宇治拾遺物語 5-13 山の横川(よかは)の賀能地蔵(かのうぢざう)の事

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原文


これも今は昔、山の横川に賀能知院といふ僧、きはめて破戒無慚(はかいむざん)の者にて、昼夜に仏の物を取り使ふ事をのみしけり。横川の執行(しゆぎやう)にてありけり。政所(まんどころ)へ行くとて、塔のもとを常に過ぎ歩(あり)きければ、塔のもとに、古き地蔵の物の中に捨て置きたるをきと見奉りて、時々きぬかぶりしたるをうち脱ぎ、頭を傾(かたぶ)けて、すごしすごし敬ひ拝みつつ行く時もありけり。かかる程に、かの賀能はかなく失せぬ。師の僧都(そうづ)これを聞きて、「かの僧、破戒無慚の者にて、後世(ごせ)定めて地獄に落ちん事疑ひなし」と心憂(こころう)がり、あはれみ給ふ事限りなし。

かかる程に、「塔のもとの地蔵こそこの程見え給はね。いかなる事にか」と院内の人々言ひ合ひたり。「人の修理し奉らんとて、取り奉りたるにや」などいひける程に、この僧都の夢に見給ふやう、「この地蔵の見え給わぬはいかなる事ぞ」と尋ね給ふに、傍(かたは)らに僧ありて曰(いは)く、「この地蔵菩薩(ぢざうぼさつ)、早う賀能知院が無間(むげん)地獄に落ちしその日、やがて助けんとて、あひ具(ぐ)して入り給ひしなり」といふ。夢心地にいとあさましくて、「いかにしてさる罪人には具して入り給ひたるぞ」と問ひ給へば、「塔のもとを常に過ぐるに、地蔵を見やり申して、時々拝み奉りし故(ゆゑ)なり」と答ふ。夢覚めて後(のち)、自(みずか)ら塔のもとへおはして見給ふに、地蔵まことに見え給はず。

「さは、この僧にまことに具しておはしたるにや」と思(おぼ)す程に、その後また僧都(そうづ)の夢に見給ふやう、塔のもとにおはして見給へば、この地蔵立ち給ひたり。「これは失(う)せさせ給ひし地蔵、いかにして出で来給ひたるぞ」とのたまへば、また人のいうやう、「賀能(かのう)具して地獄へ入りて、助けて帰り給へるなり。されば御足の焼け給へるなり」といふ。御足を見給へば、まことに御足黒う焼け給ひたり。夢心地にまことにあさましき事限りなし。

さて、夢覚めて、涙とまらずして急ぎおはして、塔のもとを見給へばうつつにも地蔵立ち給へり。御足を見れば、まことに焼け給へり。これを見給ふに、あはれに悲しき事限りなし。

さて、泣く泣くこの地蔵を抱き出し奉り給ひてけり。「今におはします。二尺五寸ばかりの程にこそ」と人は語りし。これ語りける人は拝み奉りけるとぞ。

現代語訳

これも今は昔、比叡山の横川に住む賀能知院という僧は、仏の戒律を破って平然としており、昼夜にわたって仏の物を盗んで使うことだけをやっていた。横川の執行の役にあった。政所へ行くと言っては塔の下をいつも歩いて通っていたが、塔の下に、古い地蔵が物置の中で捨て置かれていたのを御覧になって、時々、きぬかぶりを脱いで、頭を傾けて通り過ぎながら拝んで行くときもあった。そうしているうちに、この賀能がはかなくも死んでしまった。師の僧都がこれを聞いて、「あの僧は、戒律を破って平然としている悪僧だったから、来世ではきっと地獄に堕ちる違いない」と心を痛め、ひどく気の毒に思われるのであった。

そうこうするうちに、「塔の下におられた地蔵様がこの頃お見えにならぬが、どうしたことだろうか」と、首楞巌院(しゅりょうごんいん)の人々が言い合っている。「誰か修理してさしあげようと運んで行かれたのではないか」などと言っているうちに、この僧都が夢を御覧になった。すなはち、「この地蔵がお見えにならないのは、どうしたことか」と僧都がお尋ねになると、傍らに居る僧が、「この地蔵菩薩は、さきに賀能知院が無間地獄に堕ちたその日、すぐに助けようとして、賀能知院と一緒に地獄へ行かれたのです」と言う。夢心地にもまことに以外で、「どうしてあんな罪人と一緒に地獄へ行かれたのですか」とお尋ねになると、「いつも塔の下を通って行くのに、賀能は地蔵をちらっと拝見して、時々は拝んで通ったからです」と答える。

夢が覚めてから、僧都自ら塔の下に行かれて御覧になると、地蔵がほんとうにそこには見当たらな。「さては、本当にこの僧と一緒に地獄へ行かれたのか」と考えているうちに、その後また僧都が夢を御覧になる。つまり、塔の下に行かれて御覧になると、あの地蔵がお立ちになっていらっしゃる。「これはいなくなられた地蔵様、どうしてまたお姿を現されたのですか」と申し上げると、また、一人の人が、「賀能を連れて一緒に地獄へ入り助けてお帰りになったのです。それでお御足に火傷を負っておられるのです」と言う。お御足を御覧になると、ほんとうに地蔵のお御足は黒く焼けておいでであった。夢心地にもまことにただただあきれるばかりである。

