宇治拾遺物語 9-6 歌詠(よ)みて罪を許さるる事
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今は昔、大隅守(おほすみのかみ)なる人、国の政(まつりごと)をしたため行ひ給ふあひだ、郡司のしどけなかりければ、「召しにやりて戒めん」といひて、先々(さきざき)か様にしどけなき事ありけるには、罪に任(まか)せて重く軽(かろ)く戒むる事ありければ、一度にあらず、たびたびしどけなき事あれば、重く戒めんとて召すなりけり。「ここに召して率(ゐ)て参りたり」と、人の申しければ、先々するやうに、し伏せて、尻(しり)、頭(かしら)にのぼりゐたる人、笞(しもと)を設(まう)けて、打つべき人設けて、先に人二人(ふたり)引き張りて出(い)で来(き)たるを見れば、頭(かしら)は黒髪も混(まじ)らず、いと白く、年老いたり。
見るに、打(ちやう)ぜん事いとほしく覚えければ、何事につけてかこれを許さんと思ふに、事つくべき事なし。過(あやま)ちどもを片はしより問ふに、ただ老(おい)を高家(かうけ)にていらへをる。いかにしてこれを許さんと思ひて、「おのれはいみじき盗人かな。歌は詠みてんや」といへば、「はかばかしからず候へども、詠み候ひなん」と申しければ、「さらば仕(つかまつ)れ」といはれて、程もなく、わななき声にて打ち出(いだ)す。
年を経て頭の雪はつもれどもしもと見るにぞ身は冷えにける
といひければ、いみじうあはれがりて、感じて許しけり。人はいかにも情(なさけ)はあるべし。
現代語訳
今は昔、大隅守であった人が、国の政を執っておられたが、郡司がだらしなかったので、「呼びにやって罰しよう」と言った。前々から、このように職務怠慢のあった時には、その罪によってあるいは重くあるいは軽く罰していたが、この郡司は一度ならず、たびたびいい加減な事をしていたので、今度はきつく戒めよう呼び出したのであった。
召し連れに行った者が、「ここに召し連れて参りました」と言ったので、前々からしていたように、うつ伏せにして、尻や頭に乗って押える者、むちを用意して、打つ役の者などを用意し、まず二人の者が先に立って引っ張って出て来た。それを見ると、頭は黒髪もまじらぬ白髪の老人であった。
それを見ると、打つことも不憫に思ったので、何かにかこつけてこれを許そうと思うものの、口実にするような事がない。過ちなどについて片端から尋ねると、ただ年寄の為に怠った事を言い訳にして答えている。何とかしてこれを許してやろうと思い、「お前は何というけしからん奴だ。歌は詠むのか」と言うと、「たいしたことはございませんが詠みます」と言ったので、「では詠んでみよ」と言われて、間もなく、震え声で詠みあげる。
年を経て頭の雪はつもれどもしもと見るにぞ身は冷えにける
(私は年をとって頭に雪(白髪)が積もり、今さら霜などには驚かないはずですが、笞を見ると身体が冷えてぞっとします)
と言ったので、とても可哀想になり、感じ入って許してやった。人はぜひとも情けの心を持つべきである。
語句
■大隅守-大隅国は現在の鹿児島県の東部。その国守。『拾遺集』雑下によれば、桜島忠信。応和二年(962)、自己の不運を嘆いて売官の横行を風刺した「落書」によって播磨守少掾から抜擢されて着任した。その落書は「内臣貪欲ニシテ世間嘆キ、外吏沈淪シテ天下憂フ、金銀一千万両ヲ招ビ集ヘ、山海十二洲を沽(う)リ亡フ」という激烈なものだった。当然、赴任後はきびしく綱紀の粛清に当たったのではあるまいか。後に豊後権介などを経て大外記となる。■したため行ひ給ふあひだ-とりしきっていらっしゃったが。■郡司-律令時代の地方行政官。国司の下にあって、郡を統治した。■しどけなかりければ-だらしがなかったので。しかも重ねての不始末であったから、職務怠慢として、厳格な忠信の目にとまったものか。■先々-底本「先々の様に」。文意によって改める。「先々」は忠信がこの老郡司の名を記憶しておらず、初対面でもあったことから推して、着任已然を指す。着任以前からの札付きの怠慢者の摘発に、新任の忠信は勢い込んで乗り出したのであろう。■笞(しもと)-罪人を打つのに使う刑罰用のむち。直径4.5~6ミリメートルの太さ。
■打(ちやう)ぜん事-むちで打ちたたくこと。■何事につけてかこれを許さんと-何かにかこつけて打たれるのを許そうか。■事つくべき事-事寄せるべき理由。■高家にていらへをる-(終始)年老いていることを頼みの口実として。老人である事を免罪符として持ち出して。「高家」は権勢のある家。権勢家は頼りになる事から、頼みの綱、力になる理由、の意。■おのれ-おまえ。きさま。■いみじき盗人かな-何というけしからぬ奴だな。■詠みてんや-詠めるのかな。■はかばかしからず候へども-うまくはございませんが。■さらば仕れ-それならば詠んでみよ。■年を経て云々-『拾遺集』雑下では、上の句が「老い果てて雪の山をばいただけど」。■しもと見るにぞ-「霜(しも)」と「笞(しもと)」をかける。■いかにも情はあるべし-ぜひとも情心は持つべきものである。
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