宇治拾遺物語 4-14 白河院(しらかはゐん)おそはれ給ふ事

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これも今は昔、白河院御殿籠りて後、物におそはれさせ給ひける。「しかるべき武具を御枕の上に置くべき」と、沙汰ありて、義家朝臣に召されければ、壇弓の黒塗りなるを、一張参らせたりけるを、御枕に立てられて後(のち)、おそはれさせおはしまさざりければ、御感ありて、「この弓は十二年の合戦の時や持ちたりし」と御尋ねありければ、覚えざる由(よし)申されけり。上皇しきりに御感ありけりとか。

現代語訳

白河院が物の怪におそはれ給ふ事

これも今は昔、白河院がおやすみになられてから、物の怪にうなされなさいました。「物の怪を抑えるような適当な武器を枕元に置くように」との仰せがあって、源義家朝臣にその献上を命じたところ、黒塗りの檀(まゆみ)の弓を一張さしあげたが、それを御枕元に立てられてからは、物の怪にうなされなさらなくなられた。それで、ご感心なさって、「この弓は十二年の合戦の時にでも持っていたものか」とお尋ねがあったが、義家はよく覚えていない旨を申しあげた。それをまた上皇はしきりに感心なさったとか。

語句

■白河院-第七十二代天皇(1053~1129)。後三条天皇の皇子。堀河、鳥羽、崇徳三天皇の上皇として、四十三年間、院政を執った。■籠りて後-おやすみになってから。■物-物の怪。目に見えない霊気。■しかるべき-適当な。■上に-もとに。■沙汰ありて-命令があって。■義家朝臣-源義家(1039~1106)。前九年の役の武勲により出羽守になり、鎮守将軍・陸奥守として後三年の役を平定した。■壇弓-檀(まゆみ)の丸木で作った弓 。■参らせたりけるを-さしあげたのを。■おそはれさせおはしまさざりければ-襲われなさることがなかったので。■御感ありて-ご感心なさって。■十二年の合戦-前九年の役。永承六年(1051)から康平五年(1062)まで十二年間に及んだ。頼義・義家父子が、陸奥六郡を支配する安倍頼時とその子の貞任・宗任兄弟と戦い、鎮定した戦役。■覚えざる由-覚えていない旨。

朗読・解説:左大臣光永

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