宇治拾遺物語 5-10 ある僧、人の許(もと)にて氷魚(ひを)盗み食ひたる事

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原文

これも今は昔、ある僧、人のもとへ行きけり。酒など勧めけるに、氷魚(ひを)はじめて出(い)で来(き)たりければ、あるじ珍しく思ひて、もてなしけり。あるじ用の事ありて、内へ入りて、また出でたりけるに、この氷魚の殊(こと)の外(ほか)に少なくなりたりければ、あるじ、いかにと思へども、いふべきやうもなかりければ、物語しゐたりける程に、この僧の鼻より氷魚の一つふと出でたりければ、あるじあやしう覚えて、「その鼻より氷魚の出でたるは、いかなる事にか」といひければ、取りもあへず、「この比(ごろ)の氷魚は目鼻より降り候(さぶら)ふなるぞ」といひたりければ、人皆、「は」と笑ひけり。

現代語訳

これも今は昔、ある僧が人のもとへ呼ばれて行った。その家の主人が酒などを勧めるたが、氷魚が出回り始めたので、珍しく思って僧の膳に加えてもてなした。主人が用事を思い出し、家の中へ入り、再び僧のいる座敷へ戻ってみると、この氷魚がかなり少なくなっていた。主人は、変だなとは思ったが、客の僧の方から何の挨拶も無いのに、こちらから話題にするのも気がひけて雑談をしているうちに、この僧の鼻から氷魚がぷっと飛び出した。主人は不審に思って、「あなたの鼻から氷魚が出て来たのはどうしたことです」と言うと、僧はすかさず、「この頃の氷魚は目鼻から降ってくるのですよ」と言ったので、人々は皆「わっ」と笑った。

語句

■氷魚(ひを)-「ひうお」の略称。鮎の稚魚で、体長三~五センチの半透明、白魚に似る。琵琶湖の名産で、秋から冬にかけてが旬。イサギとも。■はじめて出で来たりければ-初物として出回り始めたので。■また出でたりけるに-再び僧のいる座敷へ戻って来てみると。■いふべきやうもなかりければ-客の僧の方から何の挨拶も無いのに、ことらから話題にするは気がひけて、言いだせずにいた。■ふと出でたりければ-ぷっと飛び出したので。■取りもあへず-即座に。間髪を入れずに。
     

備考・補足

■多くの氷魚を盗み食った僧が、鼻から一つ出て来たのをとがめられて、「このごろの氷魚は、目鼻から降って来るものですよ」と答えたという。「氷魚」に「雹(ひょう)」を掛けたともみられ、くだらない弁明のようであるが、とっさの発言によって、人々の笑をひきおこし、その場を切り抜けたというのは、やはり咄(はなし)の上手であったといえるかもしれない。
■建前では肉・魚などのなまぐさものは禁じられている僧を、あえて初物の氷魚でもてなした訳知りの主。魚が鼻から飛び出してひそかに食べたことが露見しかけるや、とっさに「氷魚(雹)が降る」との洒落を交えた苦肉の弁明で窮地をしのごうとした、ずうずうしい坊主のしたたかさ。主人と僧という二人だけの場面設定であったはずが、最後に「(居合わせた)人皆、「は」と笑ったと、大勢の哄笑(こうしょう)で結ばれるのは、この話の発生の場をうかがわせる。

朗読・解説:左大臣光永