宇治拾遺物語 9-5 恒正(つねまさ)が郎等(らうどう)、仏供養(ほとけくやう)の事

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原文

昔、兵頭大夫恒正(ひやうどうたいふつねまさ)といふ者ありき。それは筑前国山鹿(ちくぜんのくにやまが)の庄(しやう)といひし所に住みし。またそこにあからさまにゐたる人ありけり。恒正が郎等(らうどう)に政行(まさゆき)とてありしをのこの、仏造り奉りて供養し奉らんとすと聞きわたりて、恒正がゐたる方(かた)に、物食ひ、酒飲みののしるを、「こは何事(なにごと)するぞ」といはすれば、「政行といふ者の、仏供養し奉らんとて、主(しゆう)のもとにかうつかうまつりたるを、かたへの郎等(らうどう)どもの食べののしるなり。今日(けふ)、響(きやう)百膳ばかりぞつかうまつる。明日(あす)、そこの御前の御料(れう)には、恒正やがて具して参るべく候(さぶら)ふなる」といへば、「仏供養し奉る人は必ずかくやはする」、「田舎(いなか)の者は仏供養し奉らんとて、かねて四五日より、かかる事どもをし奉るなり。昨日一昨日(きのふをととひ)は、おのがわたくしに、里隣(さととなり)、わたくしの者ども呼び集めて候ひつる」といへば、「をかしかりつる事かな」といひて、「明日を待つべきなめり」といひてやみぬ。

明けぬれば、いつしかと待ちゐたる程に、恒正出(い)で来(き)にけり。さなめりと思ふ程に、「いづら。これ参らせよ」といふ。さればよと思ふに、さる事はなけれど、高く大(おほ)きに盛りたる物ども持て来つつ据(す)ゆめり。侍(さぶらひ)の料(れう)とて、悪しくもあらぬ響十二膳ばかり据ゑつ。雑色(ざふしき)、女どもの料にいたるまで、数多く持(も)て来たり。講師(かうじ)の御試みとて、こだいなる物据ゑたり。講師にはこの旅なる人の具したる僧をせんとしけるなりけり。

かくて、物食ひ、酒飲みなどする程に、この講師に請(しやう)ぜられんずる僧のいふやうは、「明日(あす)の講師とは承れども、その仏を供養せんずるぞとこそえ承らね。何仏(なにほとけ)を供養し奉るにかあらん。仏はあまたおはしますなり。承りて説教をもせばや」といへば、恒正聞きて、「さる事なり」とて、「政行(まさゆき)や候ふ」といへば、この仏供養し奉らんとするをのこなるべし。長(たけ)高く、おせぐみたる者、赤鬚(あかひげ)にて年五十ばかりなる、太刀(たち)はき、股貫(ももぬき)はきて出で来たり。

「こなたへ参れ」といへば、庭中に参りてゐたるに、恒正、「かのまうとは、何仏を供養し奉らんずるぞ」といへば、「いかでか知り奉らんずる」といふ。「とはいかに。誰(た)が知るべきぞ。もし異人(ことびと)の供養し奉るを、ただ供養の事の限りをするか」と問へば、「さも候はず。政行丸(まろ)が供養し奉るなり」といふ。「さては、いかでか何仏とは知り奉らぬぞ」といへば、「仏師こそは知りて候ふらめ」といふ。あやしけれど、げにさもあるらん、この男、仏の御名を忘れたるならんと思ひて、「その仏師はいづくにかある」と問へば、「ゑいめいじに候ふ」といへば、「さては近かんなり。呼べ」といへば、この男帰り入りて、呼びて来たり。平面(ひらづら)なる法師の太りたるが、六十ばかりなるにてあり。物に心得たるらしからんかしと見えず、出で来て、政行(まさゆき)に並びてゐたるに、「この僧は仏師か」と問へば、「さに候(さぶら)ふ」といふ。「政行が仏や造りたる」と問へば、「造り奉りたり」といふ。「いく頭(かしら)造り奉りたるぞ」と問へば、「五頭造り奉れり」といふ。「さて、それは何仏(なにほとけ)を造り奉りたるぞ」と問へば、「え知り候はず」と答ふ。「とはいかに。政行知らずといふ。仏師知らずは、誰(た)が知らんぞ」といへば、「仏師はいかでか知り候はん。仏師の知るやうは候はず」といへば、「さは誰(た)が知るべきぞ」といへば、「講師(かうじ)の御かたこそ知らせ給はめ」といふ。「こはいかに」とて、集りて笑ひののしれば、仏師は腹立ちて、「物の様体(やうだい)も知らせ給はざりけり」とて立ちぬ。

