宇治拾遺物語 10-10 海賊発心(ほつしん)出家の事
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今は昔、摂津国(せっつのくに)にいみじく老いたる入道の、行(おこな)ひうちしてありけるが、人の、「海賊にあひたり」といふ物語するついでにいふやう、我は若かりし折(をり)は、まことに頼もしくありし身なり。着る物、食物(くひもの)に飽き満ちて、明け暮れ海に浮かびて世をば過(すぐ)ししなり。淡路の六郎追捕使(ついふくし)となんいひし。それに安芸(あき)の嶋(しま)にて、異船(ことふね)も殊(こと)になかりしに、舟一艘(さう)近く漕(こ)ぎ寄す。見れば、廿五六ばかりの男の清げなるぞ、主と思(おぼ)しくてある。さては若き男ニ三人ばかりにて、わづかに見ゆ。さては女どものよきなどあるべし。おのづから簾(すだれ)の隙(ひま)より見れば、皮籠(かはご)などあまた見ゆ。物はよく積みたるに、はかばかしき人もなくて、ただこの我が船に付きてありく。屋形(やかた)の上に若き僧一人(ひとり)ゐて、経読みてあり。下(くだ)れば同じやうに下り、嶋(しま)へ寄れば同じやうに寄る。とまればまたとまりなどすれば、この船をえ見も知らぬなりけり。
あやしと思ひて、問ひてんと思ひて、「こはいかなる人の、かくこの舟にのみ具してはおはするぞ。いづくにおはする人にか」と問へば、「周防国(すはうのくに)より急ぐことありてまかるが、さるべき頼もしき人も見せねば、恐ろしくて、この御舟を頼みて、かく付き申したるなり」といへば、いとをこがましと思ひて、「これは京にまかるにもあらず。ここに人待つなり。待ちつけて周防の方(かた)へ下らんずるは。いかで具してとはあるぞ。京に上(のぼ)らん舟に具してこそおはせめ」といへば、「さらば明日(あす)こそは、さもいかにもせめ。今宵(こよひ)はなほ御舟に具してあらん」とて、嶋隠れたる所に具して泊まりぬ。
人々も、「只今こそよき時なめれ。いざ、この舟移してん」とて、この舟にみな乗る時に、覚えず、あきれ惑ひたり。物のある限り、我が舟に取り入れつ。人どもはみな男女、みな海に取り入るる間に、主人手をこそこそと摺(す)りて、水精(すいしやう)の数珠(ずず)の緒(を)切れたらんやうなる涙をはらはらとこぼして曰(いは)く、「万(よろず)の物はみな取り給へ。ただ我が命の限りは助け給へ。京に老いたる親の、限りにわづらひて、『今一度見ん』と申したれば、夜を昼にて告げに遣はしたれば、急ぎまかり上(のぼ)るなり」ともえ言ひやらで、我に目を見合せて手を摺(す)るさまいみじ。「これ、かくないはせそ。例のごとく、とく」といふに、目を見合せて泣き惑ふさま、いといといみじ。あはれに無慙(むざう)に覚えしかども、さ言ひていかがせんと思ひなして、海に入れつ。
屋形の上に、廿(はたち)ばかりにて、ひはづなる僧の、経袋首にかけて夜昼経読みつるを取りて海にうち入れつ。時に手惑ひして経袋を取りて水の上に浮びながら、手を捧(ささ)げて、この経を捧げて浮き出で浮き出でする時に、「稀有(けう)の法師の。今まで死なぬ」とて、舟の櫂(かい)して頭(かしら)をはたと打ち、背中を突き入れなどすれど、浮き出で浮き出でしつつこの経を捧(ささ)ぐ。あやしと思ひてよく見れば、この僧の水に浮びたる跡枕(あとまくら)に、美しげなる童(わらは)のびづら結ひたるが、白き楉(すはえ)を持ちたる、ニ三人ばかり見ゆ。僧の頭(かしら)に手をかけ、一人(ひとり)は経を捧げたる腕(かひな)をとらへたりと見ゆ。かたへの者どもに、「あれ見よ。この僧に付きたる童部(わらはべ)は何(なに)ぞ」といへば、「いづらいづら、さらに人なし」といふ。我が目にはたしかに見ゆ。この童部添ひて、敢(あ)へて海に沈む事なし。浮びてあり。あやしければ、見んと思ひて、「これに取り付きて来(こ)」とて、棹(さを)をさしやりたれば、取り付きたるを引き寄せたれば、人々、「などかくはするぞ。よしなしわざする」といへど、「さはれ、この僧一人は生けん」とて舟に乗せつ。近くなれば、この童部は見えず。
