。講が終わった後、そこを出られた後でもまた、その蛇が貴方について参りますので、どうなることか見届けたくて、思いもかけず昨夜はここで夜を明かしたのです。昨夜の夜中過ぎまでは、その蛇が柱の根元にいましたが、明けてから見ると、蛇も見えなかったのです。それとともに、このような夢物語をされると、あきれたことで、恐ろしくてこのようにおうちあけいたすのです。これからは、これを御縁として、お互いに何でもお話しするような仲になりたいものです」などと語り合って、後は、いつも行き来をして、知り合いになったということです。

さて、蛇を助けた女はたいそうしあわせになって、この頃は何とかという大殿の下家司でたいそう豊かな人の妻になって、すべて思いのままに暮らしている。尋ねてみたら、それが誰だかはすぐにも分るだろうということである。

語句

■雲林院(うりんゐん)-京都市北区紫野、大徳寺の東南にあった天台宗の寺院。初め淳和天皇の離宮、その後、貞観十一年(869)、僧正遍昭が住んで元慶寺の別院として一時栄えた。寛和年間(985~987)以後、毎年三月二十一日、この寺で『法華経』を講説する法会の「菩提講」が行なわれ、大勢の参会者を集めた。現在は大徳寺の南に「雲林院」の地名と観音堂一宇が残る。■大宮-朱雀大路をはさんで、大内裏の東西に二本の大宮大路が南北に通っていた。女が西院のあたりを通ることから推して、西大宮大路か。■西院-『捨芥抄』は「四条北、西大宮東」とする。その辺に淳和院の離宮があったが、現在の右京区西院淳和院町は西大宮大路の西になる。

■中結ひて-衣が足にまつわりつかないように、衣を少し引き上げ、腰の辺に帯を結ぶ着方。袴はつけない。■きりきりとして-くるくるととぐろを巻いて。■といふほどに-書陵部本「と見るほどに」。その方がわかりやすい。■尻に立ちて-後について。■ゆらゆらと-にょろにょろと。■尻なる-後ろの。■いかに思ひて行くにかあらん-どのように思って行くのだろうか。■悪しと思ひて-憎いと思って。■これがせんやう見むととて-このしようとする様を見ようと思って。■報答せんと-仕返しをしようと。■この女-前に行く女。■知らぬげなり-わからない様子である。■ただ最初見つけつる云々-蛇は、石橋を踏み返した女にもほかの通行人にも見えず、この尾行している女のみに見えたとするのは、この女が信心深く、何かの徳を持っていたことを示唆する。■しなさんやう-たくらんでするさま。

■ゐぬれば-座ったので。■稀有(けう)のわざかな-なんて不思議なことかしら。■これがしなさんやう見ん-この尾行している女の動機が、これまでに「これ(蛇)がせんやう見ん」「これがしなさんやう見ん」と語られ、今またそれが繰り返されているのは、その彼女の強い好奇心なしには、蛇の行為の謎は解けなかったという事情と同時に、それが実はこの一件の語り手である彼女の自己弁護の言葉でもあった事を物語っている。■下(しも)ざまに-下京の方面に。■するかたもなきなめり-何かをする気配はないようだ。明るい昼の間は、特別の動きはなさそうだ、という観察。■見るべきやうもなければ-「蛇に尾行されている女と同じ所に宿らないことには」の含み。■宿させ給はなんや-宿泊させていただきたいのですが。「なん」は、相手にあつらえ望む気持ちを表す終助詞。■ここに宿り給ふ人あり-蛇憑きの女が、家主の老女に取り次いでくれた言葉。以外にも蛇憑きの女はその家の持ち主ではなく宿泊者なのであった。■誰かのたまふぞ-どなたが(お泊りになりたいと)おっしゃっているのですか。どなたさまでいらっしゃいますか。■よく侍りなん-ろしゅうございましょう。■まもりあげて-「まもり」は「目守り」。じっと目を離さずに見上げて。■殿にあるやうは-御殿に上がっておりますと。尾行されている女が宮仕えの様子を話し聞かせている語り口。