「こはいかなる事ぞ」とて尋ぬれば、「はやうただ仏造り奉れ」といへば、ただ円頭(まるがしら)にて斎(さい)の神の冠(かぶり)なきやうなる物を五頭刻(きざ)み立てて、供養し奉らん講師して、その仏、かの仏と名をつけ奉るなりけり。それを問ひ聞きて、をかしかりし中にも、同じ功徳(くどく)にもなればと聞きし。あやしの者どもこそかく稀有(けう)の事どもをし侍りけるなり。

現代語訳

昔、兵頭大夫恒正(ひやうだいふつねまさ)という者がいた。それは筑前国山鹿の庄という所に住んでいた。またそこに旅の途中で短期間滞在する人がいた。恒正の家来に政行という男がいて、その者が仏を造って供養したいと言っているのを聞き伝えた人々が、恒正のいる家の方で、物を食い、酒を飲んで騒いでいた。それを一時の滞在者が、「これは一体なにごとか」と尋ねさせると、「政行という者が仏を供養したいといって、主人の所でこのようにもてなしましたので、仲間の家来たちがこのように食べ騒いでいるのです。今日は、御馳走の膳を百ほど用意しました。明日、あなたの為のお膳は、恒正がいずれ携えてまいるはずでございます。と言うと、「仏を供養する人は必ずこのようにするのか」、「田舎の者は仏を供養するのに、前もって四五日前から、このような事をするのです。昨日一昨日は、私が個人的に、隣近所や親せきのたちを呼び集めたのです」と言う。「風変わりな習慣ですなあ」と言い、「明日を待つことにしよう」と言ってその場は終わった。

夜が明けたので、今か今かと待っていると、恒正がやって来た。「さては持参してくれたらしいな」と思っていると、「さあどうぞ。これを召しあがってください」と言う。「やはり昨日聞いたとおりだったなあ」と思うのだが、格別な事はないが、高く大きく盛りあげた品々を次々に持って来ては並べていく。付き添いの侍のためにも、それほど悪くない料理を一二膳ばかり並べた。下男や女どもの分にいたるまで数多く持って来た。講師の御食事というので古風な食膳を据えた。講師にはこの旅をしている人が連れている僧をあてようとしたのであった。

こうして、物を食い、酒を飲んでいる時に、この講師に招かれた僧が言うには、「明日の講師とは承っておりますが、どんな仏を供養するのかについてはまだ承っておりません。仏はたくさんおいでになるのです。それを承ってその仏にふさわしい説教をしたいものです」と言うと、これを恒正が聞き、「それはもっともなことだ」と思って、「政行はおるか」と言うと、この仏を供養しようとしている男であろうか、背が高く、背が少し曲がっており、髭が赤く、年は五十くらいの者が太刀を佩いて股貫をはいで出て来た。

恒正が、「こちらへ参れ」と言うと、庭中に入って控えているので、「そなたは何という仏を供養しようとしているのか」と尋ねると、政行は、「そんなことは私にはわかりません」と答える。「それはまたどうしてか。誰が知っているのか。もしや他の人が供養するのを、ただ手伝いをしているにすぎないということなのか」と尋ねると、「そうではありません。この政行めが供養するのです」と言う。「それでは、どうして何という仏かわからないのか」と言うと、「仏師ならばわかるでしょう」と言う。「変な話だがいかにもそうかもしれぬ。この男は仏の御名を忘れたのであろう」と思って、「その仏師はどこにいるのか」と尋ねると、「叡明寺(えいめいじ)におります」と言うので、「ならば近くではないか、呼べ」と言うと、この男は帰って行き、その仏師を呼んで来た。それは、平べったい顔をした法師で、太っており六十くらい者であった。いかにも分別があるようにも見えず、出て来て、政行に並んで座ったので、「そなたは仏師か」と尋ねると、「そうでございます」と言う。「政行の仏を造ったのか」と問うと、「お造りしました」と答える。「何体お造りしたのか」と聞くと、「五体お造りしました」と答える。

「さて、それは何という仏をお造りしたのか」と問うと、「わかりません」と答える。「とはどういうわけか。政行も知らないと言うし、仏師がわからなければ誰が知っているのか」と言うと、「仏師はどうしてかはわかりません。仏師が知りようがありません」と言う。「では、誰が知っているのか」と言うと、「講師のお坊様が御存知でしょう」と言う。「これはどういうことだ」と人々が集まって笑い騒ぐと、仏師は腹を立てて、「物の事情もよくご存じではないようだ」と言って、座を立った。

「これはどういうことか」と、尋ねると、仏師は、実は政行が「とにかく仏を造ってほしい」と言うので、ただの丸頭で道祖神の冠も被っていないような物を五体彫りあげて、供養し奉る講師に、その仏、あの仏と名をつけていただくつもりなのであった。そういう事情を尋ね知って、おかしかったが、これははこれでまっとうな仏を造り上げるのと同じくらいの功徳があるのならそれもよかろうと思った。まったく下賤の者たちはこのような珍しい事をするのであった。

