宇治拾遺物語 9-3 越前敦賀(ゑちぜんつるが)の女、観音助け給ふ事

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原文

越前国(えちぜんのくに)に敦賀(つるが)といふ所に住みける人ありけり。とかくして、身一つばかり、わびしからで過(すぐ)ごしけり。女一人(むすめひとり)より外に、また子もなかりければ、この女(むすめ)をぞまたなきものにかなしくしける。この女を、我があらん折(をり)、頼もしく見置かんとて、男あはせけれど、男もたまらざりければ、これやこれやと四五人まではあはせけれども、なほたまらざりければ、思ひわびて、後(のち)にはあはせざりけり。ゐたる家の後(うし)ろに堂を建てて、「この女助け給へ」とて、観音を据(す)ゑ奉りける。供養し奉りなどして、いくばくもせぬ程に、父失(う)せにけり。それだに思ひ嘆(なげ)くに、引き続くやうに母も失せにければ、泣き悲しめども、いふかひもなし。

知る所などもなくて、構へて世を過(すぐ)しければ、やもめなる女一人(ひとり)あらんには、いかにしてか、はばかしき事あらん。親の物の少しありける程は、使はるる者四五人ありけれども、物失(う)せ果ててければ、使はるる者一人もなかりけり。物食ふ事難(かた)くなりなどして、おのづから求め出でたる折は、手づからいふばかりにして食ひては、「我が親の思ひしかひありて、助け給へ」と観音に向ひ奉りて、泣く泣く申しゐたる程に、夢にみるやう、この後(うし)ろの堂より老いたる僧の来て、「いみじういとほしければ、男あはせんと思ひて、呼びにやりたれば、明日(あす)ぞここに来(き)着かんずる。それがいはんに随(したが)ひてあるべきなり」とのたまふと見て覚めぬ。「この仏の助け給ふべきなめり」と思ひて、水うち浴(あ)みて参りて、泣く泣く申して、夢を頼みて、その人を待つとて、うち掃(は)きなどしてゐたり。家は大(おほ)きに造りたりければ、親失せて後は、住みつきあるべかしき事なけれど、屋(や)ばかりは大きなりければ、片隅にぞゐたりける。敷くべき筵(むしろ)だになかりけり。

かかる程に、その日の夕方になりて、馬の足音どもしてあまた入り来(く)るに、人ども覗(のぞ)きなどするを見れば、旅人の宿借(か)るなりけり。「すみやかにゐよ」といへば、みな入り来て、「ここよかりけり。家広し。いかにぞやなど、物いふべきあるじもなくて、我がままにも宿りゐるかな」と言ひ合ひたり。

覗きて見れば、あるじは三十ばかりなる男の、いと清げなるなり。郎等(らうどう)二三十人ばかりある、下種(げす)など取り具(ぐ)して、七八十人ばかりあらんぞと見ゆる。ただゐにゐるに、筵、畳を取らせばやと思へども、恥づかしと思ひてゐたるに、皮籠筵(かはごむしろ)を乞(こ)ひて、皮に重ねて敷きて、幕引きまはしてゐぬ。そそめく程に日も暮れぬれども、物食ふとも見えぬは、物のなきにやあらんぞと見ゆる。「物あらば取らせてまし」と思ひゐたる程に、夜うち更(ふ)けて、この旅人のけはひにて、「このおはします人、寄らせ給へ。物申さん」といへば、「何事にか侍らん」とて、ゐざり寄りたるを、何(なに)の障(さは)りもなければ、ふと入り来て控へつ。「こはいかに」といへど、いはすべきもなきに合せて、夢に見し事もありしかば、とかく思ひいふべきにもあらず。

この男は、美濃国(もののくに)に猛将(まうしやう)ありけり。それが独子(ひとりご)にて、その親失(う)せにければ、万(よろづ)の物受け伝へて、親にも劣らぬ者にてありけるが、思ひける妻に後(おく)れて、やもめにてありけるを、これかれ聟(むこ)に取らんといふ者あまたありけれども、ありし妻に似たらん人をと思ひて、やもめにて過(すご)しけるが、若狭(わかさ)に沙汰(さた)すべき事ありて行くなりけり。昼宿りゐる程に、片隅にゐたる所も、何(なに)の隠れもなかりければ、「いかなる者のゐたるぞ」と覗(のぞ)きて見るに、ただありし妻のありけると覚えければ、目もくれ、心も騒ぎて、「いつしかとく暮れよかし。近からん気色(けしき)も試みん」とて、入り来たるなりけり。

