宇治拾遺物語 6-5 観音、蛇(くちなは)に化す事

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原文

今は昔、鷹を役に立て過ぐる者ありけり。鷹の放れたるを取らんとて、飛ぶに随ひて行きける程に、遥かなる山の奥の谷の片岸(かたぎし)に、高き木のあるに鷹の巣くひたるを見つけて、いみじき事見置きたるとうれしく思ひて、帰りて後(のち)、今はよき程になりぬらんと覚える程に、「子をおろさん」とてまた行きて見るに、えもいはぬ深山(みやま)の、深き谷の底ひも知らぬ上(うへ)に、いみじく高き榎(えのき)の、枝は谷に差し掩(おほ)ひたるが上(かみ)に巣をくひて、子を産みたり。

鷹、巣のめぐりしにしあるく。見るに、えもいはずめでたき鷹にてあれば、「子もよかるらん」と思ひて、万(よろづ)も知らず登るに、やうやく今巣のもとに登らんとする程に、踏まへたる枝折れて谷に落ち入りぬ。谷の片岸に出でたる、木の枝に落ちかかりて、その木の枝をとらへてありければ、生きたる心地もせず、すべき方(かた)なし。見おろせば、底ひも知らず深き谷なり。見上ぐれば、遥かに高き嶺なり。かき登るべき方(かた)もなし。

従者どもは、「谷に落ち入りぬれば、疑ひなく死ぬらん」と思ふ。さるとても、「いかがあると見ん」と思ひて、岸のはたへ寄りて、わりなく爪立(つまだ)てて、おそろしけれどわづかに見おろせば、木の葉繁く隔てたる下なれば、さらに見ゆべきやうもなし。目くるめき、悲しければ、しばしもえ見ず。すべき方(かた)なければ、さりとてあるべきならねば、みな家に帰りて、かうかうといへば、妻子ども泣き惑へども、かひなし。あはぬまでも、見に行かまほしけれど、「さらに道も覚えず。またおはしたりとも、底ひも知らぬ谷にて、さばかり覗き、よろづに見しかども、見え給はざりき」といへば、「まことにさぞあるらん」と人々もいへば、行かずなりぬ。

さて谷にはすべき方(かた)なくて、石のそばの、折敷(をしき)の広さにてさし出でたる片そばに尻(しり)をかけて、木の枝をとらへて、少しも身じろぐべき方(かた)もなし。いささかもはたらかば、谷に落(お)ち入りぬべし。いかにもいかにもせん方(かた)なし。かく鷹飼ひを役(やく)にて世過(すぐ)せど、幼くより観音経を読み奉り、たもち奉りたりければ、「助け給へ」と思ひ入りて、ひとへに頼み奉りて、この経を夜昼いくらともなく読み奉る。「弘誓深如海(ぐぜいしんによかい)」とあるわたりを読む程に、谷の底の方(かた)より物のそよそよと来る心地のすれば、「何(なに)にかあらん」と思ひて、やをら見れば、えもいはず大きなる蛇(くちなは)なりけり。長さ二丈ばかりもあるらんと見ゆるが、さしにさして這(は)ひ来(く)れば「我はこの蛇(くちなは)に食はれなんずるなめり。悲しきわざかな。観音助け給へとこそ思ひつれ、こはいかにしつる事ぞ」と思ひて念じ入りてある程に、ただ来(き)に来(き)て、我(わ)が膝(ひざ)のもとを過ぐれど、我をのまんとさらにせず。ただ谷より上(うへ)ざまへ登らんとする気色(けしき)なれば、「いかがせん、ただこれに取り着きたらば、登りなんかし」と思ふ心つきて、腰の刀をやはら抜きて、この蛇(くちなは)の背中に突き立てて、それにすがりて、蛇(くちなは)の行くままに引かれて行けば、谷より岸の上(うへ)ざまにこそこそと登りぬ。その折、この男離(はな)れて退(の)くに、刀を取らんとすれど、強く突き立てければ、え抜かぬ程に、引きはづして、背に刀さしながら、蛇(くちなは)はこそろと渡りて、向ひの谷に渡りぬ。この男うれしと思ひて、家へ急ぎて行かんとすれど、この二三日、いささか身をもはたらかさず、物も食はず過(すご)したれば、影のやうに痩せさらぼひつつ、がつがつと、やうやうにして家に行き着きぬ。

