宇治拾遺物語 11-3(続き) 晴明、蛙(かへる)を殺す事

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原文

この晴明、ある時、広沢の僧正の御坊に参りて物申し承りける間(あひだ)、若き僧どもの晴明にいふやう、「式神を使ひ給ふなるは、たちまちに人をば殺し給ふや」といひければ、「やすくはえ殺さじ。力を入れて殺してん」といふ。「さて、虫なんどをば、少しの事せんに必ず殺しつべし。さて生きるやうを知らねば、罪を得つべければ、さやうの事よしなし」といふ程に、庭に蛙(かはづ)の出(い)で来(き)て、五つ六つばかり躍(をど)りて池の方ざまへ行きけるを、「あれ一つ、さらば殺し給へ。試みん」と僧のいひければ、「罪を作り給ふ御坊かな。されども試み給へば、殺して見せ奉らん」とて、草の葉を摘み切りて、物を誦(よ)むやうにして蛙(かへる)の方(かた)へ投げやりければ、その草の葉の、蛙(かへる)の上にかかりければ、蛙(かへる)真平(まひら)にひしげて死にたりけり。これを見て、僧どもの色変りて、恐ろしと思ひけり。

家の中に人なき折(をり)は、この式神を使ひけるにや、人もなきに蔀(しとみ)を上げ下(おろ)し、門をさしなどしけり。

現代語訳

この晴明がある時、広沢の僧正の御坊に伺って用事を承っていた時、若い僧たちが晴明に向って、「式神をお使いになるという事ですが、たちまちのうちに人を殺せるのですか」と言うので、「簡単には殺せませんが、力を入れてやれば殺せましょう」と答えた。「そういうわけで、虫などは少しの事をすれば必ず殺す事ができましょう。しかし、生き返らせる方法を知りませんので罪を作る事になり、そんな事はつまらない事です」と言っていると、庭に蛙が五六匹出て来て飛び跳ねながら池の方へ行っ。「それならばあれをひとつ、殺して下さい。試しに見せて下さい」と僧が言うので、「罪作りなお坊さんたちですな。それでも私の術の主税をお試しになるのなら殺して見せましょう」と、草の葉を摘み取り、ものを唱えるようにして蛙の方へ投げやると、その草の葉が蛙の上に被さって、蛙は平べったく潰れてぺしゃんこになって死んでしまった。これを見て、僧たちは顔色を変えて恐ろしい事だと思った。

家の中に人がいない時は、この式神を使うのか、人もいないのに格子戸が上げ下ろしされたり、門が閉ざされたりしていたという。

語句  

■広沢の僧正-寛朝(916~998)。宇多天皇の皇子敦実親王の子。真言僧。天歴二年(948)、寛空により灌頂(かんじょう)を受け、密学を再興、世に広沢密派という。仁和寺別当、東寺長者、東大寺別当などを歴任。嵯峨の広沢の池に近い遍照寺に長住した。大僧正就任は寛和二年(986)。■力を入れて殺してん-気力を込めてやれば、殺せましょう。■さて生きるやうを知らねば-ところが生き返らせる方法を知らないので。■さらば-それならば。おっしゃることが本当ならば。■されども試し給へば-私の術の力を試そうとしておいででいらっしゃるので。■物を誦(よ)む-呪文を唱えるさま。前話でも同じような状況下での晴明の行為として紹介されていた。■真平にひしげて-ぺちゃんこにひっしゃげて。真っ平らにつぶれて。

備考・補足

■真言密教の祈祷の大家として知られていた寛朝僧正のもとで修行する若い僧たちにとって、陰陽道の異能者の術力を目のあたりに見たいという願望は激しいものであったに違いない。晴明は、前話の場合と同様、兆戦に応じるという形で、自分の能力を本気で行使して相手を圧倒する。

朗読・解説:左大臣光永