物うちいひたるより始め、露違(つゆたが)ふ所なかりければ、「あさましく、かかりける事もありけり」とて、「若狭へと思ひ立たざらましかば、この人を見ましやは」と、うれしき旅にぞありける。若狭にも十日ばかりあるべかりけれども、この人のうしろめたさに、「明けば行きて、またの日帰るべきぞ」と、返す返す契(ちぎ)り置きて、寒げなりければ、衣も着せ置き、郎等(らうどう)四五人ばかり、それが従者など取り具(ぐ)して廿人ばかりの人のあるに、物食はすべきやうもなく、馬に草食はすべきやうもなかりければ、「いかにせまし」と思ひ嘆(なげ)きける程に、親の御厨子所(みづしどころ)に使ひける女(をんな)の、むすめのありとばかりは聞きけれども、来通(きかよ)ふ事もなくて、よき男して事かなひてありとばかりは聞きわたりけるが、思ひもかけぬに来たりけるが、「誰(たれ)にかあらん」と思ひて、「いかなる人の来たるぞ」と問ひければ、「あな心憂(こころう)や。御覧じ知れぬは、我が身の咎(とが)にこそ候(さぶら)へ。おのれは故上(こうへ)のおはしましし折(をり)、御厨子所(みづしどころ)仕(つかまつ)り候(さぶら)ひし者の女(むすめ)に候ふ。年比(としごろ)、いかで参らんなど思ひて過ぎ候ふを、今日(けふ)は万(よろづ)を捨てて参り候ひつるなり。かく便りなくおはしますとならば、あやしくとも、率て候ふ所にもおはしまし通ひて、四五日づつもおはしませかし。志は思ひ奉れども、よそながらは明け暮れとぶらひ奉らん事も、おろかなるやうに思はれ奉りぬべければ」など、こまごまと語らひて、「この候ふ人々はいかなる人ぞ」と問へば、「ここに宿りたる人の、若狭へと往(い)ぬるが、明日(あす)ここへ帰り着かんずれば、その程にとて、このある者どもをとどめ置きて往ぬるに、これにも食ふべき物は具せざりけり。ここにも食はずべき物もなきに、日は高くなれば、いとほしと思へども、すべきやうもなくてゐたるなり」といへば、「知り扱ひ奉るべき人にやおはしますらん」といへば、「わざとさは思はねど、ここに宿りたらん人の、物食はでゐたらんを、見過(みすぐ)さんもうたてあるべう、また思ひ放つべきやうもなき人にてあるなり」といへば、「さていとやすき事なり。今日(けふ)しもかしこく参り候(さぶら)ひにけり。さらばまかりて、さるべきさまにて参らん」とて、立ちて往(い)ぬ。

「いとほしかりつる事を、思ひかけぬ人の来て、頼もしげにいひて往ぬるは、いとかくただ観音の導かせ給ふなめり」と思ひて、いとど手を摺(す)りて念じ奉る程に、則(すなは)ち物ども持たせて来たりければ、食物(くひもの)どもなど多かり。馬の草までこしらへ持ちて来たり。いふ限りなくうれしと覚ゆ。この人々もて饗応(きやうよう)し、物食はせ、酒飲ませ果てて、入り来たれば、「こはいかに、我が親の生き返りおはしたるなめり。とにかくにあさましくて、すべき方(かた)なく、いとほしかりつる恥を隠し給へる事」といひて悦(よろこ)び泣きければ、女もうち泣きていふやう、「年比(としごろ)も、いかでかおはしますらんと思ひ給へながら、世の中過(すぐ)し候ふ人は、心と違(たが)うやうににて過ぎ候ひつるを、今日かかる折に参りあひて、いかでかおろかには思ひ参らせん。若狭(わかさ)へ越え給ひにけん人は、いつか帰りつき給はんぞ。御供人(おほんともびと)はいくらばかり候ふ」と問へば、「いさ、まことにやあらん、明日(あす)の夕さり、ここに来(く)べかんなる。供にはこのある者ども具(ぐ)して、七八十人ばかりぞありし」といへば、「さてはその御設(まう)けこそ仕(つかまつ)るべかんなれ」といへば、「これだに思ひかけずうれしきに、さまではいかがあらん」といふ。「いかなる事なりとも、今よりはいかでか仕らであらんずる」とて、頼もしく言ひ置きて往ぬ。この人々の夕さり、つとめての食物(くひもの)まで沙汰(さた)し置きたり。覚えなくあさましきままには、ただ観音を念じ奉る程に、その日も暮れぬ。

