宇治拾遺物語 4-6 東北院菩提講(とうぼくゐんぼだいかう)の聖(ひじり)の事
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東北院の菩提講始めける聖はもとはいみじき悪人にて、人屋(ひとや)に七度(ななたび)ぞ入りたりける。七度といひけるたび、検非違使(けびゐし)ども集りて、「これはいみじき悪人なり。一二度人屋にゐんだに人としてはよかるべき事かは。ましていくそばくの犯(をか)しをして、かく七度までは、あさましくゆゆしき事なり。この度(たび)これが足斬りてん」と定めて、足斬りに率(ゐ)て行きて斬らんとする程に、いみじき相人(さうにん)ありけり。それが物へ行きけるが、この足斬らんとする者に寄りていふやう、「この人おのれに許されよ。これは必ず往生(わうじやう)すべき相(さう)ある人なり」といひければ、「よしなき事いふ、物も覚えぬ相する御坊かな」といひて、ただ斬りに斬らんとすれば、その斬らんとする足の上にのぼりて、「この足のかはりに我(わ)が足を斬れ。往生すべき相ある者の足斬られては、いかでか見んや。おうおう」とをめきければ、斬らんとする者ども、しあつかひて、検非違使(けびゐし)に、「かうかうの事侍り」といひければ、やんごとなき相人のいふ事なれば、さすがにも用(もち)ひずもなくて、別当に、「かかる事なんある」と申しければ、「さらば、許してよ」とて、許されにけり。その時この盗人(ぬすびと)、心おこして法師になりて、いみじき聖になりて、この菩提講は始めたるなり。相(さう)かなひて、いみじく終(をは)りとりてこそ失(う)せにけれ。
かかれば、高名(かうみやう)せんずる人は、その相ありとも、おぼろけの相人の見る事にてもあらざりけり。始め置きたる講も今日(けふ)まで絶えぬは、まことにあはれなる事なりかし。
現代語訳
東北院の菩提講を始めた聖は、元はひどい悪人で、牢獄に七回も入った。七回目のとき、検非違使たちが集まって、「こいつはとんでもない悪人だ。一、二度牢屋に入るのでさえ、人としてよかろうはずがない。ましてどれほどの罪を犯してか、このように七回も入るとは、あきれたとんでもない事だ。今度はこいつの足を斬ってやろう」と決めて、足を斬りに連れて行って斬ろうとすると、優れた人相見がいて、たまたま通りかかったが、この足を斬ろうとする者たちに近寄って、「この人を自分に免じて許されよ。この人は必ず極楽往生を遂げる相をもった人だ」と言ったので、「たわけたことを言う。わけのわからぬ人相見の坊様よ」と言って、今にも斬りかかろうとした。すると人相見はその斬ろうとする足に上って、「この人の足の代わりに私の足を斬れ。往生すべき人相ある者の足を斬られるのを、どうして見ておれるか。おうおう」とわめいたので、斬ろうとする者たちも扱いかねて、検非違使に「これこれの次第です」と知らせた。尊い人相見の言うことなので、さすがに取り上げないわけにはいかず、別当に、「かような事があります」と申し上げると、「それでは、許してやれ」と言って、許されたのである。その時、この盗人は道心を起こして法師になり、すぐれた聖となって、この菩提講を始めたということだ。その後、この聖は、人相見の予感が当たって、立派な往生を遂げて亡くなった。
こういうわけで、将来名をあげるような人は、例えその相を持っていても、いい加減な人相見が見極められる事ではないのである。この聖の始められた菩提講が今日まで絶えないのは、まことに感慨の深い事であるよ。
語句
■東北院-長元三年(1030)、上東門院彰子が、法成寺境内の東北の一角(現在の京都市左京区浄土寺真如町)に創建した寺院。ただし、『今昔』巻一五~二二話は、本話を雲林院にちなむものとする。■いみじき-ひどい。■人屋-牢屋。牢獄。■七度といひけるたび-七度目のときに。■ゐんだに-いてさえも。■よかるべき事かは-よいはずがあろうか。■いくそばく-どれくらい数多く。どれほど。■犯して-罪を犯して。■あさましく-あきれた。■ゆゆしき-とんでもない。■足斬りてん-足を斬ってしまおう。■率(ゐ)て行きて-連れて行って。■いみじき相見(そうにん)- まことにすぐれた人相見。■物へ-ある所へ。■おのれに-自分に免じて、私を信用して。■往生(おうじやう)すべき相(さう)ある人なり-死後、西方極楽浄土に生まれる人相を持っている人物である。■よしなき事-根も葉もないこと、わけのわからない、たわけたこと。■いかでか見んや-どうして見ておられようか。■しあつかひて-扱いかねて、もてあまして。■かうかうのこと-これこれのこと。■やんごとなき-尊い。■用(もち)ひずもなくて-取り上げずにはいられなくて。「用ひず」:ハ行上二段活用の動詞「用ふ」の未然形である「用ひ」に、打消の助動詞「ず」が付いた形。■別当-検非違使庁の長官。参議以上の兵衛、衛門督の中から選ばれた。■かかること-このようなことが。■さらば-それでは。■許してん-許してやれ。■心-道心(仏教を深く信仰する心)■いみじき-すぐれた。■この菩提講は始めたるなり-本話がもし雲林院の菩提講の起源話ならば、『中右記』承徳二年(1098)五月一日条によると、それは源信僧都という。■相(さう)かなひて-人相見の予想が当たって。■いみじく終(をは)りとりて失せにけれ-立派に極楽往生を遂げて亡くなった。
■かかれば-こういうわけで。■高名せんずる人は-名をあげるような人は。■おぼろけの-いい加減な。■あはれなることなりかし-感慨の深い事であるよ。