この僧に問ふ。「我(われ)は京の人か。いづこへおはするぞ」と問へば、「田舎(ゐなか)の人にて候(さぶら)ふ。法師になりて久しく受戒をえ仕(つかまつ)らねば、『いかで京に上(のぼ)りて受戒せん』と申ししかば、『いざ我に具(ぐ)して、山に知りたる人のあるに申しつけて、せさせん』と候ひしかば、まかり上(のぼ)りつるなり」といふ。「わ僧の頭や腕(かひな)に取り付きたる児(ちご)どもは誰(た)そ。何(なに)ぞ」と問へば、「いつかさる者候ひつる。さらに覚えず」といへば、「さて経捧げたりつる腕(かひな)にも、童添ひたりつるは。そもそも何(なに)と思ひて、只今死なんとするに、この経袋をば捧げつるぞ」と問へば、「死なんずるは思ひ設(まう)けたれば、命は惜(を)しくもあらず。我は死ぬとも、経をしばしが程も濡(ぬ)らし奉らじと思ひて捧げ奉りしに、腕(かひな)たゆくもあらず、あやまりて軽(かろ)くて、腕(かひな)も長くなるやうにて、高く捧げられ候ひつれば、御経の験(しるし)とこそ死ぬべき心地にも覚え候ひつれ。命生けさせ給はんはうれしき事」とて泣くに、この婆羅門(ばらもん)のやうなる心にもあはれに貴(たふと)く覚えて、「これより国へ帰らんとや思ふ。また京に上(のぼ)りて受戒遂(と)げんとの心あらば、送らん」といへば、「さらに受戒の心も今は候はず。ただ帰り候ひなん」といへば、「これより返しやりてんとす。さても美しかりつる童部(わらはべ)は何(なに)にかかく見えつる」と語れば、この僧あはれに貴く覚えて、ほろほろ泣かる。「七つより法華経読み奉りて、日比(ひごろ)も異事(ことごと)なく、物の恐ろしきままにも読み奉りたれば、十羅刹(らせつ)のおはしましけるにこそ」といふに、この婆羅門のやうなる者の心に、さは、仏経はめでたく貴(たふと)くおはしますものなりけりと思ひて、この僧に具(ぐ)して、山寺などへ往(い)なんと思ふ心つきぬ。
さて、この僧と二人(ふたり)具して、糧(かて)少しを具して、残りの物どもは知らず、みなこの人々に預けて行けば、人々、「物に狂ふか。こはいかに。にはかの道心世にあらじ。物の憑(つ)きたるか」とて、制しとどむれども、聞かで、弓、箙(えびら)、太刀(たち)、刀もみな捨てて、この僧に具して、これが師の山寺なる所に行(い)きて法師になりて、そこにて経一部読み参らせて行ひありくなり。かかる罪をのみ作りしが 無慙(むざう)に覚えて、この男の手を摺(す)りてはらはらと泣き惑ひしを海に入れしより、少し道心起こりにき。それに、いとどこの僧に十羅刹(らせつ)の添ひておはしましけると思ふに、法華経のめでたく、読み奉らまほしく覚えて、にはかにかくなりてあるなりと語り侍りけり。
現代語訳
今は昔、摂津国(せっつのくに)にひどく年をとった入道が熱心に修行をしていたが、ある人が、「海賊に出会った」という話をした折に、その入道がこう語った。―――自分は若い時は、実に裕福な身の上であった。着る物、食物には飽きるほど満ちたりており、毎日海に浮かんで世を送っていた。淡路の六郎追捕使(ついぶくし)と呼ばれていた。さて、安芸の島で、特に他の船もいなかった時に一艘の船が近くに漕ぎ寄って来る。見ると、二十五六ばかりの男で、さっぱりした様子の者がその主人と見えて乗っている。その他には、若い男ニ三人ばかりで人は少なそうに見える。それからきれいな女たちがいるようだ。たまたま簾の隙間から見ると、革張りの行李の類などがたくさん見える。荷物はたくさん積んでいるのにしっかりした頼りになるような人物もいないようで、ただこの海賊船について動いている。屋形の上に若い僧が一人坐って経を読んでいる。こちらの船が下れば同じように下り、島に寄ると同じように寄って来る。止まればまた同じように止まるなどする様子からすると、この船が海賊船であるという事に気づいていないようだった。
