宇治拾遺物語 10-9 小槻茂助(をつきもすけ)の事

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原文

今は昔、主計頭小槻当平(かずへのかみをづきまさひら)といふ人ありけり。その子に算博士(さんはかせ)なる者あり。名は茂助となんいひける。主計頭忠臣が父、淡路守大夫史奉親(あはぢのかみたいふのしともちか)が祖父(おほぢ)なり。生きたならば、やんごとなくなりぬべき者なれば、「いかでなくもならなん。これが出で立ちなば、主計頭、主税頭(ちからのかみ)、助(すけ)、大夫史には、異人はきしろふべきやうもなかんめり」。なり伝はりたる職なる上に、才(さえ)かしこく、心ばへもうるせかりければ、六位ながら、世の覚えやうやう聞え高くなりもてゆけば、「なくてもありなん」と思ふ人もあるに、この人の家にさとしをしたりければ、その時の陰陽師(おんやうじ)に物を問ふに、いみじく重く慎むべき日どもを書き出でて取らせたりければ、そのままに門(かど)を強くさして物忌(ものいみ)してゐたるに、敵(かたき)の人、隠れて、陰陽師にしぬべきわざどもをせさせければ、そのまじわざする陰陽師の曰(いは)く、物忌してゐたるは、慎むべき日にこそあらめ。その日のろひ合せばぞ験(しるし)あるべき。されば、おのれを具(ぐ)してその家におはして呼び出で給へ。門は物忌(ものいみ)ならばよもあけじ。ただ声をだに聞きてば、必ずのろふ験(しるし)ありなん」といひければ、陰陽師(おんやうじ)を具してそれが家に行(い)きて、門をおびたたしく叩(たた)きければ、下種(げす)出(い)で来(き)て、「誰(た)そ。この門(かど)叩くは」といひければ、「それがしが、とみの事にて参れるなり。いみじき堅き物忌なりとも、細目にあけて入れ給へ。大切(たいせつ)の事なり」といはすれば、この下種男帰り入りて、かくなんといへば、「いとわりなき事なり。世にある人の、身思はぬやはある。え入れ奉らじ。さらに不用(ふよう)なり。とく帰り給ひね」といはすれば、またいふやう、「さらば門(かど)をばあけ給はずとも、その遣戸(やりど)から顔を差し出で給へ。みづから聞えん」といへば、死ぬべき宿世(すくせ)にやありけん、「何事(なにごと)ぞ」とて、遣戸から顔を差し出でたりければ、陰陽師は声を聞き、顔を見て、すべき限りのろひつ。

このあはんといふ人は、「いみじき大事いはん」といひつれども、いふべき事も覚えねば、「只今田舎(ゐなか)へまかれば、その由(よし)申さんと思ひて、まうで来つるなり。はや入り給ひね」といへば、「大事にもあらざりける事により、かく人を呼び出でて、物も覚えぬ主かな」といひて入りぬ。それよりやがて頭(かしら)痛くなりて、三日といふに死にけり。

されば、物忌には、声高く余所(よそ)の人にはあふまじきなり。かやうにまじわざする人のためには、それにつけてかかるわざをすれば、いと恐ろしき事なり。さて、そののろひ事せさせし人も、いく程なくて殃(わざはひ)にあひて死にけりとぞ。「身に負ひけるにや。あさましき事なり」となん人の語りし。                                
 

現代語訳

今は昔、主計頭(かずえのかみ)小槻当平(まさひら)という人がいた。その子に算博士(さんはかせ)を務める者がおり、名を茂助といった。主計頭忠臣(ただおみ)の父、淡路守大夫史奉親(あわじのかみたいふのしともちか)の祖父である。長生きしていたなら高貴な人にもなったであろうという程の器量の持ち主だったので、「何とかして亡くならないものか。これが出仕をしたならば、主計頭、主税頭、助、大夫史には、他の者はとうてい太刀打ちできそうもない」とそねまれた。代々伝わっている職であるうえに、才に富み、人柄も文句のつけようもなかったので六位ではあるが、世間の評判もだんだん高くなるので、「死んでしまえばいい」と思う人もいた。さて、この茂助の家に、呪われているとの神仏のお告げがあった。それを時の陰陽師に尋ねてみると、たいそう厳重に慎まねばならない日などを書きだしてくれたので、そのとおりに、門を強く閉ざし、物忌をしていた。すると彼を敵と思う人が、秘かに陰陽師に呪い殺す仕事をさせると、その仕事を頼まれた陰陽師が言う、「物忌をしているのは、もちろん慎むべき日だけであろう。その日に合わせて呪いをすれば、きっと効果がでるであろう。それで、私を連れて、その家に行き、彼を呼び出してください。門は物忌中であればよもや開けることはありますまい。ただ声さえ聴くことができれば必ず呪いの効果あるでしょう」言うので、陰陽師を連れてその家に行って、門を激しく叩くと、下人が出て来て「どなたか。この門を叩くのは」言ったので、「私が急用で伺いました。大変厳しい物忌であっても、細めに開けて入れて下さい。大切な事です」と言わせた。この下人が奥に戻って、これこれということがありましたと茂助に報告すると、「まったく無茶な話だ。世間の人で自分の身を大事に思わない者はおるまい。とても入れる事はできぬ。絶対に聞き入れられない。早くお帰り下さい」と言わせた。するとまた、「それでは、門は開けられなくても、せめてその引戸から顔だけでもお出しください。私から申し上げましょう」と言うと、死ぬべき宿命でもあったのか、「何事です」と、引戸から顔を差し出すと、陰陽師はその声を聞き、顔を見て、茂助を殺すためのあらゆる呪いの術をかけてしまった。         