またの日になりて、このある者ども、「今日は殿(との)おはしまさんずらんかし」と待ちたるに、申(さる)の時ばかりにぞ着きたる。着きたるや遅きと、この女、物ども多く持たせて来て申しののしれば、物頼もし。この男いつしか入り来て、おぼつかなかりつる事など言ひ臥(ふ)したり。暁はやがて具して行くべき由(よし)などいふ。いかなるべき事にかなど思へども、仏の、「ただ任せられてあれ」と、夢に見えさせ給ひしを頼みて、ともかくもいふに随(したが)ひてあり。この女、暁立たん設(まう)けなどもしにやりて、急ぎくるめくがいとほしければ、「何(なに)がな取らせん」と思へども、取らすべき物なし。おのづから入る事もやあるとて、紅(くれなゐ)なる生絹(すずし)の袴(はかま)ぞ一つあるを、これを取らせてんと思ひて、我は男の脱ぎたる生絹の袴を着て、この女を呼び寄せて、「年比(としごろ)はさる人あらんとだに知らざりつるに、思ひもかけぬ折しも来合ひて、恥(はぢ)がましかりぬべかりつる事を、かくしつる事の、この世ならずうれしきも、何(なに)につけてか知らせんと思へば、志ばかりにこれを」とて取らすれば、「あな心憂(こころう)や。あやまりて人の見奉らせ給ふに。御さまなども心憂く侍れば、奉らんとこそ思ひ給ふるに、こは何(なに)にしか賜(たまは)らん」とて取らぬを、「この年比も誘(さそ)ふ水あらばと思ひわたりつるに、思ひもかけず、『具(ぐ)して往(い)なん』と、この人のいへば、明日(あす)は知らねども、随ひなんづれば、形見(かたみ)ともし給へ」とて、なほ取らすれば、「御志の程は返す返すもおろかには思ひ給ふまじけれども、形見など仰(おほ)せらるるがかたじけなければ」とて、取りなんとするをも、程なき所なれば、この男聞き臥(ふ)したり。

鳥鳴きぬれば、急ぎ立ちて、この女のし置きたる物食ひなどして、馬に鞍(くら)置き、引き出(いだ)して、乗せんとする程に、「人の命知らねば、また拝み奉らぬやうもぞある」とて、旅装束(さうぞく)しながら手洗ひて、後(うし)ろの堂に参りて、観音を拝み奉らんとて見奉るに、観音の御肩(かた)に赤き物かかりたり。あやしと思ひて見れば、この女に取らせし袴なりけり。「こはいかに、この女と思ひつるは、さは、この観音のせさせ給ふなりけり」と思ふに、涙の雨雫(しづく)と降りて、忍ぶとすれど、伏しまろび泣く気色(けしき)を、男聞きつけて、あやしと思ひて走り来て、「何事(なにごと)ぞ」と問ふに、泣くさまおぼろげならず。「いかなる事のあるぞ」とて見まはすに、観音の御肩に赤き袴かかりたり。これを見るに、「いかなる事にかあらん」とて有様を問へば、この女の思ひもかけず来て、しつる有様をこまかに語りて、「それに取らすと思いつる袴の、この観音の御肩にかかりたるぞ」といひもやらず、声を立てて泣けば、男(をのこ)も空寝(そらね)して聞きしに、女に取らせつる袴にこそあんなれと思ふがかなしくて、同じやうに泣く。郎等(らうどう)どもも物の心知りたるは、手を摺(す)り泣きけり。かくてたて納(をさ)め奉りて、美濃(みの)へ越えにけり。

その後(のち)思ひかはして、また横目(よこめ)する事なくて住みければ、子ども生み続けなどして、この敦賀(つるが)にも常に来通ひて、観音に返す返すつかうまつりけり。ありし女は、「さる者やある」とて、近く遠く尋ねさせけれども、さらにさる女なかりけり。それより後(のち)、またおとづるる事もなかりければ、ひとへにこの観音のせさせ給へるなりけり。この男女、互(たがひ)に、七八十になるまで栄えて、男子(をのこご)、女子(をんなご)産みなどして、死の別れにぞ別れにける。

現代語訳

越前の国の敦賀という所に住んでいる人がいた。あれこれやりくりをして自分一人だけは、たいして不自由もなく過ごしていた。娘一人の他には子どももなかったので、この娘をまたとないものとして可愛がっていた。この娘を自分が生きている間に、豊かに暮らせるような身分になるのを見届けておこうと、男と引き合わせたが、男も長くは居付かないので、この男ではどうか、この男ではどうかと四、五人までは引き合わせたが、それでも男は長く通い続けてはくれなかった。思い悩み、後では引き合わせようとはしなくなって、住んでいた家の裏手にお堂を建てて、「この娘をお助け下さい」と、観音像を安置した。その観音の開眼供養などをして、いくらも経たないうちに、父親は亡くなってしまった。それさえ思い嘆く事だったが、引き続くように母親も亡くなったので、泣き悲しんだがどうしようもない。