さて家には、「今はいかがせん」とて、跡とふべき経仏(きやうほとけ)の営みなどしけるに、かく思ひかけずよろぼひ来たれば、驚き泣き騒ぐこと限りなし。かうかうの事と語りて、「観音の御助けにて、かく生きたるぞ」とあさましかりつる事ども、泣く泣く語りて、物など食ひて、その夜はやすみて、つとめてとく起きて、手洗ひて、いつも読み奉る経を読まんとて引きあけたれば、あの谷にて蛇(くちなは)の背に突き立てし刀、この御経に、「弘誓深如海(ぐぜいしんによかい)」の所に立ちたり。見るに、いとあさましなどはおろかなり。「こは、この経の蛇(くちなは)に変じて、我を助けおはしましけり」と思ふに、あはれに貴(たふと)く、かなし、いみじと思ふ事限りなし。そのあたりの人々これを聞きて、見あさみけり。

今さら申すべき事ならねど、観音を頼み奉らんに、その験(しるし)なしといふ事あるまじきなり。

現代語訳

今は昔、鷹を飼育して上納することを仕事として暮らしている者がいた。野生の鷹を捕まえようとして、飛んで行く後からついていくと、遥か遠くの山の谷の断崖絶壁となっている所の高い木の上に巣を作って住んでいるのを見つけた。「これはいいものを見Tつけた」と嬉しく思い、家に帰った後、今頃、雛が適度に成長して捕らえるのにいい時期になっているだろうと思われる時分に、「雛を捕まえて下におろそう」と、また行ってみると、言いようもない山深い谷の底も見えない途中にとても高い榎の木がその枝を谷を差し蔽うように伸ばしている。その枝の上に巣を作って、雛を生んでいるのであった。

鷹が巣のまわりを飛び回る。見ると、言いようもなくみごとな鷹なので「雛もきっとみごとなものだろう」と思って、無我夢中で木に登った。やっとのことで今や巣の所へ登りつこうとするあたりで、踏まえていた枝が折れて、谷底に落下した。谷の途中の崖の縁に突き出た木の枝に落ちかかって、その枝をつかまえていると、生きた心地もせず、身の動かしようもない。見下ろすと、谷底も見えない深い谷である。見上げると、遥かに高い嶺である。よじ登るすべもない。

従者達は、「谷に落下していったので、主人は間違いなく死んでいるであろう」と思い合う。それにしても、「どうなったか見届けよう」と、岸の縁へ寄って、やっとのことで爪立ちして、怖いながらもわずかに見下してみると、はてしもない谷の底で、木の葉が繁って視界を遮っている下なので、さおさら見えるはずもない。目がくらみ、悲しくなり、暫くの間も見ていられない。そうかといっていつまでもそこにいるわけにもいかず、皆家に帰り、こうこうしかじかな事があったのだと話すと、妻子たちが泣き惑うがどうしようもない。会えないまでも現場だけでも見に行きたい意向なのに、「いっこうに道も覚えていません、またおいでになっても底も見えない谷で、私たちがあのように覗き込み、八方手を尽して見たのですが、お見えにならなかったのです」と一人が言うと、「全く行っても無駄だろう」と人々も言うので、行かないままで終わってしまった。

さて一方谷では鷹取りの男が何もする事がなくて、石のそばの折敷の広さに突き出た石の角に尻をかけて、木の枝をにぎって、少しも身体を動かすすべがない。少しでも動くと谷に落下してしまいそうだ。まったくどうしようもない。このように鷹飼いを仕事として世を渡っているが、この男は、小さい頃から観音経を読み、信仰を続けていたので、「お助け下さい」と深く念じて、ひたすらお願いし、この経を昼夜を問わず何度となく読んでいた。「弘誓深如海(ぐぜいしんによかい)」とあるあたりを読んでいると、谷底の方から何かがかさこそとやって来る気配がするので、「何だろう」と思ってそっと首を動かして見ると、何とも言えず大きな蛇であった。長さ二条ほどもあるであろうかと思われるのが、まっしぐらにこちらを目指して這って来る。「さては自分はこの蛇に食われてしまうのか。悲しい事だ。観音様に助けて下さいとお頼みしたのに、これはどうしたことか」と思い、深く念じているうちに、大蛇はどんどんこちらに迫って来て自分の膝元を過ぎて行くが、いっこうに自分を飲み込もうとしない。ただ谷から上の方へ登ろうとする様子なので、「どうしようか、ひたすらこの蛇にしがみついていたらきっと崖の上に登れそうだ」という気になって、腰の刀をすらりと抜いて、この蛇の背中に突き立て、それにすがって蛇が行くままに引かれて行くと、谷底から岸の上の方へずるずると登り着いた。その時、この男は蛇から離れ、飛び退こうとして刀を抜こうとするが強く突き立てていたので抜くことが出来ず、やむをえず手を離して蛇から離れると、蛇は刀を背にさしたままずるずると向いの谷へ渡って行った。この鷹取りの男は喜んで、急いで家へ帰ろうとするが、このニ三日は少しも身体を動かさず、物も食わずに過ごしていたので、影のように痩せ細っていて、どうにかこうにかやっとのことで家に辿(ただ)り着いた。

