宇治拾遺物語 11-3(続き) 晴明、蛙(かへる)を殺す事

■【古典・歴史】メールマガジン
■【古典・歴史】YOUTUBEチャンネル

この晴明、ある時、広沢の僧正の御坊に参りて物申し承りける間(あひだ)、若き僧どもの晴明にいふやう、「式神を使ひ給ふなるは、たちまちに人をば殺し給ふや」といひければ、「やすくはえ殺さじ。力を入れて殺してん」といふ。「さて、虫なんどをば、少しの事せんに必ず殺しつべし。さて生きるやうを知らねば、罪を得つべければ、さやうの事よしなし」といふ程に、庭に蛙(かはづ)の出(い)で来(き)て、五つ六つばかり躍(をど)りて池の方ざまへ行きけるを、「あれ一つ、さらば殺し給へ。試みん」と僧のいひければ、「罪を作り給ふ御坊かな。されども試み給へば、殺して見せ奉らん」とて、草の葉を摘み切りて、物を誦(よ)むやうにして蛙(かへる)の方(かた)へ投げやりければ、その草の葉の、蛙(かへる)の上にかかりければ、蛙(かへる)真平(まひら)にひしげて死にたりけり。これを見て、僧どもの色変りて、恐ろしと思ひけり。

家の中に人なき折(をり)は、この式神を使ひけるにや、人もなきに蔀(しとみ)を上げ下(おろ)し、門をさしなどしけり。

現代語訳

この晴明がある時、広沢の僧正の御坊に伺って用事を承っていた時、若い僧たちが晴明に向って、「式神をお使いになるという事ですが、たちまちのうちに人を殺せるのですか」と言うので、「簡単には殺せませんが、力を入れてやれば殺せましょう」と答えた。「そういうわけで、虫などは少しの事をすれば必ず殺す事ができましょう。しかし、生き返らせる方法を知りませんので罪を作る事になり、そんな事はつまらない事です」と言っていると、庭に蛙が五六匹出て来て飛び跳ねながら池の方へ行っ。「それならばあれをひとつ、殺して下さい。試しに見せて下さい」と僧が言うので、「罪作りなお坊さんたちですな。それでも私の術の主税をお試しになるのなら殺して見せましょう」と、草の葉を摘み取り、ものを唱えるようにして蛙の方へ投げやると、その草の葉が蛙の上に被さって、蛙は平べったく潰れてぺしゃんこになって死んでしまった。これを見て、僧たちは顔色を変えて恐ろしい事だと思った。

家の中に人がいない時は、この式神を使うのか、人もいないのに格子戸が上げ下ろしされたり、門が閉ざされたりしていたという。

語句  

■広沢の僧正-寛朝(916~998)。宇多天皇の皇子敦実親王の子。真言僧。天歴二年(948)、寛空により灌頂(かんじょう)を受け、密学を再興、世に広沢密派という。仁和寺別当、東寺長者、東大寺別当などを歴任。嵯峨の広沢の池に近い遍照寺に長住した。大僧正就任は寛和二年(986)。■力を入れて殺してん-気力を込めてやれば、殺せましょう。■さて生きるやうを知らねば-ところが生き返らせる方法を知らないので。■さらば-それならば。おっしゃることが本当ならば。■されども試し給へば-私の術の力を試そうとしておいででいらっしゃるので。■物を誦(よ)む-呪文を唱えるさま。前話でも同じような状況下での晴明の行為として紹介されていた。■真平にひしげて-ぺちゃんこにひっしゃげて。真っ平らにつぶれて。

朗読・解説:左大臣光永

■【古典・歴史】メールマガジン
【古典・歴史】YOUTUBEチャンネル