語句

■兵頭大夫恒正-伝未詳。■筑前国山鹿-福岡県遠賀郡芦屋町山鹿。藤原(九条)道家(1193~1252)の荘園があった。■あからさまにゐたる人-(旅の途中に立ち寄り)ごく短期間滞在していた人。■政行-伝未詳。■聞きわたりて-聞き伝えて。■ゐたる方に-住む家の方で。■ののしるを-騒ぐのを。■かうつかまつりたるを-このようにいたしましたので。■かたへの-仲間の。■かたへの郎等どもの食べののしるなり-同じ主人に仕える朋輩どもが大騒ぎをして食べているのである。■饗(きやう)百膳ばかりつかうまつる-饗応の膳を百人前ばかり用意しました。■そこの御前の-おまえの御主人の。■御料には-御ためには。■やがて具して参るべく候(さぶら)ふなる-すぐに持ってやってくるはずだそうです。■かくやはする-このようにするのです。■かねて四五日より-前もって四五日前から。■おのがわたくしに-自分が私的に。ごく内輪に。■里隣(さととなり)、わたくしの者ども呼び集めて候ひつる-隣近所や親類縁者の者たちを呼び集めましたわけです。■をかしかりつる事かな-風変わりな習慣ですなあ。■待つべきなめり-待てということですかな。

■いつしかと-今か今かと。■さなめりと-持参してくれたらしいと。そうらしいと。■いづら-さあ。■これ参らせよ-これを召しあがれ。■さればよと思ふに-やはり昨日聞いたとおりであったなあ。やはりそうだと。■さる事はなけれど-特別どうということはないが。大した事はないが。■侍の料とて-(あなたの)従者の分と言って。まことに行き届いた扱い。■雑色-雑役に従事する下男。本来は、蔵人所や院の御所などに属して。雑役を務めた無官の役。■試み-食べ物、食事。■こだいなるもの-「古代なる物」で古めかしい感じの食膳。古風な食膳。■この旅なる人-冒頭部の「あからさまにゐたる人」つまり本話を語り始めたと思われる人物。■具したる僧-連れている僧。■せんとしけるなりけり-あてようとしたのであった。

■講師に請(しやう)でられんずる僧-供養の講師に招請されようとしている僧。■その仏-何という仏。どの仏。■承りて説教をもせばや-何という仏なのかを伺ったうえで、その仏にふさわしい説法を行いたいものです。■さる事なり-もっともな話です。■おせぐみたる者-背中の少し曲がっている者。猫背の格好の者。■股貫-股まである革製の深沓(ふかぐつ)。

■まうと-「まひと(真人)の音便」。①客人、②貴人、③目下の者に対する呼称、と多義があるが、①、③の両義に解し得る。①ととれば、「あの御方は、何という仏を供養し申し上げるわけか」となり、③ととれば、「そこな者は、何という仏を供養するつもりじゃ」となる。従来は多く①に解されてきたが、ここでは新大系に従い、③と解しておく。■ただ供養の事の限りをするか-供養の催しの世話だけを手伝っているにすぎないというのか。■さも候はず-そういうわけではございません。■政行丸(まろ)が供養し奉るなり-この政行めが供養(そのもの)を行うのであります。「丸」は卑下の接尾語。■あやしけれど-(施主が知らないというのは)変な話ではあるけれども。■ゑいめいじ-万治本は、「叡明寺」とする。所在などは不明。■近かんなり-近くではないか。■平面-平べったい(幅広の)顔。■いく頭-「幾体、何体」とあるべきところ。仏像を数えるには、普通は「頭」は使わない。

■講師の御方-講師のお坊様。■こはいかに-これはどういうことだ。仏師のあまりの無責任で頼りない応答に、一座の人々はあきれはてた。■物の様体-物の事情、実情。

■斎の神-賽の神。道祖神。■刻み立てて-彫りあげて。■つけ奉るなりけり-おつけするのであった。■同じ功徳にもなればと-(これはこれで)まっとうな仏像を造り上げるのと同じ功徳にもなるので(よいだろう)と。■あやしの者ども-下賤の者ども。無知な地方人を指した都がたの者の意識からの物言い。■稀有の事-珍しい事。

備考・補足

■前話と同じく、造仏と供養に関する語り手の直接の見聞に基づく地方譚。都の常識からすれば、いかにも間の抜けた応答も含まれるが、郎等の仏供養に主人らが協力して事に当るほのぼのとした田舎の習俗を描いて好ましい。

■仏教の側では、経典や儀軌によって、仏像の形態が細かに定められていたが、庶民の間では、偶像の崇拝が、遅れて入ってきたために、その形状についても、あまりかえりみられなかったのかもしれない。ここでも供養主や仏師が、新造の仏が何かを知らなかっただけでなく、それが当然のことであるように思っていたのである。

朗読・解説:左大臣光永