宇治拾遺物語 9-8 博打(ばくち)の子、聟入(むこいり)の事
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昔、博打(ばくち)の子の年若きが、目鼻一所(ひとところ)にとり寄せたるやうにて、世の人にも似ぬありけり。二人(ふたり)の親、これいかにして世にあらせんずると思ひてありける所に、長者の家にかしづく女(むすめ)のありけるに、顔よからん聟(むこ)取らんと母の求めけるを伝へ聞きて、「天(あめ)の下(した)の顔よしといふ、『聟にならん』とのたまふ」といひければ、長者悦(よろこ)びて、聟に取らんとて、日をとりて契(ちぎ)りにけり。
その夜になりて、装束(さうぞく)など人に借りて、月は明(あか)かりけれど、顔見えぬやうにもてなして、博打(ばくち)どもも集りてありければ、人々しく覚えて心にくく思ふ。
さて、夜々行(よるよるい)くに、昼ゐるべき程になりぬ。いかがせんと思ひめぐらして、博打一人(ばくちひとり)、長者の家の天井に上(のぼ)りて、二人寝たる上の天井をひしひしと踏み鳴らして、いかめしく恐ろしげなる声にて、「天(あめ)の下(した)の顔よし」と呼ぶ。家の内の者ども、「いかなる事ぞ」と聞き惑ふ。聟いみじく怖(お)じて、「おのれをこそ、世の人、『天の下顔よし』といふと聞け。いかなる事ならん」といふに、三度まで呼べば、いたへつ。「これはいかにいらへつるぞ」といへば、「心にもあらでいらへつるなり」といふ。
鬼のいふやう、「この家の女(むすめ)は、我が領(りやう)じて三年になりぬるを、汝(なんじ)いかに思ひて、かくは通ふぞ」といふ。「さる御事とも知らで通ひ候(さぶら)ひつるなり。ただ御助け候へ」といへば、鬼、「いといと憎き事なり。一(ひと)ことして帰らん。汝、命とかたちといづれか惜しき」といふ。聟、「いかがいらふべき」といふに、舅(しうと)、姑(しうとめ)、「何(なに)ぞの御かたちぞ。命だにおはせば。『ただかたちを』とのたまへ」といへば、教へのごとくいふに、鬼、「さらば吸ふ吸ふ」といふ時に、聟顔を抱(かか)へて、「あらあら」といひて臥し転(まろ)ぶ。鬼はあよび帰りぬ。
さて、「顔はいかがなりたるらん」とて、紙燭(しそく)をさして人々見れば、目鼻一つ所にとり据(す)ゑたるやうなり。聟(むこ)は泣きて、「ただ命とこそ申すべかりけれ。かかるかたちにて世の中にありては何(なに)かせん。かからざりつる先に、顔を一度(ひとたび)見え奉らで、大方(おほかた)は、かく恐ろしきものに領(りやう)ぜられたりける所に参りける、過(あやま)ちなり」とかこちければ、舅(しうと)いとほしと思ひて、「このかはりには、我が持ちたる宝を奉らん」といひて、めでたくかしづきければ、うれしくてぞありける。「所の悪(あ)しきか」とて、別(べち)によき家を造りて住ませければ、いみじくてぞありける。
現代語訳
昔、博打うちの息子の若者で、目鼻が一ヵ所に寄ったようで、世の中に二人といないような醜男がいた。両親は、この子をどうにかして一人前に世の中を渡れるようにしたいと思っていた。ある長者の家で大事に育てられた箱入り娘がおり、その母親が美男子を婿に迎えたいと願っているのを伝え聞き、「天下にまたとない美男子が『婿になろう』とおっしゃる」と言ったところ、長者は喜んで、婿にもらおうと吉日を決めてかたく結婚の約束をした。
その夜になって、装束などを人に借り、月は明るかったが、顔が見えないようにこしらえた。ばくち打ち仲間も集まって来たので、相当の家からの婿入りのように見えて 頼もしく思われた。
通婚の常として初めのうちは夜ごとに通っていたが、昼も一緒に居る状態になった。醜男を隠せない一大事となったので、どうしたらいいかと思案を巡らせた。仲間の博打うちの一人が、長者の家の天井に上って、長者の娘と博打うちの息子の二人が寝ている天井をみしみしと踏み鳴らし、恐ろしげな声で、「天の下の顔よしよ」と呼ぶ。家内の者たちは、その声を聞いて、「なんだろう」といぶかしがる。婿はひどく怯えて、「私の事を世間の人は『天の下の顔よし』と言うとは聞いている。どういうことだろう」と言っていたが三度まで呼ばれて答えた。天井で、「これはどういうつもりで返事をしたのか」と言うので、「つい心にもない返事をました」と言う。