さて、夢が覚めてからも感涙が とどまらず、急いでおいでになって、塔の下を御覧になると、現実に地蔵が立っていらっしゃる。お御足を見ると、本当に焼けていらっしゃる。これを御覧になると、もう本当にありがたくおいたわしい事といったらない。

そこで泣く泣くこの地蔵を塔の下から抱き出されたのであった。「この地蔵は今もおいでになる。二尺五寸ばかりの背丈である」と、ある人は語った。これを語ってくれた人はこの地蔵を実際に拝まれたそうだ。

語句

■山-比叡山延暦寺。■横川-比叡山の三塔の一。その中堂は、首楞巌院(しゅりょうごんいん)といって、円仁の建てたもの。■賀能知院-伝未詳。『元亨釈書』巻二九「捨異志」では、「役夫賀能」。雑役に従事した身分の低い人物を思わせる記述となっている。■破戒無慚-(殺生戒・倫盗戒・邪淫戒・妄語戒・飲酒戒)といった仏教の戒律を破って平然としている者。ここでは寺物盗用の戒律を破り続けていることをさす。■執行(しゆひやう)-僧正・僧都といった寺の僧綱(そうごう)の下で、主に経済上の寺務をつかさどる役。ここでは師の僧都と後出するので、その僧都の監督下で寺務に携わっていたということか。■政所-延暦寺全体の(つまり三塔の)経営事務を総括している役所。■古き地蔵-『元亨釈書』では、横川の般若谷の「一破宇」の中にあった地蔵とする。■きと見奉りて-ちらと拝見して。■きぬかぶり-僧侶や女性が外出の際にしたかぶり物。衣かずき。■すごしすごし-従来、「少し少し」または「過ごし過ごし」の両解があるが、わざわざかぶり物を取って通る程なのだから、後者すなわち「通り過ごしながら」の方がわざとらしくなく、穏当かと思われる。

■かかるほどに-そうこうするうちに。■失せぬ-死んでしまった。■この程見え給はね-このごろお見えにならない。■早う-前に。■やがて-ただちに。■具して-連れだって。■いとあさましくて-まことに思いがけなくて。■院内の人々-横川の首楞巌院(しゅりょうごんいん)に居住して賀能を知っている人々。■無間地獄-八大地獄の最下位にあり、阿鼻地獄ともいう。間断泣く肉体的な痛苦を受ける地獄の意。父親殺し、教団破壊、仏像損傷の伍無間業を犯した者及び寺塔破壊者、衆僧誹謗者などがここに落ちる。■さる罪人-あのような破壊無慚の者。■おはして-いらっしゃって。

■さは-さては。■失せさせ給ひし-いなくなられた。■いかにして出で来給ひたるぞ-どうしてまたここにお出でになったのか。■また人のいうやう-(前回の夢見の時と同じように)また地獄の傍らにいた別の人が答えて言うには。先に「傍らに僧ありて曰く」とあったっものを受けたもの。■賀能具して云々-地蔵が賀能に先立って地獄へ行ったわけではないので「賀能を具して」ではなく、「賀能に具して」の意。■御足の焼け給へるなり-地蔵が確かに賀能に同行して地獄へ行っていた事の証拠。『元亨釈書』では、賀能を鉄の釜から救出した一比丘は、顔や肩、足や臂(ひじ)に火傷(やけど)をしている。

■急ぎおはして-『元亨釈書』では、蘇生した賀能が次のようにみずから確認にでかけたことになっている。「能スナハチ般若谷ニ詣デ像ヲ拝スルニ、像ノ焼ケ爛レタルコト果シテ獄ニシテ見ラルル如シ」(源漢文)。■うつつにも-現実にも。■今におはします-今もそこにいらっしゃる。■ほどにこそ-背丈である。

■これ語りける人は-以上の話が口頭で伝承されていたものであったことを示す。
     

備考・補足

■地蔵菩薩の霊験譚だが、地蔵の必死の活動によって救われたのが、善人ではなく悪人であり、しかもその悪人の信心ぶりはごくごくささやかなものであったという点に地蔵の慈悲の広大さを示す。
■いったん地獄に堕ちながら、ふたたびこの世によみがえったという説話は、かなり古くから知られている。『日本霊異記』にさかのぼると、『般若経』や放生や賂饗(ろきょう)など、さまざまな功徳によって、地獄の苦をまぬかれたように伝えられている。平安時代中期からは、『法華経』の功徳によるもののほかに、地蔵の功徳によるものが多く現れてくる。本書のなかでも、巻第三ノ十二話、十三話、巻第六ノ一話の各話など、地蔵霊験譚に属するものが、少なからず収められている。

朗読・解説:左大臣光永