宇治拾遺物語 4-10 篤昌(あつまさ)、忠恒(ただつね)等の事

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原文



これも今は昔、民部大輔(みんぶのたいふ)篤昌といふ者ありけるを、法性寺殿(ほつしやうじどの)の御時、蔵人所(くらうどどころ)の所司(しよし)によしすけとかいふ者ありけり。件者(くだんのもの)、篤昌(あつまさ)を役(やく)に催しけるを、「我はかやうの役はすべき者にもあらず」とて、参らざりけるを、所司に小舎人(こどねり)をあまたつけて茄法(かはふ)をして催しければ参りにける。さてまづこの所司に、「物申さん」と呼びければ、出(い)であひけるに、この世ならず腹立ちて、「かやうな役に催し給ふはいかなる事ぞ。篤昌をばいかなる者と知り給ひたるぞ。承らん」と、しきりに責めけれど、しばしは物もいはでゐたりけるを叱(しか)りて、「のたまへ。まづ篤昌がありやうを承らん」といたう責めければ、「別の事候(さぶら)はず。民部大輔(みんぶのたいふ)五位の鼻赤きにこそ知り申したれ」といひたりければ、「をう」といひて逃げにけり。

またこの所司がゐたりける前を、忠恒(ただつね)といふ随身(ずいしん)、異様(ことやう)にて練(ね)り通りけるを見て、「わりある随身の姿かな」と忍びやかにいひけるを、耳とく聞きて、随身、所司が前に立ちかへりて、「わりあるとはいかにのたまふ事ぞ」と咎(とが)めければ、「我は人のわりありなしもえ知らぬに、只今武正府生(たけまさふしやう)の通られつるを、この人々、『わりなき者の様体(やうだい)かな』と言ひ合せつるに少しも似給はねば、さてはもし、わりのおはするかと思ひて申したるなり」といひたりければ、忠恒、「をう」といひて逃げにけり。

この所司をば「荒所司(あらしよし)」とぞつけたりけるとか。

現代語訳

これも今となっては昔のこと、民部大輔篤昌という者がいたが、同じころ、藤原忠通の御時、蔵人所の所司(職員)でよしすけとかいう者がいた。ある時その者が忠通の命令を受けて篤昌を夫役(公用の労働)に召し出した。ところが、「自分はこんな労役をするようなつまらぬ人間ではない」と言って応じなかった。そこで所司に下役人を大勢つけて手厳しく督促すると、しかたなく篤昌はやって来た。そしてまずこの所司に、「言いたいことがある」と呼び出したので、出て行くと、恐ろしく腹を立てて、「このような労役に召し出されたのはどういうわけか。この篤昌を何者とお考えか。承ろう」とさかんに責め立てたが、所司はしばらくものも言わず黙っていた。篤昌は叱りつけて、「さあ仰せられい。まづ篤昌がどのような立場の者かについて伺いましょう」とひどく責めたので、所司は、「別の子細はございません。民部大輔の五位で、鼻の赤い方であると存知あげております」と言ったので、篤昌は「おお」と言ったきり二の句が告げず逃げ出してしまった。

また、この所司が坐っていた前を、忠恒(ただつね)と言う随身(ずいしん)が、人とは一風変わった格好でゆっくり通ったのを見て、「わりある随身のお姿よ」とひそかに言ったのを、忠恒は耳ざとく聞きつけ、所司の前に引き返して来て、「わりあるとはどういう意味で言われたのか」と咎(とが)めた。するとよしすけは、「自分は人のわりあり、わりなしもよう分りませぬが、先ほど、武正府生(たけまさふしやう)殿が通られたのを、ここにいる人たちが、『わりなき者のお姿よ』と評判しておりましてな、それと貴方を比較すると、少しも似ていないので、さてはもしかしてわりがおありなのかなと思って申したのです」と言ったので、忠恒は、「おお」と言ったきり二の句が告げず逃げだしてしまった。この所司を「荒所司(あらしよし)」と呼んだということである。

語句

■民部大輔(みんぶのたいふ)篤昌-民部省の次官で、下総守藤原範綱の子。伊予守も務めた。■法性寺殿(ほつしやうじどの)-藤原忠通(1097~1164)。摂政・関白、太政大臣。晩年、出家して法性寺に住んだ。■蔵人所の所司-蔵人所の職事(五位の蔵人)で蔵人頭を補佐する次官相当の者。僧階では三綱を所司、鎌倉幕府でも侍所の次官を所司と呼ぶ。ここも夫役(ふやく)の招集を命ずる立場の者であり、雑役の小者とは考え難い。■よしすけ-伝未詳。■役-夫役。肉体労働的な労役。■催す-集める。招集する。■小舎人-蔵人所の諸雑用に従う役人。■この世ならず-(誇りを傷つけられたていで)このうえなく、かんかんに。■腹立ちて-立腹して。■茄法(かはふ)をして催しければ-やいやい責め立てると。■催し給ふは-召し出されるのは。■叱りて-声を荒げて。■のたまえ-仰せられい。■ありやうを承らん-立場について伺いましょう。■鼻赤きにこそ-鼻の赤い事で。よしすけは、篤昌の意図を意識的にはぐらかして、赤鼻という篤昌が負い目に感じ、彼に対しては禁句になっていたことを事もなげにずばりと言ってのけた。■をう-勢い込んでいただけに、「赤鼻」との指摘に愕然とした叫び声。■別の事候(さぶら)はず-別の子細はありません。

■ゐたりける-坐っていた。■忠恒-伝未詳。大系は『兵範記』仁平・保元年間の記事に「近衛忠恒」などとあることから忠恒と見る。■随身-御供。平安時代、貴人が外出するとき勅命(ちよくめい)によって剣や弓矢を持って警護の役をした近衛(このえ)の舎人(とねり)。上皇には十四人、摂政・関白には十人、大臣・大将には八人、納言・参議には六人などと人数が定められていた。■異様にて練り通りける-一風変わった格好でゆっくりと通ったのを。■わりある-よしすけの即興的な造語。「わりなし」の反対語で、ここでは、ひどい・異様なというような意味。■忍びやかに-ひそかに。■耳とく-耳ざとく。■いかにのたまふ事ぞ-どういう意味で言われたのか。■わりなし-格別すぐれている。すばらしい。■え知らぬに-ようわかりませんが。■武正府生(たけまさふしやう)-下野武正。関白藤原忠実・忠通に仕えた名随身。白河院の随身下野武忠の子で、左府生。後に右近衛将曹。■様体かな-姿よ。

備考・補足

■寸鉄人を刺すようなきついことを、とぼけてずばりと言ってのける所司の仇名の由来。憤慨して迫りくる相手に、少しも動ぜず、余裕を持って対応して平然と相手の急所をつく、心憎い特技。

朗読・解説:左大臣光永