宇治拾遺物語 5-11 仲胤僧都(ちゆういんさうづ)、地主権現(ぢしゆごんげん)説法(せつぽふ)の事

≫音声つき【古典・歴史】無料メールマガジンのご案内

スポンサーリンク

原文

これも今は昔、仲胤僧都を、山の大衆(だいしゆ)、日吉(ひえ)の二宮(にのみや)にて法華経を供養しける導師(だうし)に講(しやう)じたりける。説法えもいはずして、果(は)て方に、「地主権現の申せと候(さぶら)ふは」とて、「此経難持(しきやうなんぢ)、若暫持者(にやくざんぢしや)、我即歓喜(がそくくわんき)、諸仏亦然(しよぶつやくねん)」といふ文をうちあげて誦(ず)して、「諸仏」といふ所を、「地主権現の申せとは、我即歓喜、諸神亦然」といひたりければ、そこら集まりたる大衆、異口同音(いくどうおん)にあめきて、扇を開き使ひたりけり。

これをある人、日吉の社の御正体をあらはし奉りて、おのおの御前に千日の講を行ひけるに、二宮の御料(れう)の折(をり)、ある僧この句を少しも違(たが)へずしたりける。ある人仲胤僧都に、「かかる事こそありしか」と語りければ、仲胤僧都きやうきやうと笑ひて、「これはかうかうの時、仲胤がしたりし句なり。ゑいゑい」と笑ひて、「大方は(おほかた)はこの比(ごろ)の説教をば犬の糞(くそ)説教と言ふぞ。犬は人の糞を食ひて糞をまるなり。仲胤が説法を取りて、この比(ごろ)の説教師はすれば、犬の糞(くそ)説法といふなり」といひけり。

現代語訳

これも今は昔、仲胤僧都を、比叡山の大衆が日吉神社の二宮で法華経を供養する時の導師として招待した。その説法はいいようもないほど立派なもので、最後の方では、「地主権現が申せとおっしゃるには」と言って、「此経難持(しきやうなんぢ)、若暫持者(にやくざんぢしや)、我即歓喜(がそくくわんき)、諸仏亦然(しよぶつやくねん)」という文を一段と声を高くして唱え、「諸仏」というところを、「地主権現の申せとは、我即歓喜、諸神亦然」と言ったので、大勢の集まっていた大衆たちは異口同音に感嘆の声をあげて、ほめたたえた。 

さてある人が、日吉神社の御開帳をして御神体を一般の人にも拝観させ、おのおの御神体の前で、千日講を行ったが、二宮のための説教の際に、ある僧がこの句を少しも間違わず唱えた。ある人が仲胤僧都に、「このようなことがございました」と話したので、仲胤僧都はからからと笑って、「これは二宮の法華経供養の時に、仲胤が唱えた句である。あははは」と笑って、「だいたいこの頃の説教をば犬の糞説教というのだ。犬は人の糞を食って、糞をひるのだ。仲胤がした説法を盗んで、この頃の説教師はするから、犬の糞説教と言うのだ」と言った。

語句

■仲胤僧都-比叡山の唱導説法の名手。■山-比叡山延暦寺。■大衆(だいしゆ)-比叡山の大衆。「大衆」は、僧綱(そうごう)などの高位でない凡僧の総称。■日吉の二宮-日吉七社の一つ。いわゆる地主権現。大津市坂本本町に鎮座し、山上の日吉大宮を大比叡と呼ぶのに対し、小比叡と称される。祭神は、大山昨神(おおやまくいのかみ)。■導師-法会などで願文や表白を読み、一座の衆僧を導く僧。■請じた-招待した。招いた。■えもいはずして-いいようもなく立派で。■果て方に-終りのほうに。■地主権現-その土地を守護する本来の神。ここは二宮の祭神。「権現」は、衆生済度のために仏が権(かり)に神としてこの世に現れたものをいう。■候ふは-おっしゃるのは。■此経難持(しきやうなんぢ)、若暫持者(にやくざんぢしや)、我即歓喜(がそくくわんき)、諸仏亦然(しよぶつやくねん)-「此経ハ持ツコト難シ、若シ暫クモ持ツ者ハ、我即チ歓喜ス。諸仏モ亦然リナリ」(法華経・巻四・見宝塔品の一節)。■うち上げて-一段と声を高くして。■誦して-唱えて。■そこら-大勢。■あめきて-感嘆の声をあげて。■扇を開き使ふ-心からの賞讃・共感の気持ちを表現する行為。ほめたたえた。

■御正体をあらはし-御堂を開帳して御神体を一般に拝観させること。■千日の講-千日間に渡って導師を招いて『法華経』を講説する法会。■二宮の御料の折-二宮のための説教の際に。■したりけるを-唱えたのを。■かかることこそありしか-このようなことがございました。■きやうきやうと笑ひ-からからと笑って。■かうかうのとき-二宮の法華経供養のときに。■ゑいゑい-「あははは」にあたる笑い声。■犬の糞説教-犬は他の糞を食って自分の糞をすることにたとえて、人の物を自分の物のように平気で盗用することを諷した即興的造語。■まるのだ-ひるのだ。■とりて-真似して。
     

備考・補足

■巻第一ノ二話「丹波国篠村、平茸生ふる事」で「説法並びなき人」といわれた仲胤の真骨頂を伝える。前半は「法華経」の一説を臨機応変に読み替える頓才によって大衆を感涙に浸らせ、後半は盗作の説教を「犬の糞」に例える思い切り下品な当為即妙ぶりが大当たりをとる。『兵範記』久寿二年(1155)八月十五日条にも仲胤の説法が聴衆を感動させた記事が見える。また、巻第十四八話「仲胤僧都、連歌の事」によっても、その機智の優れていたことがうかがわれる。

朗読・解説:左大臣光永


<