所領する土地も無く、娘は何とかやりくりをして暮らしていたが、後ろ盾になる人を持たない独り身の女なので、どうして、思わしいように事が運ぼう。親の物が少しばかり残っているうちは、使用人も四五人はいたが、残りの資産も無くなってしまうと、使用人は一人もいなくなった。次第に食べ物にも不自由するようになり、たまたま食べる物が手に入った時は、自分の手で料理して食べては「我が親がお願い申しました甲斐があるように、お助け下さい」と観音に向い合って、泣く泣くお祈りをしていた。ある時夢を見た。お堂の後ろから老僧が出て来て、「まことに気の毒ゆえ、男と目合せようと思い、呼びにやったから、明日にはここに着くであろう。その男の言うとおりにしているのがよかろう」とおっしゃたのを見て、眼が覚めた。「御堂の観音様が御助け下さるということなのであろう」と思って、ざっと水浴びをして身を清めてから、観音様にお参りし、泣く泣くお礼を申し上げた。すがりつくような思いで、夢のお告げを当てにして、その人が来るのを待って掃除などしていた。家は大きな造りであったので、親が亡くなった後は、女の一人身には住み具合がふさわしくないがとにかく家ばかりは広いので、片隅に住んでいた。敷くべき筵(むしろ)さえ無かった。

そうこうしていると、その日の夕方になり、馬の足音などが聞え、大勢の人たちが入って来たので、中を覗き見たりしている連中を見ると、旅人が宿を借りようとしているのであった。主人が「早く入って坐れ」と言うと、みな入って来て、「ここはいい所だ。家は広いし、『よろしいですか』などと、言いかけるべき家主もいないし、勝手に上り込んでしまったなあ」などと言い合っている。

覗いて見ると、主は三十位の男で、たいそうさわやかな美形の人物である。家来が二三十人ほど従っており、それに加えて 下男などを引き連れており、みなで七八十人くらいはいそうに見える。ただ、次々と入り込んでどんどん坐っている人に、筵や畳を世話しなくてはと思うが、それが無いのが恥ずかしい事だと思っていると、主人が皮籠を包む筵を手に入れて、皮の上に重ね敷き幕を。引きまわしていた。人々のざわめく音がしているうちに日も暮れたが、食事をするようにも見えず、食物が無いのではないかと思われる。「もし食物があればさしあげたいものだ」と思っていた。夜が更け、この旅人の気配がして、「そこに居られる人よ、傍にお寄りください。お話があります」と言うので、「何事でございましょう」と、いざり寄ると、間に何の障害になる物も無かったので、男はすっと入って来て女を抱き押えた。「これはまあ何をなさいます」と言ってみたが、男が有無を言わせそうにもない態度なのと、夢で見たという事情もあったので、とやかく思ひ惑ふわけにもいかない。

この男は、美濃国の猛将の一人息子であったが、親が死んだので、すべての物を受け継ぎ、親にも負けないほど豊かな人物であったが、愛していた妻に先立たれ、やもめ暮しをしていたので、あれこれ婿にしたいという人も大勢いたが、亡くなった妻に似た人をと思って、やもめ暮らしを続けていた。それが、この度、若狭に処置しなければならない用があって行くのであった。昼間、宿に居た時に、片隅に女が隠れていた所には、何の遮蔽物も無かったので、「どんな人が居るのか」と覗いて見ると、まさに亡くなった妻がそこに居るような錯覚を覚え、目も眩み、心が騒ぎ、「どうか早く日が暮れてくれ。近くでの様子もよく見たい」と入って来たのであった。

話をする口の利き方を始め、亡き妻とまったく違った所が無かったので、「不思議にもこのような事もあるのか」と思って、「若狭へ行く事を思い立たなかったら、この人に逢えたであろうか」と、うれしい旅であった。若狭には十日ほど滞在しなければならなかったが、この人の事が気がかりだったので、「夜が明けたら出発して、次の日には帰って来ようぞ」と、繰り返し約束を交し、女が寒そうに見えたので、着物を与えて残し、家来を四五人ばかり、その従者などを引き連れ二十人ばかりを留めて行った。しかし、女は、その者たちに食事をさせる事もできず、馬に餌を与える事もできなかったので、「どうすればよいのでしょう」と思い嘆いていた。折しも、亡くなった親が台所に使っていた女に、娘がいるということだけは聞いていたが、やって来るもなく、よい夫を持って豊かな生活をしているという者が、思いがけず訪ねて来た。初めは誰だろうと思って、「どういう人ですか、あなたは」と尋ねると、「ああ、悲しい事です。お見知りいただいていないのは我が身の罪でございます。私は亡くなられた御主人がおられました折、台所にお仕えしておりました者の娘でございます。長年、「何とかして訪ねて行こう」と思いながら過ぎてしまいましたが、今日はすべてを投げ打ってやって参りました。このように心細くしておいででしたら、たとえ見苦しくとも、私のお連れ申す所にも通ってお出でになり、四五日ずつでもいらっしゃいませよ。心では思っておりましても、別の所からでは明け暮れに弔いすることも、十分ではないように思われますので」など、こまごまと語り、「ここにいる人たちはどういうお方ですか」と問うので、「ここに宿をとって若狭へ行かれた人が、明日ここへ帰り着く事になっていて、その間、ここにおられる人たちを留め置いて行かれたのですが、この人たちにも食事をお出しておりません。私のところにも食べさせる物がありませんので、日が高くなったのでお気の毒とは思いますけれどどうしようもなくていたのです」と言うと、娘は、「おもてなしをしてさしあげるべき方でいらっしゃるのでしょうか」と言う。「ことさらそうは思いませんが、ここに宿をとった人たちが、食事をしないでいるのを黙って見過ごすのも辛い事ですし、またほうってもおかれないような方でもあるのです」と言うと、「それは容易いこと。今日は丁度いい時に参りました。それでは帰って、しかるべき用意をして参りましょう」と言って娘は立ち去った。

