宇治拾遺物語 4-12 式部大輔実重(しきぶのたいふさねしげ)、賀茂(かも)の御正体拝み奉る事

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原文


これも今は昔、式部大輔実重は賀茂へ参る事ならびなき者なり。前生(ぜんしやう)の運おろそかにして、身に過ぎたる利生(りしやう)にあづからず。

人の夢に、大明神、「また実重来たり」とて嘆(なげ)かせおはします由(よし)見けり。実重、御本地を見奉るべき由祈り申すに、ある夜下(しも)の御社(やしろ)に通夜(つや)したる夜、上へ参る間(あひだ)、なから木のほとりにて行幸にあひ奉る。百官供奉(ぐぶ)常のごとし。実重片藪に隠れゐて見れば、鵬輦(ほうれん)の中に金泥(こんでい)の経一巻おはしましたり。その外題(げだい)に「一称南無仏、皆已成仏道(かいじやうぶつだう)」と書かれたり。

夢則(すなは)ち覚めぬとぞ。

現代語訳

これも今は昔、式部大輔実重が賀茂神社へ参拝する熱心さではたぐいのない者である。前世からの因縁で運つたなく、身にあまるほどの利益もこうむることもない。

ある人の夢に、大明神が、「また実重が来た」と言って嘆いておいでになる様子が見えたという。その実重が大明神の御本体を拝み申したいと、ある夜下の御社で夜どうし祈った晩、上社に参詣する間、中賀茂の辺りで、天皇の行幸にお会いした。百官がいつものように御供をしている。実重は片側の藪に隠れて見ていると、天子の御輿の中に金泥で書かれた経が一巻置いてあった。その表題に「一称南無仏、皆已成仏道」と書かれていた。

夢はそこでたちまち覚めたという。

語句

■式部大輔実重-宮内大輔平昌隆の子(?~1150)。書陵部本などの「式部大夫」という表記に従えば、式部省の次官で正五位に叙されていた者。■賀茂へ参る事云々-大系は、『千載集』(1270)の「蔵人にならぬことを嘆きて年来賀茂の社にまうで侍りけるを二千三百度にもあまりりける時」という詞書を適切に紹介している。■ならびなき-たぐいのない。■おろそかにして-つたなくて。■利生-神仏が衆生に与える利益。■利生にあづからず-利益をこうむらない。

■嘆かせおはしますよし-嘆いておいでになるさま。■御本地-明神の御本体である仏・菩薩の姿。本地垂迹観による。■見奉るべき由-拝み奉りたい旨を。■下-左京区下鴨泉川町にある下鴨神社、別名賀茂御祖神社で、祭神は玉依姫・賀茂建角身命(たけづぬみのみこと)。■通夜-仏堂に籠って夜どうし祈る事。■上-北区上賀茂本山にある上賀茂神社で、祭神は賀茂別雷命(わけいかずちのみこと)。■なから木-半木、流木とも書く。上社と下社との中間にある小社で、中賀茂とも。■供奉-行幸・祭礼などのお供をすること。■片藪-片側の藪に。■鵬輦(ほうれん)-屋形の上に金の鳳凰飾りのある天皇用の輿。■金泥(こんでい)の経-金粉をにかわ水に溶いたもので巻いた書いた経巻。■一称南無仏、皆已成仏道-「一タビ南無仏ト称セバ、皆スデニ仏道を成ゼリ」(法華経・方便品の偈(げ)の一節)。

■則ち-そのまま。

備考・補足

前世に定められた果報は、賀茂の神といえども、勝手に変更するわけにはいかず、実重の願望との板挟みになって弱っているという信仰厚き者への夢の告げ物語。

朗読・解説:左大臣光永