宇治拾遺物語 10-3 堀河院、明暹(みやうせん)に笛吹かせ給ふ事

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原文

これも今は昔、堀河院の御時、奈良の僧どもを召して、大般若(だいはんにや)の御読経(みどきやう)行はれけるに、明暹(みやうせん)この中に参る。その時に主上御笛を遊ばしけるが、やうやうに調子を変へて吹かせ給ひけるに、明暹(みやうせん)調子ごとに声違へず上(あ)げければ、主上あやしみ給ひて、この僧を召しければ、明暹(みやうせん)ひざまづきて庭に候(さぶら)ふ。仰(おほ)せによりて、上(のぼ)りて簀子(すのこ)に候ふに、「笛や吹く」と問はせおはせましければ、「かたのごとく仕り候ふ」と申しければ、「さればこそ」とて、御笛賜(た)びて吹かせられけるに、万歳楽(まんざいらく)をえもいはず吹きたりければ、御感ありて、やがてその笛を賜びてけり。くだんの笛伝(つたは)りて、今八幡別当(やはたのべつたう)幸清がもとにありとか。

現代語訳

これも今は昔、堀河天皇の御代、奈良の僧たちを招いて、大般若の御読経を行われた折、明暹(みやうせん)もこの僧の中に参っていた。その時、堀河天皇が笛をお吹きになられ、さまざまに調子を変えられたが、調子ごとに正しく声を出して経を読んだので、天皇は不審に思われ、この僧を招かれた。明暹(みやうせん)は膝まづいて庭に控えていた。天皇の仰せに従い、簀子縁に上がり控えていると、「笛を吹くか」と、お尋ねになったので、「一通りはたしなみます」と申し上げると、「やはりそうか」と、御笛を賜ってお吹かせになったところ、明暹が万歳楽(まんざいらく)をいいようもなくりっぱに吹いたので、天皇は感動され、すぐにその笛をお与えになった。その笛は伝わって今は石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の別当幸清のもとにあるという。

語句

■主上-堀河天皇(1079~1107)をさす。『懐竹抄』に「聞人袖ヲシボラズト云コトナシ」とたたえられる笛の名手。白河天皇の第二皇子。■御笛を遊ばしけるが-笛をお吹きになったが。■やうやうに-さまざまに。■調子を変へて吹かせ給ひけるに、明暹(みやうせん)調子ごとに声違へず上(あ)げければ-調子を変えて笛を吹かれたが、明暹(みやうせん)がそれに合せて声の調子を正しくだしたので。■上りて簀子に候ふに-寝殿造りで廂(ひさし)の外側にある板縁に上がった事。■さればこそ-やはりそうか。■笛や吹く-笛を吹くか。■問はせおはしましければ-お尋ねになったので。■かたのごとく-一通りは。これは勿論謙遜で、『懐竹抄』に「時ノ仱人コゾリテ集テ物ヲ習フ」と紹介されているほどの名手。■御笛-『古事談』の同文話には、明暹(みやうせん)はその笛を「般若丸」と名付けて秘蔵していたと見える。■賜びて吹かせられけるに-下さってお吹かせになったところが。■万歳楽-唐楽、平調。皇帝の長寿弥栄(いやさか)を祝賀する曲。■えもいはず-いいようもなくみごとに。■御感ありて-ご感動になって。■やがて-そのまま。■くだんの-例の。■八幡別当(やはたのべつたう)幸清-第三十三代石清水八幡宮別当幸清(1177~1235)。『古事談』の編者源顕兼の生母の兄弟。■書陵部本などには、最後に、「件笛、幸清進ニ上当今一。建保三年也」との注記があり、本書成立時を決める重要な手がかりとなっている。

備考・補足

■二人の笛の名手の出会い方のおもしろさを伝えた。「名人・名手よく名人・名手を知る」と言う話。

朗読・解説:左大臣光永