天井で鬼に化けた男が、「この家の娘は、自分のものにしてから三年になるのに、お前はどういうつもりで、このように通って来ているのか」と言う。婿が、「そんな事とは知らず、通っておりました。どうかお助け下さい」と言うと、天井の鬼に化けた男は、「なんとも憎たらしい事よ。一つ懲らしめ事をして帰ろう。お前は命と顔の器量とどちらが惜しいか」と言う。婿が、「どう答えたらいいのでしょう」と言うと、舅も姑も「容貌など何ですか。命さえあれば。『ただ顔の器量をお取りください』とおっしゃい」と言うので、婿が、二人の指示どおりに返答する。鬼が、「ならば吸う吸う」と言う時に、婿は顔をかかえて、「あらあら」と言いながら転げまわる。鬼は天井をみしみしといわせながら帰って行った。
それから、「顔はどうなったのだろうか」と紙燭をさして、人々が婿を見ると、目と鼻が一ヵ所に集まっているように見える。婿は泣いて、「ただ命だけは助けて下さいと言えばよかった。このような醜い顔になったからには世の中にいてどうなるものというのか。こんなひどい顔になる前に、私の顔を一度もお目にかけず、まただいたいが、こんな恐ろしい鬼のものになっていた所へ来たのが間違いであった」と恨めし気に嘆いたので、舅も不憫に思い、「この代りには、私の持っている宝を差し上げよう」と言って、心を込めて面倒をみたので、婿は大いに喜んだ。「この場所が悪いのかもしれない」と、別の所に立派な家を建てて住まわせたのでたいへん幸せに暮らしたという事である。
語句
■博打-博打うち。博徒・賭博を生業とする者。■世の人にも似ぬ-世間一般の人とは似ても似つかない醜男(ぶおとこ)。■これをいかにして世にあらせんずる-この子をどうすれば一人前に生活していけるようにしてやれるだろうか。人並みに世渡りが出来るようにしてやれようか。■長者の家-金持ちの家。■かしづく女(むすめ)-大事に育てている箱入り娘。■顔よからん聟取らんと-美男の婿を迎えたい。■日をとりて-吉日を選んで取り決めて。■人々しく覚えて-相当の家からの婿のように見えて。■夜々行くに-通婚の常として、初めの内は夜ごとに通っていたが。■昼ゐるべき程になりぬ-昼も一緒にいるような状態になった。婿入りが正式なものになる段階。■いかがせん-どうしたらよいか。醜男であることが隠せなくなってしまう一大事となったので。■二人寝たる上の天井-長者の娘と博打うちの息子の二人が寝ている部屋の天井。■ひしひしと-みしみしと。■いみじく怖じて-ひどく怯えて。実は打ち合わせどおりの芝居。■おのれをこそ、世の人-私の事を世間の人は。■いかにいらへつるぞ-どういうつもりで返事をしたのか。脅かしのための言いがかり。■我が領じて-おれが自分のものにして。■一ことして帰らん-ひとつ懲らしめて帰ろう。■いかがいらふべき-どう答えたらよかろう。自分からは進んで答えず、わざと、舅・姑の指示を仰いで答えようという魂胆。結果の責任を舅・姑に負わせようという策略。■何ぞの御かたちぞ-容貌なんか何ですか。美男の婿を求めた者たちの言葉であるところが面白い。■命だにおはせば-命さえ助かるのなら。■さらば吸ふ吸ふ-それなら、吸うぞ吸うぞ。■あらあら-実は痛くもかゆくもないのに、苦痛と驚きを大げさに印象づけるための演技の叫び。■あよび-「歩(あよ)び」。「歩み」に同じ。天井をみしみしいわせながら。■紙燭(しそく)-室内の照明具。松の木を50センチぐらいに細く削り、端に油を塗って点火する。手元を紙で巻く。■申すべかりけれ-申したらよかった。■ありては何かはせん-いてもどうなるというのか。■かからざりつる先に-こういうひどい顔にならない前に。■一度見え奉らで-一度もお目にかけないで。■大方は-だいたいが。何といっても。■かこちければ-恨めしげに嘆いたので。■めでたくかしづきければ-心を込めて、大事に面倒をみたので。■所の悪しきか-(悪霊の祟りでもある)悪い場所なのかもしれない。