おかしいと思って、ぜひ聞いてみようと、「いったいどなたです。こうして私の船にくっ付いて来られるのは。どこに行かれる人か」と尋ねると、「周防国(すおうのくに)から急用があって出て来たのですが、頼りになる男の人も連れていないので、恐ろしくて、貴方様の船を頼りにして、こうして付いているのです」と言う。内心なんと馬鹿なことをするものだと思いながら、「この船は京へ行くのではない。ここで人を待つのです。待っている船が来たら周防へ下って行くつもりだ。どうして連れだってなどと言われるのです。京に上る船に付いてお行きなさい」と言うと、「それでは明日になったらおっしゃるように何とかしましょう。今夜まではおそばに停泊させてください」と、島陰に付いて行って停泊した。
海賊船の他の仲間たちも、「今が潮時だろう。さあ、この目の前の積み荷を奪い取ってしまおう」と、その船に海賊どもが皆乗り移った時には、相手は呆然として、あわてふためくばかり。積み荷を全部自分の船に運び込んだ。乗っていた人々は男も女も全部海に放り込んだが、その間、船主は手をこそこそと摺って、水晶の玉のような大粒の涙をはらはらとこぼして言う。「積荷は全部取られてもかまいませんが私の命だけはお助け下さい。京にいる老親が、今を限りの重病で、『もう一度会いたい』と申していると、昼夜駈け通しでその事を知らせに使いの者をよこしたので、急いで京に上るところです」とも言い終わりもせず自分を見詰めて手をする様が必死である。「こら、こんなことを言わせるな。いつものように早く投げ込め」と厳命すると、目を見合せて泣き騒ぐ船主の様はなんとも哀れである。哀れで残酷には感じたが、だからと言ってどうしようもないと思い直し、海に投げ込んだ。
また、屋形の上にいた、二十歳ばかりのひ弱そうな僧が経袋を首から下げて夜昼経を読んでいたのを捕まえて、海に投げ入れた。その時、僧はうろたえて経袋を取り、海の上に浮びながら、手をさし上げて、この経を捧げ、ぷかぷかと浮き漂っているので、「不思議な法師よ。まだ死なぬか」と、舟の櫂で僧の頭をはたと打ち据え、背中を、海に突き入れなどするが、浮き漂いながらしつこくこの経を捧げている。合点がいかぬと思ってよく見ると、この僧の水に浮んだ後先に、美しい童のひづらを結んだ者が、白いまっすぐな細枝を持っているのがニ三人程見える。僧の頭に手をかけて、一人は経を捧げている腕を掴んでいるように見える。傍に居た者どもに、「あれを見ろ、あの童は何だ」と言うと、「どこに、どこに。どこにも人などいない」と言う。――我が目には確かに見えているのに――。この童が僧に付き添って、決して沈むことなく海に浮かんでいる。不思議なので確かめようと思い、「これに取り付いて来い」と、棹をさし出すと、僧が取り付いたので、それを引き寄せると、仲間どもが、「どうしてこんなことをする。つまらぬまねをする」と言うが、「そうは言っても、この僧一人だけは生かしてやろう」と、船に乗せた。近くに来ると、この童たちは見えなくなった。
この僧に聞く、「そなたは京の人か。どこへ行かれるのか」と尋ねると、「私は田舎者です。法師になってから長い事戒を受けていないので、『何とかして京に上って受戒したい』と申しますと、この船主が、「では私と一緒に京に上りましょう。比叡山に知り合いの僧がいるので、その者に頼んで受戒させましょう」とおっしゃるので、京に上るところです」と言う。「そなたの頭や腕に付いていた稚児どもは誰か。何者か」と尋ねると、「いつそんな者がおりましたか。まるで覚えがありません」と言う。「さてまた経を捧げていた腕にも、童が付いていただろう。そもそも何を思って、たった今にも死のうとする時に、この経袋を捧げていたのだ」と聞くと、「死ぬだろうとは覚悟していた事で、命は惜しくもありません。