「惨めな状態でいたものを、思いがけない人が来て、頼もしい事を言って帰られたのは、まったくこうして観音がお導きくださっているのだろう」と思って、なおいっそう手を摺ってお参り申し上げていると、娘はすぐに色々な物を持たせて来た。食物も沢山あった。馬の餌まで用意して持って来た。女は言いようも無く菟うれしく思った。この人々をもてなし、食事をさせ、酒を飲ませ終わった頃に、娘が入って来たので、「これはどうしたことでしょう。亡くなった親が生き返ったのであろうか。とにかく驚くばかりで、どうしようもなく、みじめな我が身の恥を隠してくださったこと」と言って、嬉し涙を流すと、娘も泣きながら、「長年、どうしておられるのだろうと案じながら、世の中を渡る身として、思うにまかせず過ごしてまいりましたが、今日こういう折に来合わせて、どうしておろそかに思い申せましょう。若狭へ超えて行かれた人は、いつお帰りになるのでしょう。御供の人はどれくらいです」と聞く。「さあ、本当なのかどうか。明日の夕方、ここに帰って来る事になっています。供はここに残っている人たちを合せて七八十人ほどでした」と言うと、「それではそのご用意をいたさねばなりません」と言うので、「ここに居る人へのおもてなしだけでも思いがけず嬉しい事なのに、そこまでしていただくのはどうしたものでしょう」と言う。「どんなことでも、せめてこれからはお仕えさせていただきたいのです」と、頼もしく言って帰っていった。そしてこの人々の夕方、翌朝の食事の事まで準備してくれた。思いがけなく驚く事が続く中で、ひたすら観音に祈りを捧げ申し上げているうちにその日も暮れた。

次の日になって、ここにいる者たちが、「今日は殿が帰っておいでになるに違いないぞ」と待っていると、午後四時ごろになって帰り着いた。着いたのを待ちかねて、あの娘がいろいろな物をたくさん持たせてやって来て、あれこれと大声で指図するので何とも頼もしい。この男はいつのまにか入って来て、逢いたかった事などを言って寝た。「夜が明けたらそのまま連れて行く事になるだろう」などと言う。そうなったらこれからどういう事になるのかなどと思うが、仏が、「ただ人のするままにされていよ」と夢でお告げになったのを頼んで、ともかく相手の言うことに随っている。例の娘が、一同が夜が明けたら旅立てるように自分の家に準備をしにやって来て、大急ぎで目の回るように立ち働いているのが、気の毒でならなかった。お礼に何か適当な物をあげたいと思うが、やる物が無い。何かの折に必要な事もあるかもしれないと思い、紅の生絹の袴が一つあったのを思い出し、それをやろうと思って、自分は男が脱いだ生絹の袴を着て、この娘を呼び寄せ、「長年、そういう人がいることさえ知らなかったのに、思いもかけぬ折に来合せて、恥をかくところであったのに、このようにして下さったのが、この世の事ではないようにうれしかったのですがその気持ちを、何を持って表そうかと思いますが、ほんの気持ばかりにこれを」と言って与えると、「まあ、とんでもない。たまたま何かの折にご主人様がお目をおとめになるときに、このままでは御召し物のご様子なども粗末でお気の毒ですので、こちらからさしあげようかと存じておりましたのに、これはどうしてもいただくことはできません」と言って、受け取らない。「誘ってくれる人があったらどこにでもついて行こうと思い続けていたところ、思いがけず、この人が「連れて行こう」と言いますので、明日の事は分りませんが、ついて行きますので、形見にでもしてください」と言って、再び与えようとすると、娘は、「お気持ちは返す返すもおろそかにしようとは思いませんが、形見などとおっしゃられるのが、もったいないので」と言って受け取ろうとするのを、さほど遠くもない所なので、この男は寝ながら聞いていた。