彼に会おうと言った人は、「大切な事だ」と言ったが、何を言っていいかもわからず、「ただ今田舎(いなか)へ発(た)ちますので、その事を申し上げようと思ってやって来たのです。もうお入りください」と言うと、彼は、「大した事でもないのに、このように人を呼び出して、わけのわからない奴め」と言って入った。それからすぐ頭が痛くなり、三日目という日に茂助は死んでしまった。

それで、物忌の時には、大きな声を出して、他人には会ってはならないのである。このように呪い事をする人は、それにつけこんでこんなことをするから、実に恐ろしいのだ。一方、その呪い事をさせた人も。いくらも経たないうちに災いに遭って死んでしまったという事だ。「人を呪い殺した罪を身に背負ったのだろうか。恐ろしい事だ」と人が話した。
                                                       

語句  

■主計頭-主計寮(かずえりよう)の長官。主計寮は民部省に属し、諸国からの税収の計算、国費の支出を管轄する役所。■小槻当平(をづきまさひら)-小槻今雄の子。左大史(「史」は太政官の四等官)、算博士。延長七年(929)没。■算博士-式部省の大学寮の専門職。算術を教授した。定員二名。三善(みよし)、小槻両氏の世襲職。■茂助-当平の子。修理属。左少史、算博士、天徳二年(958)没。■忠臣-茂助の子(933~1009)。左大史、算博士。従四位下。■大夫-「大夫」は五位の称、「大夫史」は、筆頭の史。太政官府の起草に当たった。■いかでなくもならなん-何とか死んでほしい。底本「ならなん」。文意に寄り改訂。■主税頭-民部省主税寮の長官大夫。主税寮は諸国の田祖や国倉の出納などを管轄した役所。■きしろふ-競い合う。競争する。■きしろふべきやうもなかんめり-競争のしようもなくなろう。■なり伝はりたる職なる上に-代々伝わっている家職で仕事に落ち度はない上に。■心ばえもうるせかりければ-気立ても殊勝であったので。人柄も文句も言いようがなかったので。■さとしをしたりければ-呪われているとの神仏のお告げがあったので。■陰陽師(おんやうじ)-本来は中務省陰陽寮の専門職で、天文・歴数の事をつかさどり、日時・方角・地相などの吉凶禍福を占った。ここは民間の占い師か。■物忌-ある期間、飲食や行為を慎み、身心を清めて、家内に籠っていること。■よもあけじ-おそらく開けまい。しかし、それでもかまわないのだ。■ただ声をだに聞きてば-ただ本人の声さえ聞く事ができれば。■下種(げす)-下部(しもべ)。仕えている下男。■それがしが、とみの事にて参れるなり-私が急用で伺いました。■いとわりなき事なり-まったく無茶な話だ。物忌中は閉門して、かたく外部との接触を絶たねばならないとされていた。■身思はぬやはある-自分の身(命や健康)を大事に思わない者はおるまい。■さらに不用なり-絶対に聞き入れられない。■遣戸(やりど)-左右に開閉する引戸。■みづから聞えん-私から直接申し上げましょう。■宿世-前世からの因縁。宿命。■すべき限りのろひつ-茂助を殺すためのあらゆる呪いの術をかけてしまった。

■いみじき大事-きわめて重要な事。■物も覚えぬ主かな-道理もわきまえぬやつめが。■三日といふに-三日目という日に。

■物忌には-『今昔』巻二四-一八話の「物忌ニハ音(こゑ)ヲ高クシテ人ニ聞カシムベカラズ」のほうが分りよい。■それにつけて-それを手がかりとして。■さて以下-『今昔』では、以下の呪い手の死についての記述はない。■殃(わざはひ)-災禍。凶事。■身に負ひけるにや-他人を呪い殺させた罪をわが身にも背負い込んでしまったのであろうか。因果の報いというやつであろうか。

備考・補足

■家柄、才能、人物の三拍子が抜群に揃っていたためにいらぬそねみを受けて呪いの標的とされた茂助の横死は、あまりにも痛ましい。人はとうてい及びもつかない相手の存在には寛容だが、自分の手の届きそうな範囲内にいる競争者は邪魔者扱いして、あえて無視しようとか、あからさまに抹殺しようと、陰険な排除に向いがちなものという人情のいやらしさは昔も今も変わらないようだ。

朗読・解説:左大臣光永