■かかる程に-こうしているうちに。■ただ暮れに暮れて-どんどん暮れていって。■見るべきやうもなく-見られるてだてもなくて。■覚ゆる-思われる。■宿させ給へる-お泊めいただいた。■麻(を)やある-「を」は麻の古称。ここは麻や苧(からむし)の茎を水にさらして乾かしたもの。それを裂いた細い繊維をよって糸を作ること、つまり紡ぐことを「績ぐ」と言った。尾行してきた女は、何もしないで夜通し起きているのは不自然なことなので、起きているためと明かりを灯す口実がほしかった。■うれしくのたまひたり-直訳すればうれしいことをおっしゃってくれました。つまり、それはうれしいことです、の意。家主は老女であり、目を使う細かい手作業の加勢を喜んだ。■やがても告げばやと-すぐにも知らせたいと。

■今や寄らんずらん-(夜になり女も寝入ったらしい)今こそ、きっと蛇が女のそばへ近づいて行くであろう。■この事やがても告げばや-蛇憑きの女の身にまだ何も起こっていないうちに、蛇に付きまとわれていることを知らせて、用心させてあげたい、という気持。■我がためも悪しくやあらん-(蛇憑きの女にとっても)自分にとっても、蛇の祟りを招くような、よくない結果になるだろう、という不安とためらい。■しなさんやう見ん-再三再四の、尾行している女の、どこまでも蛇が何をするかを見届けてやろう、という執念。

■惑ひ起きて-しまった、これは寝すぎたかな、しばらく目を離してしまった。と目覚めてあわてた様。■かく蛇の身を受けて-死後、こうした蛇の身に生まれ変って。■思ひ給へしかば-思いましたので。「給ひ」ではなく、「給へ」(下二段活用)なので、自尊ではなく、謙譲の意。■悦び-お礼、感謝の意。■あひがたき法(のり)をうけたまはりたる-出合う事が難しい仏法と出会う事ができましたために。「人心はハ受ケ難ク、仏法は値(あ)ヒ難シ」(六道講式)という六道の輪廻転生観で、この世で人間であっても、死後は地獄・餓鬼・畜生・修羅道などに落ちる事が多く、再び人間に生まれることは難しい。その人間に生まれても仏法の教えを聞く機会に恵まれることはなかなかに難しい、という考え。そのように言われているのに、自分は蛇の身なのに、仏法を聴聞することができましたという喜び。■多く罪をさえ-蛇の身に生れ変る原因となった他人を恨んだ執念の罪。■いただきて-全書に従い、「いだきて」の誤写と見ておく。■物よくあらせ奉りて-財物がたくさんあるように、つまり裕福にしてさしあげて。■よき男などあはせ奉るべきなり-立派な殿御(夫)にめあわせてさしあげたいと思います。■あさましくなりて-すっかり驚いてしまって。■そこそこに侍る者なり-(京の)しかじかの所に住んでおります者です。■え申さざりしなり-申しあげられませんでした。■なりはてんやうゆかしくて-これまで頻出している「しなさんやう見ん」の別の言い方。「ゆかしくて」は「知りたくて」。■それにあはせて-蛇が姿を消したのに符丁を合せたようにして、(あなたが私の見聞とも一致する)蛇の夢の話をなさいましたので。■あらはし申すなり-打ち明ける。白状する。■今よりは云々-これからは、これをご縁として(お互いに)何でもお話するような仲になりたいものです。

■世に物よくなりて-たいそう裕福になって。たいへん運が開けて、ともとれる。■大殿(おほいどの)の下家司(しもげいし)-大臣家の執事。家司は、親王家・摂関家・大臣などの三位以上の家で家政を取り仕切る者。四位・五位のうちから任じられるが、六位以下の場合は下家司といった。■いみじく徳あるが妻-大変な資産家の妻。

       

朗読・解説:左大臣光永

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