鳥が鳴いたので急いで起き、例の娘が用意してくれた物を食べたりして、馬に鞍を置き、引き出して、この女を乗せようとすると、「人の命は分らないから、二度と拝めないことになるかもしれない」と言って、旅装束のまま手を洗い、後ろの堂へ行って、観音を拝み申し上げようとして見ると、観音の御肩に赤い物が掛かっている。不思議に思って見ると、例の娘に与えた袴であった。「これはどうしたことか。あの娘と思ったのは、さては、この観音がなさせれた事であったか」と思うと、涙がとめどもなく流れ続け、こらえようとするが、身悶えして泣く。その様子を男が聞きつけ、不審に思い、走って来て、「どうした」と聞くが、泣いている様子はただ事ではない。「何があったのか」と見回すと、観音の御肩に赤い袴が掛かっている。男は、これを見て、「どういう事か」と様子を聞くと、女は、例の娘が思いもかけずやって来て、してくれた事を詳しく話して、「その娘に与えたと思った袴がこの観音の御肩に掛かっているのです」と言い終わらないうちに、声をあげて泣くので、男も、「あの時は寝たふりをして聞いていたが、これが娘に与えた袴であったのか」と思うと、胸が詰まって同じように泣く。郎等どもも情理を知る者は両手を摺り合せて泣いた。こうして堂の扉をしっかり閉めて美濃へ超えて行った。

その後、二人は愛し合い、また、他に心を移すことなく過ごしたので、子どもを産み続けなどして、この敦賀にも常に通って来て、観音に格別に心を込めてお仕えしていたのであった。例の娘については、「そういう者がいるか」と言って、遠近あちこちと尋ねさせたが、いっこうにそんな女はいなかった。例の娘は、それから後、二度と家主の女の前に姿を現すこともなかったので、まったくこの観音のなされた事だったのだ。この男女はお互いに七八十歳になるまで元気で暮し、男子や女子を産み育てて、死に別れるまで添い遂げたという。 
              

語句

■越前国に敦賀といふ所-現在の福井県敦賀市。■とかくして-収入の方法や暮らしのやりくりをあれこれ工夫して。■身一つばかり-自分一人だけは。■わびしからで-貧しくはなく。■またなきものに-またとないものとして。■かなしくしける-大切に可愛がっていた。■我があらんをり-自分の生きているうちに。■頼もしく見置かむ-豊かに暮らせるように。■男あはせけれど-結婚相手として引き合わせたのだけれども。■たまらざりければ-通婚時代であったことを念頭におけば、長く通い続けてくれなかったので、の意。居つかなかったので。■これやこれやと-この男ではどうか、この男ではどうかと。■思ひわびて-思い悩んで。がっかりして(あきらめて、もう無理には)。■供養し奉り-開眼供養の事。新作の仏像に入眼(じゅがん)・入魂をする仏事。■いくばくも-いくらも。■経ぬうちに-たたないうちに。■失せにけり-亡くなってしまった。■観音-観世音菩薩。大慈大悲(元気を与え、苦を和らげる)の力に富み、三十三身に姿を変えて衆生の救済に当る、とされる。■いふかひもなし-どうしようもない。

■知る所-知行する土地、所領地。■構へて-いろいろやりくりをして。何とか工面しながら。■やもめなる女-後ろ盾になる人を持たない独り身の女。■いかにしてか-どうして。■はばかしき事あらん-とりたててよいことがあろうか。■おのづから求め出でたる折は-たまたま探しだした時は。■手づからいふばかりにして-(使用人ではなくて)本人自身が調理して。「いふ」は『妙義抄』の訓例を根拠に「食ふ」の意にとる大系に従う。■思ひしかひありて-思いおいた、かいがあるように。娘の将来を頼んで観音と御堂を建立し残してくれたことを指す。■来着かんずる-到着するであろう。■この仏が御助け下さるのであろう-御堂の観音様が私をお助け下さるということなのであろう。■水うち浴みて参りて-ざっと水浴びをして身を清めてから、観音様にお参りして。■申して-お礼を申し上げて。■夢を頼みて-すがりつくような思いで、夢の告げを当てにして。■うち掃(は)きなどしてゐたり-(家の中の)掃除をしたりなどしていた。■住みつきあるべかしき事なけれど-住み暮らすのにふさわしいものではなかったけれども、女の一人住いには(広すぎて)適当ではなかったが、ということ。■片隅にぞゐたりける-わずかにその一隅を使って暮していた。

■人ども覗きなどするを見れば-人々が邸内に入って来て、家の中をのぞき見などしている様子から察すると。■すみやかにゐよ-ただちに下馬して、家に入ってくつろげ。■ここよかりけり-これはよい宿だ。■いかにぞやなど-「いかがですか」などとご機嫌を伺わなくてはならない家主もいなくて。旅の者たちはそこを無人の家かと思いこんだのであろう。■我がままにも宿りゐるか-気ままにくつろいで泊まれるなあ。

