宇治拾遺物語 8-5 東大寺華厳会(けごんゑ)の事

≫音声つき【古典・歴史】無料メールマガジンのご案内

スポンサーリンク

原文

これも今は昔、東大寺に恒例の大法会(だいはふゑ)あり。華厳会(けごんゑ)とぞいふ。大仏殿の内に高座(かうざ)を立てて、講師上(かうじのぼ)りて、堂の後(うし)ろよりかい消(け)つやうにして逃げて出づるなり。古老の伝へて曰(いは)く、「御堂建立(みだふこんりふ)のはじめ、鯖(さば)売る翁(おきな)来たる。ここに本願の上皇召しとどめて、大会(だいゑ)の講師とす。売る所の鯖を、経机(きやうづくゑ)に置く。変じて八十華厳経となる。即(すなは)ち講説の間(あひだ)、梵語(ぼんご)をさへづる。法会(はふゑ)の中間に、高座にしてたちまちに失(う)せをはりぬ」。また曰く、「鯖を売る翁、杖(つゑ)を持ちて鯖を担(にな)ふ。その物の数八十、則(すなは)ち変じて八十華厳経となる。件(くだん)の杖の木、大仏殿の内、東廻廊の前に突き立つ。たちまちに枝葉をなす。これ白榛(びやくしん)の木なり。今伽藍(がらん)の栄え衰へんとするに随(したが)ひて、この木栄へ、枯る」といふ。かの会の講師、この比(ころ)までも、中間に高座よりおりて、後戸よりかい消つやうにして出づる事、これをまなぶなり。

かの鯖の杖の木、三十四年が前(さき)までは葉は青くて栄えたり。その後(のち)なほ枯木(かれき)にて立てりしが、この度(たび)平家の炎上に焼けをはりぬ。世の末ぞかしと口惜(くちを)しかりけり。

現代語訳

これも今は昔、東大寺に恒例の大法会がある。華厳会という。大仏殿の中に高座を設け、講師がそこに上り堂の後ろからかき消すようにして退散するのである。この事について、古老が伝えて言うには、「御堂を建立した時、鯖売りの翁が来た。華厳経創始者の聖武天皇がとどめ置かれて、大会の講師とされた。翁は売り物の鯖を経机に置く。すると、その鯖は八十華厳経に変った。そして講説の間、梵語をしゃべった。この翁は、法会の中間で、高座に居ながらたちまち見えなくなってしまった」。また、「鯖を売る翁は、杖を持って鯖を担いで来た。その鯖の数八十。それがたちまち変じて八十華厳経になった。その時の杖の木は大仏殿の中、東の廻廊の前に突き立ててあったが、たちまち枝葉を出して繁った。これが白榛(びやくしん)の木である。今でも伽藍が栄えあるいは衰えたりするに随い、この木も茂り、あるいは枯れる」と言う。その会の講師は今の世までも、講説の途中で高座から下り、後戸からかき消すように退散し、これを真似ているそうである。

その鯖の杖の木は、三十四年前までは葉は青々と繁っていた。その後も枯木になって立っていたが、この度、平家の焼討によって焼けてしまった。世も末となったかと残念ことであった。

語句

■東大寺-奈良市にある華厳宗の大本山。■大法会-いわゆる華厳会、また桜会。毎年三月十四日に催される『大方広華厳経』を講じ、国家鎮護を祈る法会。聖武天皇の天平十二年(740)、新羅僧審祥が講じた事に由来し、同十六年より正式の行事となった。■高座-説法の講師の座る高い台座。■講師-『華厳経』の講説をする僧侶。■かい消つやうにして逃げて出づるなり-いつのまにかかき消すように退出するという儀式的習慣。『古事談』一九八話では「後ノ戸ヨリ逐電ス・・・」とする。■本願の上皇-華厳経の創始者である聖武天皇をさしていう。■八十華厳経-唐の実叉難陀訳の『華厳経』。ほかに旧訳の「六十華厳」「四十華厳」の二種類がある。『華厳経』は釈迦が成道(じょうどう)後、初めての説法を伝える三十九品から成る経典。「成道(じょうどう)」とは悟りを開く事。■梵語-古代インドの文語であるサンスクリット語。原始経典の記述に用いられた言語。■さへづる-しゃべる。意味の分からない外国語の語られる様の形容。■高座にして-高座に居ながら。■失せをはりぬ-
見えなくなってしまった。■物-諸本の多くは「鯖」とする。■くだんの-その時の。■白榛(びゃくしん)-ヒノキ科の常緑小高木。高さ10数メートルに達し、葉は、ヒノキ・マツ・スギなどに似る。■伽藍-僧が集まり住んで仏道を修行する所。■このころまでも-今の世までも。■まなぶなり-真似るのである。■三十四年-陽明文庫本・名大本は「三四十年」とする。■立てれりしが-立っていたが。■この度平家の炎上に-治承四年(1180)十二月二十八日、平重衡(しげひら)が大将軍となっての南都攻略で、折からの強風もあって南都の大半が焼亡した。■世の末ぞかし-世も末となったかと。■口惜(くちを)しかりけり-残念な事であった。

朗読・解説:左大臣光永