宇治拾遺物語 10-7 豊前王(とよさき)王の事

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原文

今は昔、柏原(かしはばら)の御門(みかど)の御子の五の御子にて、豊前(とよさき)の大君(おほきみ)といふ人ありけり。四位にて、司(つかさ)は刑部卿(ぎやうぶきやう)、大和守(やまとのかみ)にてなんありける。世の事をよく知り、心ばへすなほにて、おほやけの御政(まつりごと)をも善き悪(あ)しきよく知りて、除目(ぢもく)のあらんとても、まづ国のあまたあきたる、望む人あるをも国の程に当てつつ、「その人はその国の守にぞなさるらん。その人は道理立てて望むとも、えならじ」など、国ごとに言ひゐたりける事を人聞きて、除目の朝にこの大君の推し量り事にいふ事は露違(つゆたが)はねば「この大君の推し量り除目かしこし」といひて、除目の前(さき)にはこの大君の家にいき集(つど)ひてなん、「なりぬべし」といふ人は手を摺(す)りて悦(よろこ)び「えならじ」といふを聞きつる人は、「何事(なにごと)いひ居(を)る古(ふる)大君ぞ。塞(さへ)の神祭りて狂ふにこそあらめ」などつぶやきてなん帰りける。「かくなるべし」といふ人のならで、不慮(ふりよ)に異人(ことびと)なりたるをば、「悪(あ)しくなされたり」となん世にはそしりける。さればおほやけも、「豊前の大君は、いかが除目をばいひける」となん、親しく候(さぶら)ふ人には、「行きて問へ」となん仰(おほ)せられける。これは田村、水の尾などの御時になんありけるにや。

現代語訳

今は昔、桓武天皇の五番目の子の子孫で、豊前王の大君という人がいた。官位は四位で役職は刑部卿、大和守であった。世間の事情に精通しており、気立ては素直で、朝廷の政治についても長短をわきまえており、任官の儀がある時でも、まず、国司が空席となっている多くの国に、任官を希望する人があると国の格式に合せて当てがっては、「その人はその国の守になされるであろう。その人は順番や理由をつけて希望してもとてもむずかしかろう」などと、国ごとに言っているのを人が聞き、任官の儀の翌朝に調べると、この大君が推量された事がまったく実際の人事と少しもはずれが無いので、「この大君の予想はすばらしい」と言って、任官の儀の前日にはこの大君の家に人々が集まってきた。「貴方は任官されるだろう」と言われた人は手を摺り合わせて喜び、「貴方は任官されないろう」と聞かされた人は「何を言っているのか。老いぼれ大君め。道祖神を祭ってそれにとり憑かれて狂ってしまったのか」などとぶつぶつ言って帰った。「こうなるだろう」と言われた人が予想に反して任官されず、以外にも別の人がなった時には、「この人事は失敗だった」などと世間では悪口を言った。それで、天皇も、「豊前の大君は、任官の人事をどのように言ったか、行って聞け」と親しく仕えている人には、仰せられたものである。これは文徳天皇、清和天皇の治世での事であったろうか。

語句  

■柏原(かしはばら)の御門(みかど)-第五十代桓武天皇(737~806)。山城国の柏原陵(京都市伏見区桃山町)に葬られたので柏原天皇とも称された。ただし、桓武天皇の第五皇子は万多親王。豊前の大君は天武天皇の第五皇子舎人親王の子孫。天武天皇の別称である「浄御原の御門」の誤伝かとする全註解の説はうなずける。■御子-天皇の子、子孫。皇子と同意。■豊前の大君-豊前王(805~865)。舎人親王第四代の後胤木工頭栄井王の子。■刑部卿(ぎやうぶきやう)-刑部省の長官。■大和守-仁寿三年(853)就任。■世の事をよく知り-『三代実録』貞観七年二月二日条に「伊予守豊前王ハ才学早ク顕ハレ、資歴淹久(えんきう)ニシテ、他のノ異跡無ケレドモ、老成スト謂フニ足レリ」「豊前、為性(ひととなり)簡傲(かんこう)ニシテ、言語夸浪(こらう)。(中略)尋常(つね)ニ侍従ノ局ニ直シテ人物を品藻シ、以テ己ガ任ト為シテ談笑ニ日ヲ消ス。放縦ニシテ拘ラズ」などと見える。■除目(ぢもく)-大臣以外の諸官を任命する儀式。①国司などの地方官を任命する春の県召(あがためし)の除目、②中央の諸官を任命する秋の司召(つかさめし)の除目とあるが、ここは①を指す。■国の程-国の等級。本州六十六か国が大・上・中・下の四等級に格づけされていた。■道理立てて望むとも-任官所望のもっともな理由を述べたてて望んでも。■古大君ぞ-老いぼれ大君め。■塞(さへ)の神-道祖神。神社の祭神に比して、下級の俗神
として低く見られていた。■田村-第五十五代文徳天皇(827~858)をいう。田村の山稜に葬ったことから。■水の尾-第五十六代清和天皇(850~880)を指す。

備考・補足

本話からは少し時代は下るが、『枕草紙』「除目に司得ぬ人の家」の段に活写されているように、県召の除目の成否は、中流階級の貴族にとっては一族の浮沈にかかわる重大事であった。その除目の確率の高い予想屋としての豊前王をめぐる喜怒哀楽劇。『三代実録』の人物評では、傲慢で多弁な嫌われ者という事になっており、本話の豊前王はなぜかかなりに美化されているようだ。

朗読・解説:左大臣光永