宇治拾遺物語 5-3 以長(もちなが)、物忌(ものいみ)の事

≫音声つき【古典・歴史】無料メールマガジンのご案内

スポンサーリンク

原文

これも今は昔、大善亮大夫(だいぜんのすけのたいふ)橘以長(たちばなのもちなが)といふ蔵人(くらうど)の五位ありけり。宇治左大臣殿より召しありけるに、「今明日は堅き物忌を仕(つかまつ)る事候(さぶら)ふ」と申したりければ、「こはいかに。世にある者の、物忌といふ事やはある。たしかに参られよ」と、召しきびしかりければ、恐れながら参りにけり。

さる程に、十日ばかりありて、左大臣殿に堅き物忌出で来にけり。御門の狭間(はざま)にかいだてなどして、仁王講行はるる僧も、高陽院(かやのゐん)の方(かた)の土戸(つちど)より、童子なども入れずして、僧ばかりぞ参りける。御物忌ありと、この以長聞きて、急ぎ参りて、土戸より参らんとするに、舎人(とねり)二人(ふたり)ゐて、「人な入れそと候ふ」とて、立ち向ひたりければ、「やうれ、おれらよ、召されて参るぞ」といひければ、これらもさすがに職事(しきじ)にて常に見れば、力及ばず入れつ。参りて、蔵人所にゐて、何(なに)となく声高(こわだか)に物いひゐたりけるを、左府聞かせ給ひて、「この物いふは誰ぞ」と問はせ給ひければ、盛兼申すやう、「以長に候ふ」と申しければ、「いかにかばかり堅き物忌には、夜部より参り籠りたるかと尋ねよ」と仰せければ、行きて仰せの旨をいふに、蔵人所は御所より近かりけるに、「くはくは」と大声して、はばからず申すやう、「過ぎ候ひぬる比、わたくしに物忌仕りて候ひにし召され候ひき。物忌の由を申し候ひしを物忌といふ事やはある。たしかに参るべき由仰せ候ひしかば、参り候ひにき。されば物忌といふ事は候はぬと知りて候ふなり」と申しければ、聞かせ給ひてうち頷き、物も仰せられでやみにけりとぞ。

現代語訳

これも今は昔、大善亮大夫橘以長(だいぜんのすけのたいふたちばなのもちなが)という蔵人の五位がいた。宇治の左大臣殿からお召しがあった時、「今日明日は重い物忌に籠っております」と申し上げたところ、「これは又何としたことか。公職にある者が、物忌などと言っておられるか。必ずやって来い」と、厳しく召されたので恐る恐る参上した。

そのうちに、十日ほど経ってから、左大臣殿に重い物忌の必要が出て来た。御門の隙間には板の楯などを立てて、仁王講をされる僧侶でさえ、高陽院の方角の土戸から御供の童子なども入れずに、僧侶だけが参上した。御物忌があると、この以長が聞きつけて、急ぎ参上し、土戸から入ろうとするが、舎人(とねり)が二人いて「人を入れるなとの仰せです」と立ち向ってきたので、「やい、お前たち。召されて参るのだぞ」と言うと、この連中も職事の以長をさすがに常に見知っているので、仕方なく中に入れた。以長は屋敷に入り、蔵人所に居て、何となく大声で物申したのを左門殿が聞き咎めて、「ああして物を言っているのは誰か」とお尋ねになったので、盛兼が、「以長でございます」と申し上げた。左門殿は、「なんとこのように重い物忌のさなかに参ったのか。夕べから参上して籠っているのか」と仰せられたので、以長の所へ行き、仰せの旨を伝えた。蔵人所は左大臣の御座所から近いのに、以長が「これはこれは」と大声で、周囲を気にせず申すには、「先日、私事で、物忌にこもっておりますときにお召しがありました。その時、私は物忌のわけを申し上げましたが、物忌などということがあろうか。必ず参るよう仰せになられましたので、参上いたしました。それで物忌などというものはないものだと存じております」と申し上げると、左大臣殿は、それをお聞きになり、頷いて、何とも仰せられずにすんでしまったということである。

語句

■橘以長(たちばなのもちなが)信濃守広房の子。蔵人、筑後の守、従五位上、嘉応元年(1169)没。大膳亮は大膳職の次官。■宇治左大臣-藤原頼長(1120~56)。氏長者。保元の乱で敗北死した。学識高い才人でありながら、はげしい気性で他人に厳格な硬骨漢であったことから悪左府と呼ばれた。漢文の日記に『台記』がある。■物忌(ものいみ)-陰陽道(おんようどう)で、天一神(なかがみ)・太白神(たいはくじん)(戦争や凶事をつかさどる神)のふさがりを犯すのを避けるため、また暦に記された凶日や、悪い夢を見たり、けがれに触れたりしたときに、それらを避けるため、一定期間身を清めて家にこもること。

■かいだて-防御のために、楯(たて)を並べて垣のようにしたもの。 「かい」は垣。一説には「書き立て」とし、物忌の立札。■仁王講-『仁王般若経』の所説を賛美する法会。『法華経』『金光明経』とともに護国の三部経とされ、災難を逃れるために読誦された。■高陽院-頼長邸の西北方にあった父忠実の居宅。その方角に向いていた引戸で、築地に設けられた門の戸。■童子-僧侶についてきた少年。■舎人-天皇・皇族・摂関等の貴族に仕えて雑事をつかさどる者。■やうれ、おれらよ-やい、お前たち。■職事-蔵人頭と蔵人の総称。■力およばで-仕方なく。■蔵人所-左大臣家の蔵人の詰所。■盛兼-頼長の近臣か。伝未詳。■くはくは-これはこれは。騒々しく大仰な応答ぶり。■わたくしに-私事で。

備考・補足

■悪左府と言われるほどに合理的に物事を割り切り、冷たいほどに道理を通した頼長であり、しかも、同じ理屈で以長の物忌を踏みにじっていただけに、以長の報復の筋論には脱帽せざるをえなかった。以長は頼長の没後十余年を生きたらしい。本話は巻第八ノ一話などとともに、頼長を哀惜する彼が、周辺の者たちに語ったものか。

朗読・解説:左大臣光永