私は死んでも、経を少しでも濡らすまいと思って捧げていましたが、だるくもなく、逆に軽くて、腕も長くなるような感じで、高く捧げましたので、これこそ御経の御利益と思い死ぬ気になっていたのです。命をお助けいただきましたのはありがたい事です」と言って泣くので、この外道のような心にもありがたく、尊く思え、「これから国に帰ろうと思うか、あるいは、京に上って受戒を遂げようという気持があるなら送ろう」と言うと、「受戒の心は今はもうございません。ただ田舎へ帰りたい一心です」と言う。「ではここから国へ返してやろう。それにしてもあのように美しく見えた童たちは何だったのだろう」と語ると、この僧はありがたく尊く感じてはらはらと涙を流した。「七歳より法華経を読み申し上げて、長い間何事もなく、恐ろしい思いにかられた時にも読み申しあげていたので、十羅刹(じゅうらせつ)がお出でになったのでしょう」と言うので、この婆羅門のような外道の心にも、では仏経はありがたく尊いものなんだと思われ、この僧に連れ添って山寺などへ行ってしまおうという気持でいっぱいになった。
そこで、この僧と二人連れ添って、食料を少しばかり携え、残りの物などはかまわず、みな手下の海賊どもに預けて行こうとしたので、仲間の面々は、「正気なのか。これはどういうことだ。急な道心など続きはしまい。憑(つ)き物でもしたのか」と、止(とど)まるよう説得するが、聞き入れず、弓、箙、太刀、刀もみな捨てて、この僧について、僧の師が住む山寺という所に行って法師になり、そこで法華経一部をお読みして修行して歩く事になった。こうした罪ばかりを作っていたが、残酷に思っていた矢先、例の船主が手を摺ってはらはらと涙を流し、わめいたのを海に投げ込んだ時から、少しばかり道心が起こって来た。それに、この僧には十羅刹が連れ添っていると確信し、法華経がありがたくそれを読みたいと思い、急にこんな入道の身になってしまったのだ―――と語ったのだった。
語句
■発心-思い立つ事。信仰心を起す事。■摂津の国-現在の大阪市と兵庫県の一部を合せた地域。■行ひうちしてありけるが-修業に励んでいたが。■我は云々-威か本話の最後まで、入道の語りになる。すなわち本話は元海賊であった者が出家するにいたった劇的ないきさつを当人の直話として語った話という事になる。■まことに頼もしくてありし身なり-たいそう裕福であった者だ。■海に浮かびて-海賊であったことを婉曲に洒落て言ったもの。■淡路の六郎追捕使-この入道の海賊時代の通称。「淡路」は淡路島あたりを根城にしている、の意か。「追捕使」は、国司・郡司からその管内の賊徒の追捕役に選任された者。この入道は海賊でありながら、厚顔にもそれを勝手に自称していた。■きよげなるぞ-美形の者が。■さては-その外には。■おのづから-見るとはなしに、偶然に。■皮籠-皮を張った箱状のかご。■はかばかしき人-しっかりして頼りになるような人物。頼もしげな男。■付きてありく-ついてまわる。■屋形-甲板の一部を屋根でおおい、部屋のようにしつらえた所。■とまればまたとまりなどすれば-この我が船が停泊すると、向こうの船も同じく停泊したりするところからみると。■この船を見も知らぬなりけり-なんと、この船が海賊船であるという事に気づいていないのであった。
■問ひてん-ぜひ尋ねてみよう。■かくこの舟にのみ具してはおはするぞ-このように我々の船の後ばかりついておいでになるのか。■周防国-現在の山口県の東部。■いとをこがましと思ひて-内心、何と愚かしい事をするものか。まことに馬鹿げた真似をするものだ。■待ちつけて-待っている船がやって来たら合流して。■下らんずるは-下って行くつもりだ。■さもいかにもせめ-おっしゃるように何とかしましょう。■嶋隠れなる所-島の陰に隠れて、遠くからは人目につかない所。海賊船にとって仕事のしやすい格好の場所。
