宇治拾遺物語 10-2 放鷹楽(はうようらく)、明暹(みやうせん)に是季(これすゑ)が習ふ事

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原文

これも今は昔、放鷹楽(はうようらく)といふ楽(がく)を、明暹已講(みやうせんいかう)ただ一人習ひ伝えたりけり。白河院野行幸明後日といひけるに、山階寺の(やましなでら)の三面の僧房にありけるが、「今宵(こよひ)は門(かど)なさしそ。尋ねる人あらんものか」といひて待ちたるが、案のごとく入り来たる人あり。これを問ふに、「是季(これすゑ)なり」といふ。「放鷹楽(はうようらく)習いひにか」といひければ、「しかなり」と答ふ。則(すなは)ち坊中に入れて件(くだん)の楽を伝へけり。

現代語訳

これも又、今となっては昔の事になるが、放鷹楽(はうようらく)という唐楽を、明暹已講(みやうせんいかう)ただ一人が習い伝えていた。白川院の野の行幸が明後日に迫っているというのに、彼は山階寺の三面の僧坊にいた。「今宵は門を閉めるな。訪ねて来る人があるだろうに」と言って待っていたが、案の定、入って来る人がいる。この人に「どなた様ですか」と問うと、「是季(これすゑ)である」と言う。「放鷹楽(はうようらく)を習いにおいでになったのか」と言うと、「そうだ」と答える。それを聞いて、明暹已講はすぐに彼を坊中に招き、例の楽を伝えたということである。

語句

■放鷹楽(はうようらく)-唐楽、大食調の曲で、鷹狩りのさまを舞う。天皇の野の行幸の際に演奏された曲。一時途絶えていたのを醍醐天皇の延喜年間(901~923)に復活。■明暹已講(みやうせんいかう)-藤原明衡の子(1059~1123)。笛の名人。師の円憲とともに『高麗笛譜』を編む。■白河院-第七十二代天皇(1053~1129)延久四年(1072)~応徳三年(1086)在位。後、没時まで院政を執る。■野行幸(ののみゆき)-紫野、嵯峨野、大原野などへの鷹狩りを観るための行幸。■是季(これすゑ)-大神惟季(おおみかわのこれすえ(1026~94)。右近将監、『懐竹抄』の編者。

備考・補足

■『教訓抄』によれば、野の行幸で放鷹楽(はうようらく)を奏するように命じられた是季が、明暹の元へそれを学びに赴いたことになっている。

朗読・解説:左大臣光永