宇治拾遺物語 10-4 浄蔵(じやうざう)が八坂(やさか)の坊に強盗入る事

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これも今は昔、天暦(てんりやく)のころほひ、浄蔵(じやうざう)が八坂の坊に強盗その数入り乱れたり。しかるに、火をともし、太刀(たち)を抜き、目を見張りて、おのおの立ちすくみて、さらにする事なし。かくて数刻を経(ふ)。夜やうやう明けんとする時、ここに浄蔵、本尊に啓百(けいびやく)して、「早く許し遣はすべし」と申しけり。その時に盗人ども、いたづらにて逃げ帰りけるとか。

現代語訳

これも今では昔の事になりますが、天暦の頃、浄蔵(じょうぞう)が住んでいた八坂の坊に数人の強盗が乱入してきた。しかし、強盗はそれぞれ火を灯し、太刀を抜いて、目を見開いて、それぞれその場に立ちすくんだまま、いっこうに何もすることができない。こうして数時間が経った。夜もようやく明けようとする時、ここで、浄蔵(じょうぞう)は、御本尊にうやうやしく言上して、「もはやお許しなされませ」と申し上げた。その時になって、盗人どもは何も奪うこともなく逃げ帰ったということだ。

語句

■天暦のころほひ-九四七年~九五七年、第六十二代村上天皇の治世。■浄蔵(じやうざう)-三善清行の子(891~964)、四歳にして「千字文」を読んだと伝えられる俊才。叡山の玄昭の弟子。天慶三年(940)一月には、横川において大威徳法によって平将門の調伏を修し、将門の首がまもなく入京することを予言している。『拾遺往生伝』『元亭釈書』などによれば、浄蔵は、陀羅尼、修験、悉雲(しつたん)などの仏道以外の、管弦、天文、易道、医道、音曲、文章などの諸事にも通曉(つうきやう)していたとされる。■八坂-八坂寺。京都市東区八坂上町にあり、法観寺ともいう。■啓百して-言上して。■いたづらにて-何も奪うことなく。

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朗読・解説:左大臣光永