■いと清げなる-たいそう美貌な人物である。■下種-下人、下男、召使。■ただゐにゐるに-おおぜいひしめきあって座っているので。大系の注によると、「ただゐ」は「直居」で、敷物なしで直接に板の上に坐る事と解される。■恥づかしと-(その用意がなくて)恥ずかしい事だと。■皮籠筵-「皮籠」は革張りの旅行用の荷物入れの箱。それを包んでいるむしろ。『今昔』巻一六-七話では「主人、皮子裹(つつみ)タル筵ヲ敷皮に重テ敷テ居ヌ」とする。■そそめく程に-人々のざわめく気配がしているうちに。■何事にか侍らん-何事でございましょう。今や遅しとその時をひそかに待ちかねていた女の返事。■何の障りもなければ-間に何の障害になる物もなかったので。■ふと入り来て控へつ-(男は)すっと入って来て女を抱き押えた。■いはすべきもなきに合せて-男が有無を言わせそうにもない態度なのと。『今昔』は「辞(い)ナビ可得(うべ)クモ無キニ合セテ」。

■美濃国-現在の岐阜県の南部一帯。■猛将-『今昔』は「勢徳有ケル者」。そのほうが本話にふさわしい。■親にも劣らぬ者にてありける-(『猛将』としてではなく)財力のうえで親にも負けないほどの者、ということ。■思ひける妻-『今昔』は「心指シ深ク思タリケル妻」と、思い込み方が尋常ではなかったことを強調している。愛していた妻。■後れて-先立たれて。死に別れて。■ありし妻-亡くなった妻。先の妻。■ありし妻に似たらん-書陵部本などはこの後に、「妻にならんといふもの」が続く。■沙汰すべき事ありて-処置しなければならない用があって。■隠れ-目隠しになる物。遮蔽物。■ゐたる所-隠れていた所。■いつしか-なんとか。■とく-早く。■近からん気色も試みん-(遠目にはよく似ているが)近くで見受ける感じも確かめてみたい。

■物うちいひたる-話をする口の利き方。言葉つき。■あさましく-不思議にも。思いがけなく。■かかりける事もありけりとて-このような事もあるのだと思って。亡妻と今目前にいる女とが瓜二つであるという信じがたいような事実をいう。■見ましやは-逢えたであろうか。見つける事も無かったであろうに。■うしろめたさに-気がかりであったために。■またの日-次の日。■寒げなりければ-(女が着るべき衣も無く)寒そうに見えたので。■御厨子所-元来は、宮中の後涼殿の西廂にある賄所(まかないどころ)の呼称。転じて、台所をいう。「厨子」は、食器類を収める戸棚。■とばかりは聞きけれども-すぐ後の「・・・とばかりは聞きわたりけるが」と同様、女が詳しくはそのことを関知していないことを印象づけようとする語り方。■よき男して事かなひてあり-よい夫を持って豊かな結婚生活を送っている。■御覧じ知れぬは-御覧になっても思い出していただけないのは。お見知りしただいていないのは。■我が身の咎(とが)にこそ候(さぶら)へ-(みな)私の方の罪でございます。■故上-亡くなられた御主人。ここは女主人の方をさす。■あやしくとも-見苦しい所ですが。■よそながらは-別の所からでは。■おろかなるやうに思はれ奉りぬべければ-十分には行き届かないように思われますから。■その程に-その時に(引き取る事にしよう)の意となるが、諸本は「その程とて(その間だけと言って)」と、合理的。■これ-この滞在している人たちも。■ここにも-この家にも、つまり、私の方にも。■日は高くなれば-日が高くなったので。朝食の時間がもう来ていること。■いとほしと思へども-(人々が空腹のままでおいでなのは)お気の毒とは思いますけれども。■知り扱ひ奉るべき人-もてなしをしてさしあげるべき人。■わざとさは思はねど-どうしても食事の世話をしてあげなければならない義理にある人たちとは思いませんが。■うたてあるべう-とても平気ではいられないでしょうし。「うたて」は嫌だ、不快だ、不格好だ、恐ろしい、などの程度のはなはだしさをいう。■思ひ放つべきやうもなき人-ほうってもおかれないような人たち。知らんふりをしているわけにもいかない人々。■かしこく-ちょうど折よく。■さるべきさまにて-皆さんの朝食の手はずを整えて、支度して。

