宇治拾遺物語 5-2 伏見修理大夫(ふしみのしゆうりのだいぶ)の許(もと)へ殿上人(てんじやうびと)行き向ふ事

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これも今は昔、伏見の修理大夫のもとへ殿上人に廿人ばかり押し寄せたりけるに、にはかに騒ぎけり。肴物(さかなもの)、とりあへず沈地の机に時の物などいろいろ、ただ推し量るべし。盃たびたびになりて、おのおの戯(たはぶ)れ出でける。馬屋(むまや)に黒馬の額(ひたひ)少し白きを廿疋(ぴき)立てたりけり。移しの鞍(くら)二十具、鞍掛(くらかけ)にかけたりけり。殿上人酔(ゑ)い乱れて、おのおのこの馬に移しの鞍置きて乗せて返しにけり。

つとめて、「さても昨日(きのふ)いみじくしたるものかな」といひて、「いざ、また押し寄せん」といひて、また二十人押し寄せたりければ、この度(たび)はさる体にして、にはかなるさまは昨日にかはりて、炭櫃(すびつ)をかざりたりけり。馬屋(むまや)を見れば、黒栗毛(くろくりげ)なる馬をぞ二十疋まで立てたりける。これも額(ひたひ)白かりけり。

大方(おほかた)かばかりの人はなかりけり。これは宇治殿の御子におはしけり。されども君達(きんだち)多くおはしましければ、橘俊遠(たちばなのとしとほ)といひて世の中の徳人(とくにん)ありけり。その子になして、かかるさまの人にぞなさせ給うたりけるとぞ。

現代語訳

これも今は昔、伏見の修理大夫のところに殿上人が二十人ほど押しかけて行ったが、急なことで慌て騒いだ。酒の肴にする料理として、さしあたって、沈地の机に季節の果物や野菜などを並べたが、その豊かな種類と分量の多さがどんなふうであったかは御推察ください。盃を何度か取り交わして、終わって客人たちは軽口をたたきながら部屋を出た。馬屋には黒ではあるが額に少し白い毛が混ざった馬を二十頭揃えていた。移しの鞍も二十具、鞍掛にかけてあった。殿上人はみな酔い乱れていたので、それぞれこの馬に移しの鞍を置いて乗せてお返しになった。

次の朝、「さてさて、昨日はたいしたもてなしぶりだったなあ」と言って、「さあ、また押しかけよう」と言って、また二十人ほどが押しかけて行ったが、今度は急な来客があってもよいように十分な備えがしてあって、不意の来客への応対ぶりは、昨日とは違って、炭櫃もきれいに磨きたててあった。馬屋を見ると、黒栗毛の馬を二十頭まで繋いであり、これもみな額が白かった。

およそこれほど豪奢な人はいるものではない。この方は宇治殿の御子でいらっしゃった。しかし、御子も大勢おありで、その中には橘俊遠(たちばなのとしとほ)というたいへんな財産家もいらっしゃったが、その人の養子にして、こういう裕福な人になされたのだということである。

語句

■伏見の修理大夫-藤原俊綱(1028~94)。摂政関白頼通の子。母は源祇子(進命婦。?~1053)。兄に師実、通房がいる。母の祇子が懐妊中に讃岐守橘俊遠に嫁したので、はじめ俊遠の子となし、後年、頼通の子に直した。官位は正四位下、修理大夫(修理職の長官)どまりだが、諸国の国守を歴任して富を蓄え、『今昔』巻四によれば、伏見の邸宅は数奇を凝らした豪邸であったという。(→巻第五ノ二話)『後拾遺集』以下に十二首入る。■押し寄せたりけるに-押しかけて行ったが。■にはかに騒ぎけり-急なことで慌て騒いだ。■肴物(さかなもの)-酒采(しゅさい)とすべき料理。■取りあへず-「取りあへず」は、従来、諸注いずれも「間に合わずに」とするが、「さしあたって」の意にも解し得る。■沈地の机に-沈香(伽羅)の木で作られたこの上もなく贅沢な卓机に。■時の物-その季節の果物や野菜などの豊かな種類と分量の多さ(がどんなふうであったかは)。■ただ推し量るべし-まあおしはかってほしい。■移しの鞍-随身や行幸に供奉る殿上人などが用いた鞍。上鞍は黒漆・螺鈿(らでん)などの細工、下鞍は赤革に紺青の雷竜を描くなど、豪華な飾り鞍。乗換用の鞍という。■さる体(てい)にして-急な来客があってもよいように十分な備えがしてあって。■にはかなるさまは-不意の来客への応対ぶりは。■炭櫃(すびつ)-炉または方形の火鉢。その飾り立て方が前日の沈香木の机のように、並大抵ではなかったこと。■額白かりけり-(前日の二十頭の馬もみな額が少し白かったが)今日の馬も二十頭とも額の白いのをそろえてあったという事。俊綱の想像もできないような資産家ぶりを物語る。■宇治殿-藤原頼通(992~1074)。道長の長子。後一条・後朱雀・後冷泉天皇三代の摂政・関白を歴任。■橘俊遠-大和守俊済の子。讃岐守、従四位下。生没年未詳。■世の中の徳人-たいへんな財産家。■その子-『今鏡』藤波の上には、俊遠が祇子(進命婦)のもとに通っていたので、頼通ははじめ俊綱を彼の子と思い、いったんは橘姓としたが、後に藤原姓に戻した、と見える。

朗読・解説:左大臣光永

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