その時、家では、「今となってはどうしようもない」といって、死後の菩提を弔うための読経による供養を営んでいたが、こうして思いがけずよろめいて帰って来たので際限なく驚き泣き騒ぐのであった。男はこうこうしかじかの事があったのだと話して、「観音様のお助けでこうして生きているのだ」と思いもかけなかった事などを泣く泣く話して、食べ物を口にして、その夜は休んで、翌朝早く起きて手を洗い、いつも読む経を読もうとしてひろげると、あの谷で蛇に突き立てた刀がこの御経の「弘誓深如海」の所に突き立っていた。これを見て、いや驚いたのなんの。「それでは、この経が蛇に変って、自分をお助けになったのか」と思うと、このうえなく尊く、ありがたく、もったいないと思うのであった。近くの人たちも、その話を聞いたり証拠を見たりして驚嘆したという。

今さら言うまでもないが、観音におすがりして、その効験がないということは決してあり得ないことなのである。

語句

■鷹を役にて過ぐる者-野生のよい鷹の雛鳥を捕えて、それを必要とする業者に売るのを仕事としている者。類話である『今昔』巻一六~六話では、陸奥の国に住む男とある。■役-役目・職務。■放れたるを-①人に飼われていて逃げた鷹、②野生の鷹の両義があるが、すぐ後に、この鷹は高い木の上に巣作りしているのが見えるので、②の意に解される。■随ひて行きける程に-ついて行ったところが。■片岸-断崖絶壁になっている所。崖の縁(ふち)。■巣くいたるを-巣を作っているのを。■いみじき事-すばらしいことを。■見置きたるを-見届けたと。■よき程になりぬらんと-(卵が孵化した雛鳥が適度に生育して捕らえるのに)よい時分になっていることだろうと。■覚える程に-思われるころに。■「子をおろさん」とて-(断崖の上の巣から)雛鳥を捕え下そうとして。■えもいはぬ-何ともいえない。■底ひも知らぬ上(うへ)に-底も知れない谷の上に。■いみじく-たいそう。■榎(えのき)-ニレ科の落葉高木。高さは約二〇メートル、直径は一メートル以上に達するものがある。

■めぐりしにしあるく-まわりを飛びまわる。■えもいはず-何とも言えず。■めでたき-みごとな。■万も知らず-(期待に胸膨らませて)万事を忘れて夢中になって。■登るに-木に登ると。■やうやう-ようやく。■落ちかかりて-ひっかかって。■とらへてありければ-つかまえていたので。■すべき方(かた)なし-どうしようもない。■かき登るべき-よじ登れるような。■方(かた)もなし-すべもない。

■さるにても-それにしても。■いかがあると-どうなっているのかと。■岸のはたへ-岸の縁へ。■わりなく-(危険を冒して)やっとのことで。どうにかこうにかして。■わづかに-ようやく。■木の葉繁く隔てたる下なれば-木の葉がいっぱいに繁って間を隔てている下なので。■さらに見ゆべきやうもなし-いっこうに見えるべきはずもない。■ 目くるめき、悲しければ-目がくらみ、悲しさのあまりに。■しばしもえ見えず-しばらくの間も見ていられない。■さりとて-だからといって。■あるべきならねば-そのままにしていられないので。■かひなし-しようがない。■あはぬまでも-遺体を見つける事はできないにしても。■行かまほし-見に行きたかったが。■さらに-いっこうに。■おはしたりとも-おいでになっても。■さばかり覗き-あれほど(危険を冒して)懸命に覗きこみ。■よろづに見しかども-いろいろと見てみたが。■さぞあるらん-そのとおりであろう。