■人々も-海賊船の他の仲間たちも。■只今こそよき時なめれ-まさに今こそ潮時だろう。■この舟移してん-この目の前の積み荷をこちらの船に移してしまおう。つまり、積み荷を奪い取ってしまおう。■みな乗る時に-海賊どもが乗り移った時には、■覚えずあきれ惑ひたり-亜然として。何が起こっているのか分らない体で。■あきれ惑ひたり-あわてふためくばかり。■みな海に取り入るる間に-全員を海に放り込んでいる時に。■水精(すいしやう)の数珠(ずず)の緒(を)切れたらんやうなる涙-水晶の数珠の玉のような大粒の涙■我が命の限りは-私の命だけは。■限りにわづらひて-もう助からないという重病をわずらっていて。■夜を日にて-夜を日に継いで。昼夜駈け通しで。■告げに遣はしたれば-それを知らせに使いの者を遣わして来たので。■我に目を見合せて手を摺る-必死に懇願する哀れな様子。■これ、かくないはせそ-こら、こんなことを言わせるな。情にほだされそうになる自分の気持ちを封じる必要から、あえて強い調子で手下に厳命した。■例のごとく、とく-いつものように、早く。■さ言ひていかがせんと思ひなして-哀れみの心は動いたが、かと言ってどうしようもあるまい。海賊としては証言者を残さないためには、襲った船の乗船者を皆殺しするしかない、と考えていたことを物語る。
■ひはづなる僧-華奢で、ひ弱な感じの僧。■稀有の法師の-不思議な法師だなあ。■跡枕に-あと先に。「跡」は足の方、後方。「枕」は頭の方、前方。■びづら-「みづら」は「びんづら」とも言い、「耳髪」の約とされる。髪を頭の中央で左右に分け、耳の辺りで輪の形に綰(わが)ねた形。上世の男性の髪型であったが、後には主として少年の者となった。■楉(すはえ)-まっすぐな細枝。語源的には「すぼし(狭く細くなっているさま)と関係があるらしい。「スハヘハ楉也。スルホオエタ也。スホヘヲスハヘトイヘル歟」(名語記)。■いづらいづら-どこにどこに。■さらに人なし-人なんか誰も見えないよ。■よしなしわざする-つまらぬまねをする。なぜ生き証人を残すような不都合な事をするのか、まずいではないか、の意。■さはれ-それはそうだが、ともかく。
■我-人称代名詞。おまえ。なんじ。そなた。■いざ我に具して-この「我}は先に京都の病気の親に会いに行く途上だと命乞いをした、船主と見えた男をさす。■山-比叡山(延暦寺)。延暦寺には朝廷公認の戒壇所があった。■わ僧-「わ」は、ここでは親しみの気持ちを添える接頭語。■いつかさる者候ひつる-いつそんな者がおりましたか。この僧の目にも海賊の手下ども同様、童子たちの姿は見えていなかったようだ。■童添ひたりつるは-童子が付き添っていたではないか。「とぼけるな。いいかげんな事を言うな」という半ば怒りを含んだ物言い。■思ひ設けたれば-覚悟していることですから。■たゆい-疲れて力が出ない。だるい。■あやまりて-逆に。反対に。■婆羅門(ばらもん)-仏教に対して何の理解も信心もない海賊の私のような心にも。「婆羅門」は仏教語で「浄行」の意。インドの四姓制度での最高階級。その階級を中心として仏教以前から行われていたのがバラモン教で、多くの自然神をお崇拝し、祭祀(さいし)を重視して梵天に生れることを期待する。そのバラモン教は、仏教からすれば、外道の異端となる。■返しやりてんとす-確かに返してやろう。■十羅刹-「十羅刹女」の略。『法華経』を受持する者の守護神。初めは人間の血肉を食う悪鬼であったが、浄土に赴いて改悛し、守護者に転じた。『法華経』巻八陀羅尼品を参照。
■この人々-手下の海賊ども。■にはかの道心世にあらじ-突然に思い立った衝撃的な道心(仏道に帰依する心)は本物ではないから、長続きはしまいぞ。■箙(えびら)-矢を入れて背負う武具。■これが師の山寺-この青年層の師匠である僧が住む山寺。■経一部-『法華経』八巻二十八品全部。「一部」は全巻をいう。■かかる罪-海賊としての血も涙もない殺生・悪行。■この男の-京都にいる親の元へ向かう途中だったあの船主をさす。