宇治拾遺物語 5-4 範久阿闍梨(はんきうあじやり)、西方(さいはう)を後(うし)ろにせぬ事

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原文

これも今は昔、範久阿闍梨といふ僧ありけり。山の楞厳院(りようごんゐん)に住みけり。ひとへに極楽を願ふ。行住座臥西方(ぎやうぢゆうざぐわさいほう)を後(うし)ろにせず。

唾(つばき)をはき、大小便西に向はず。入り日を背中に負はず。西坂より山へ登る時は、身をそばだてて歩む。常に曰(いは)く、「うゑ木の倒るる事、必ず傾(かたむ)く方(かた)にあり。心を西方にかけんに、なんぞ志を遂げざらん。臨終正念疑はず」となんいひける。往生伝に入りたりとか。

現代語訳

これも今は昔、範久阿闍梨という僧がいた。比叡山の楞厳院に住んでおり、ひたすら西方極楽を願っていた。行住坐臥、いつも西方を後ろにしない。

唾を吐き、大小便をする時も西の方に向ってはしない。入日を背に負わない。西坂より山へ登る時は、身を横にして歩む。そしていつも、「樹木が倒れるときは、必ず傾いている方に倒れる。心を西方にかけていれば、どうして志を遂げられないことがあろうか。死ぬときには、心に迷いなく往生極楽を疑わない」と言っていた。
往生伝に載っているという。

語句

■範久阿闍梨(はんきうあじやり)-伝未詳。阿闍梨は梵語で、「軌範師」の意味で、天台・真言宗の僧階の一つ。また修行を積んだ学徳ある高僧への一般的な敬称。■山の楞厳院(りようごんゐん)-比叡山の三塔の一つである横川の中堂。嘉祥元年(848)、慈覚大師が創建した。後には源信僧都も住み、天台浄土教者にとっての中心的な存在となる。■極楽-西方極楽浄土への往生を。■行住座臥西方(ぎやうぢゆうざぐわさいほう)-行く、止まる、座る、臥すという日常の四種の動作で、仏教ではこれを四威儀(しいぎ)と呼び、修行者はこの四態の戒律を守るのが基本。■臨終正念疑はず-死ぬときには、心に迷いなく往生極楽を疑わないこと。■往生伝-大江匡房(まさふさ)の『続本朝往生伝』。康和三年(1101)以後十年以内に成立。天皇・大臣から婦女にいたる往生者四十二名の列伝。範九の伝はその二十番目に載る。

備考・補足

■奇人のように生きて信心の純一を保ち通したこの往生者の姿は、宗教とは何かという問いを、改めて読む者に突きつける。

朗読・解説:左大臣光永