宇治拾遺物語 4-13 智海法印(ちかいほふいん)、癩人(らいじん)法談の事

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原文


これも今は昔、智海法印有識(うしき)の時、清水寺へ百日参りて、夜更(ふ)けて下向しけるに、橋の上に、「唯円教意(ゆいゑんけうい)、逆即是順(ぎやくそくぜしゆん)、自余三教(じよさんげう)、逆順定故(ぎやくじゆんぢやうこ)」といふ文(もん)を誦(じゆ)する声あり。「貴(たふと)き事かな、いかなる人の誦するならん」と思ひて、近う寄りて見れば、白癩人(びやくらいにん)なり。傍(かたは)らにゐて法文(ほふもん)の事をいふに、智海ほとほといひまわされけり。「南北二京にこれ程の学生(がくしやう)あらじものを」と思ひて、「いづれの所にあるぞ」と問ひければ、「この坂に候(さぶら)ふなり」といひけり。後にたびたび尋ねけれど、尋ねあはずしてやみにけり。「もし化人(けにん)にやありけん」と思ひけり。

現代語訳

これも今は昔、智海法印が有識の地位にあった時、清水寺に百日間参詣して、夜が更けて帰った時に、橋の上で「唯円教意(ゆいゑんけうい)、逆即是順(ぎやくそくぜしゆん)、自余三教(じよさんげう)、逆順定故(ぎやくじゆんぢやうこ)」と経文を唱える声がする。「尊い事かな。どんな人が唱えているのか」と思って、近くに寄って見ると、白癩人(びやくらいにん)である。傍に坐ってこの経文の事を色々と語り合うと、さすがの智海もことごとく言い負かされてしまった。「奈良と京都の二京にこれほど優れた学者がいたであろうか」と思って、「どこに住んでおられるのか」と聞くと、「この坂におります」と言った。そこで智海は、後で何度も尋ねてみたが、尋ね出せずにそのままになってしまった。「さては神仏の権化だったのか」と思うのであった。

語句

■法談-仏法の要義を説き聞かせること。■智海法印-弁覚・永弁らとともに比叡山の唱導僧澄豪の弟子の一人。承安三年(1173)五月、相当の高齢で法橋に叙任されている。■有識(うしき)-僧綱(そうごう)に次ぐ僧の職位で、已講(いこう)、内供(ないぐ)、阿闍梨(あじやり)の三僧職の総称。已講は、奈良興福寺の維摩会、薬師寺の最勝会、内裏の御斎会という三大会の講師を勤める学徳ある僧。■唯円教意云々-天台の四教(円教・蔵教・通教・別教)の中で、ただ円教だけが、逆縁(三悪道に落ちるような業因)をも順縁たらしめる力ある教えで、他の三教にはそれができない。唐の湛然の『法華文句記』巻八に見える釈義。■白癩人-皮膚が白色化する癩病者。■南北二京-南都と北京。奈良と京都。■学生-仏教経典に通じている学匠。■化人-神仏の権化、権現、化身。

備考・補足

■三大会の講師を勤めるほどの学僧に、神仏が、当時は業病となれた白癩人の姿を借りて経典の秘密の釈義を示し、学僧に大奮起を促した話。

朗読・解説:左大臣光永