■いとほしかりつる事を-みじめな状態でいたものを。恥をさらしそうであったのを。■いとど-なおいっそう。いよいよ、■馬の草-馬の飼葉。飼料の藁(わら)や草。■酒飲ませて-朝食から「酒」を出したとあるのは、食膳の用意がまことに十分すぎるほどに行き届いたものであったことを述べたもの。■入り来れば-主語は、先代に仕えたという召使の娘と名のる女。■心と違うやうにて-思うようにはできずに。■いさ、まことにああらん-さあ、本当なのかどうか。■ここに来べかんなる-ここに帰ってくることになっています。■さてはその御設(まう)けこそ仕(つかまつ)るべかんなれ-それではそのご用意をいたさねばなりません。■さまではいかがあらん-明日の用意までしていただくというのは、虫が良すぎはしないでしょうか。■今よりはいかでか仕らであらんずる-(今までのご無沙汰のお詫びに)せめてこれからはお仕えさせていただきたいのです。■覚えなくあさましきままには-思いがけなく驚く事が続く中で。

■殿おはしまさんずらかし-殿が帰っておいでになるに違いないぞ。■申の時-午後四時ごろ。■着きたるや遅しと-着くか着かないかというころあいに。到着するのを待ち受けていたという具合に。■申しののしれば-あれこれと声高に指図するので。■おぼつかなかりつる事など言ひ臥(ふ)したり-(若狭へ出かけている間)お逢いするのが待ち遠しかったことなど話して、一緒に寝た。■暁はやがて具して行くべき由(よし)などいふ-夜が明けたらこのまま美濃国へ連れて行くつもりだということなどを話す。妻に迎える事を独り決めしている物言い。■いかなるべき事にかなど-そうなったら、これからどのようなことになるのか。■暁立たん設けなどもしにやりて-翌朝の夜明けに出立するための支度をしたりするために、娘が自分の家に使いを出したりして。■急ぎくるめくがいとほしければ-大急ぎで目の回るように立ち働いているのが、気の毒でならなかったので。■何がな取らせん-お礼に何か適当な物を渡したい。{何がな」は、与える目的にふさわしい何か、の意。■おのづから入る事もやあるとて-何かの折に必要な事もあるかもしれない。「入る事」は入用な事態。■生絹(すずし)-絹の生糸で織った布(軽くてごわごわした感じの紗(しゃ)に似る布)で作った袴。砧(きぬた)で打ったりして柔らかくした、重みのある「練絹(ねりぎぬ)」の対。■これを取らせてんと-どうしてもこれを与えたいものだと。■恥(はぢ)がましかりぬべかりつる事を-みっともないことになったに違いない事態を。■何につけてか知らせん-何かによってお伝えしたい。■誘ふ水あらばと思ひわたりつるに-小野小町の歌「わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむぞと思ふ」(古今・雑下)を踏まえた物言い。わびしい身の上ですから、誘ってくださる人があったら、どこへでもまいりましょう。■随ひなんづれば-従っていくつもりですから。■なほ取らすれば-再び渡したので。■かたじけなければ-畏れ多いので。もったいなく思われますので。

■し置きたる物-用意しておいてくれた食物を。■人の命知らねば、また拝み奉らぬやうもぞある-人の命は分らないから、二度と拝めないことになるかもしれない。■観音の御肩に-恩賞・褒美の衣類は、肩に掛けて与えられたので「被(かづ)け物」と言われた。ここも観音の化身の娘が、袴を肩に掛けて賜っていたことを示す。■こはいかに-これはどうしたことだ。■涙の雨雫と降りて-涙がとめどもなく流れ続けるさま。■おぼろげならず-普通でない。ただ事に見えない。■それに取らすと思いつる袴の-急場を助けてくれたその娘に与えたと思っていた袴が。■いひもやらず-言いも終わらぬうちに。■男も空寝して聞きしに-家主の女と手伝いに来ていた娘とのやりとりを「聞き伏し」ていた事をさす。■かなしくて-深く感動されて。■かくてたて納め奉りて-(観音を大切に保管したい気持ちから)観音を安置し、堂の扉をしっかりと閉めて。

■思ひかはして-愛しあって。■横目する事なくて-一緒に暮らしている相手以外の、ほかの男女に関心を示す事もなくて。■来通ひて-通って来て。■返す返すつかうまつりけり-格別に心を込めてお仕えしていた。供養をしていた。■ありし女-さきの娘。例の娘。■ものやある-そのような者がいるか。■さらに-いっこうに。■またおとづるる事もなかりければ-二度と家主の女の前に姿を現す事もなかったので(やはり実在の人物ではないと思われ)。■ひとへに-まったく。
                                                               

備考・補足

■宝志和尚の本体が観音であったという前話を受けて、観音の霊験・利生を語る本話が置かれた。三十三身に自在に変身して衆生を救うという観音は、ここではかっての召使の女の娘の姿となって、その深い信心に報いる。夫となるべき美濃の男が貧窮している女を亡き妻とそっくりだと見る場面など、観音の仕組んだものとして読めば、自然に納得される。当初は越前敦賀の観音縁起譚として語り出されたものらしい屈指の観音利生話。

朗読・解説:左大臣光永