宇治拾遺物語 5-7 仮名暦(かなごよみ)あつらへたる事

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これも今は昔、ある人のもとに生(なま)女房のありけるが、人に紙乞ひて、そこなりける若き僧に、「仮名暦(かなごよみ)書きて給(た)べ」といひければ、僧、「やすき事」といひて書きたりけり。始めつ方(かた)はうるはしく、神、仏によし、坎日(かんにち)、凶会日(くゑにち)など書きたりけるが、やうやう末ざまになりて、ある日は物食はぬ日など書き、またこれぞあればよく食ふ日など書きたり。

この女房、やうがる暦かなとは思へども、いとかう程には思ひよらず、さる事にこそと思ひて、そのままに違(たが)へず。またある日ははこすべたらずと書きたれば、いかにとは思へども、さこそあらめとて念じて過(すぐ)す程に、長凶会日(ながくゑにち)のやうに、はこすべからず、はこすべからずと続け書きたれば、二日三日までは念じゐたる程に、大方(おほかた)堪ふべきやうもなければ、左右の手にて尻(しり)をかかへて、「いかにせん、いかにせん」と、よぢりすぢりする程に、物も覚えずしてありけるとか。

現代語訳

これも今は昔、ある人のところに新参の若い女房がいたが、人に紙をもらって、近くにいた僧に、「仮名暦を書いてください」といったので、僧は「たやすいことだ」と言って書いてくれた。はじめのほうはきちんと、「神事、仏事によし」、「坎日(かんにち)」、「凶会日(くゑにち)」などを書き込んだがだんだん後のほうになってくると、ある日は「物を食わぬ日」などと書き、また「これがあればよく食う日」などと書いていった。

この女房は、風変わりな暦だなとは思ったが、まさかこれほどでたらめに書かれているひどい暦だとは思わず、何か訳があるのだろうと思って、書かれていることに従って過ごしていた。またある日には「大便をするな」と書いてあったので、どうかとは思いつつも、何か訳があるのだろうと我慢をして過ごすうちに、長く続く凶会日では「大便をするな、大便をするな」と続けて書いてあったので、二日三日までは我慢して過ごしていたが、まったく我慢ができなくなり、左右の手で尻を抱え、「どうしよう、どうしよう」と体をさまざまによじりくねらせて悶えているうちに、思わず知らず漏らしてしまったという。

語句

■生(なま)女房-新参の(おそらく年若い)女房。「生」は未熟な、まだ慣れない。■乞いて-もらって。■そこなりける-近くにいた。■仮名暦(かなごよみ)-仮名書きの暦。女性や漢字の読めない者のためのもの。■書いて給べ-書いてください。■やすき事-たやすいことだ。■始めつ方(かた)-はじめのほう。■うるはしく-きちんと。■神、仏によし-神社仏寺への参詣によい。■坎日(かんにち)-陰陽道で万事に凶とする日。一月は辰の日、二月は丑、三月は戌、四月は未、五月は卯、六月は子、七月は酉、八月は午、九月は寅、十月は亥、十一月は申、十二月は巳の日。■、凶会日(くゑにち)-陰陽相克の外出・行動を慎むべき日。月により二日~十二日の該当日があるとされる。■やうやう末ざまになりて-しだいに後の方になると。■やうがる-一風変わった、風変わりな。■いとかう程には-まさかこれほどでたらめに書かれているひどい暦だとは。■さることにこそ-何か訳があるのだろうと。■はこすべからず-大便をしてはならない。「はこ」は「清器(しのはこ)」の略で、便器の箱、おまる。転じて大便の異名。■いかにとは-どうかとは。■さこそはあらめ-何か訳があるのだろう。■念じて過すほどに-我慢をして過ごすうちに。■念じゐたる程に-こらえていたのだが。■大方(おほかた)堪ふべきやうもなければ-まったく我慢ができそうもないので。■よぢりよぢりする程に-体をさまざまによじり、くねらせて悶えているうちに。■物も覚えず-思わず知らず。■してありけるとか-漏らしてしまったかいう。

朗読・解説:左大臣光永

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