■谷には-さて一方、谷では鷹取りの男は、の意。■すべき方なくて-どうしようもないので。■そば-(石の)稜、とがっているかど、角状に突き出ている面。かど。■折敷(をしき)-へぎ(薄板)で作られた角盆の広さほどに、せいぜい三〇センチ四方ぐらいの広さ。■片そば-片端。■とらへて-つかまえて。■身じろぐべき方なし-身動きすることができるすべもない。■いささかも-すこしでも。■はたらかば-動けば。■落ち入りぬべし-間違いなく落下してしまいそうな危うさである。■いかにもいかにも-なんとしても。■せん方なし-どうしようもない。■役として-仕事として。■観音経-『法華経』巻八観世音菩薩品。観音を讃嘆し、その功徳と利益を説く。観音の信仰は古く奈良時代から盛んで、大慈大悲に富む観音は、三十三身に姿を変えて人間の種々の苦悩を除くとされる。■いくらともなく-何度となく。■弘誓深如海-『観音経』の偈(げ)の一句。「弘誓ノ深キコト海ノ如シ」の意。「弘誓」は一切の衆生を救って悟りを得させようとの広大な誓願。ちなみにこの偈の前後を示すと「汝聴観音行、善応諸方所。弘誓深如海、歴却不思議、侍多千憶仏、発大清浄願」というもの。■わたり-あたり。■そよそよと-がさがさと。■何にかあらん-なんであろうかと。■やをら-そっと首を動かして。おもむろに。■えもいはず-何ともいえず。■二丈-一丈は十尺、約三メートル。■さしにさして-ひたすらにこちらを目指して。■食はれなんづるなめり-食われてしまおうとするのであろうと。■こはいかにしつる事ぞ-これはどうしたことかと。■念じ入りてあるほどに-深く念じているうちに。■ただ来に来て-どんどんこちらに来て。■さらにせず-いっこうにしない。■上ざまへ-上の方へ。■気色なれば-様子なので。■いかがせん-どうしようか。■登りなんかし-きっと登って行くに違いない。登れるであろうよ。■思ふ心つきて-気になって。■腰の刀-腰にさしていた護身用の小剣。三〇センチ程度の物。■やはら-おもむろに。■すがりて-すがって。■こそこそと登りぬ-ずるずると登った。大蛇の胴体が崖や樹木に擦れ合う音の形容。大蛇が静かに力強く移動する様。『古本説話集』は「こそろと」。本話でも「こそろと渡りて」と後出。「こそろと」には「するりと」という語感が伴う。■え抜かぬ程に-抜くことができないうちに。(鷹取りの男が)小剣を抜き取れずにいるうちに。■引きはづして-①男の手から小剣を引きはずして、②背中から男を振り落として、の両義にとれるが、②をとるべきであろう。■こそろと-ずるりと。■いささか身をもはたらかず-すこしも身体(からだ)を動かさず。■痩せさらぼひつつ-痩せ衰えて。■がつがつと-どうにかこうにか。やっとのことで。■やうやうにして-何とかして。

■いかがせん-もうどうしようもない。■跡問ふべき・・・しけるに-死後の菩提を弔うための読経による供養を営んでいるところに。■よろぼひ来たれば-よろめいて来たので。■かうかう-「かくかく」の音便形。これこれしかじかの次第であると。■観音のお助け-『古本説話集』は「観音の御徳に」とする。■かく生きたるぞ-こうして生きているのだ。■あさましかりつる-思いもかけなかった。■つとめて-翌朝。■とく-早く。■いとあさまし-まったく驚いた次第だ。■おろかなり-「言ふもおろかなり」の約。まことに驚いた次第だなどと言ってみても、とうてい言い足りない。■かなし-感銘深い。ありがたい。■いみじ-なみなみでない。■見あさみけり-見て驚きあきれた。

■頼み奉らんに-おすがり申すならば。■あるまじきことなり-あるはずがないことである。

備考・補足

■鷹取りの男はどういうきっかけでか、幼年期から観音経を読み続けていたという。あたかもその観音経自体が神通力を持っていて、神変自在に行動できるかのような展開になっている点に本話の特色がある。観音経は自分を長年奉持している男の窮地を救うために断崖を這い登る力を持った大蛇に変身して現れ、目的を達するや男の家の仏間へ帰っていった、という。

■観音経の所説によって、ひたすら観音を念ずると、さまざまな危難から救われると信じられていた。この説話は観音の霊験譚として最も整ったものといえよう。

朗読・解説:左大臣光永