宇治拾遺物語 11-7 清水寺御帳(きよみずでらみちやう)賜る女の事

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今は昔、便りなかりける女の、清水(きよみず)にあながちに参るありけり。年月積りけれども、露(つゆ)ばかりその験(しるし)と覚えたる事もなく、いとど便りなくなりまさりて、果ては年比(としごろ)ありける所をも、その事となくあくがれて、寄りつく所もなかりけるままに、泣く泣く観音を恨み申して、「いかなる先世(せんぜ)の報ひなりとも、ただ少しの便(たよ)り賜(たまは)り候(さぶら)はん」と、いりもみ申して、御前にうつぶし臥(ふ)したりける夜(よ)の夢に、「御前より」とて、「かくあながちに申せば、いとほしく思(おぼ)し召せど、少しにてもあるべき便(たよ)りのなければ、その事を思し召し嘆(なげ)くなり。これを賜れ」とて、御帳(みちゃう)の帷(かたびら)をいとよく畳みて、前にうち置かると見て、夢覚(さ)めて、御あかしの光に見れば、夢のごとく、御帳(みちゃう)の帷(かたびら)、畳まれて前にあるを見るに、「さは、これより外(ほか)に賜(た)ぶべき物のなきにこそあんなれ」と思ふに、身の程の思ひ知られて、悲しくて申すやう、「これさらに賜(たまは)らじ。少しの便(たよ)りも候(さぶら)はば、錦(にしき)をも御帳には縫ひて参らせんとこそ思ひ候ふに、この御帳ばかりを賜りて、まかり出づべきやうも候はず。返し参らせ候ひなん」と申して、犬防(いぬふせぎ)の内にさし入れて置きぬ。

またまどろみ入りたる夢に、「などさかしくはあるぞ。ただ賜ばん物をば賜らで、かく返し参らする、あやしき事なり」とて、また賜ると見る。さて覚(さ)めたるに、また同じやうに前にあれば、泣く泣く返し参らせつ。かやうにしつつ、三度(みたび)返し奉るに、なほまた返し給(た)びて、果(は)ての度(たび)は、この度(たび)返し奉らんは無礼(むらい)なるべき由(よし)を戒められければ、「かかるとも知らざらん寺僧は、御帳の帷を盗みたるとや疑はんずらん」と思ふも苦しければ、また夜深く、懐(ふところ)に入れてまかり出(い)でにけり。

「これをいかにとすべきならん」と思ひて、引き広げて見て、着るべき衣(きぬ)もなきに、「さは、これを衣にして着ん」と思ふ心つきぬ。これを衣にして着て後(のち)、見と見る、男にもあれ、女にもあれ、あはれにいとほしきものに思はれて、そぞろなる人の手より、物を多く得てけり。大事なる人の愁(うれ)へをも、その衣(きぬ)を着て、知らぬやんごとなき所にも参りて申させければ、必ず成りけり。かやうにしつつ、人の手より物を得、よき男にも思はれて、たのしくてぞありける。

されば、その衣をば納めて、必ず先途(せんど)と思ふ事の折(をり)にぞ取り出でて着ける。必ずかなひけり。
                              

現代語訳

今は昔、生活の基盤を持たない貧乏な女で、ひたすら清水寺へ詣でる者がいた。長い間、詣でているが、まったくその効果を感じた事もなく、返ってますます貧乏になっていった。最後には長年住んでいた所をも、これといって確かな当てもないままに、離れてさすらい、身の寄せどころもなくなってしまったので、泣く泣く観音を恨み、「どんな、前世の報いでこうなったにしても、ただ少しのお恵みでもお与えください」と、食いすがるように嘆願して、観音の御前にうつ伏せになって寝た。その夜の夢に「御前より」と言って、「そのように熱心に嘆願するので、気の毒にお思いだが、少しもお前に恵み与える物がないので、その事を嘆かわしくお思いなのだ。これを授けよう」と言って、御帳の布地を丁寧に畳んで、前に置かれるのを見て、夢から覚めた。お灯明のひかりで見ると、夢で見たように、御帳の布地が畳まれて前に置いてある。それを見て、「さては、これ以外に与える物がないのであろうか」と思うが、わが身の不幸せのほどが思い知らされて悲しくなった。それから、「これは絶対にいただきません。わずかのお恵みでもございましたら、錦で御帳を縫ってさしあげようと思っておりましたが、この御帳ばかりをいただいて帰るわけにもまいりません。お返しいたします」と申し上げて、犬防ぎの中にさし入れて置いた。

またうとうとと眠り込んだ夢に、「どうしてこざかしい真似をするのか。ただ授けようとする物をいただかないで、こうして返そうとする。けしからん事だ」と言って、また下さると見た。さて、目が覚めた後で、また同じように前にあるので、泣く泣くお返し申し上げた。こうしながら、三度お返ししたが、さらにまた返され、最後には、「今度もお返し申し上げるのは無礼な事あるぞ」と戒められたので、「こういう事情も知らない寺僧が、御帳の布地を盗んだのかもしれないと疑うのではなかろうか」とも思ったが心苦しく、まだ夜の深いうちに懐に入れて立ち去った。

「これをどうしたらいいのだろう」と思って、広げて見て、着る物もなかったので、「では、これを着物にして着よう」と思いついた。さて、これを着物にして着てから後は彼女が出会ったすべての人々から、男であれ女であれ、愛らしくいとおしいものに思われて、何のゆかりもない人の手から、たくさんの物をもらったりした。むずかしい他人の訴訟にも、その着物を着て、面識のない高貴な人の所に同道して申し上げさせると、必ず解決につながった。こんなふうにして、人の手から物をもらい、よき夫にも思われ、裕福な生活を営んだ。

それで、その着物をしまっておいて、必ずここ一番という大事な場面で取り出して着るのだった。すると、必ず願いがかなうのであった。
             

語句  

■便り-生活のよりどころ。生活の基盤。■清水-清水寺。京都市東山区にあり、観音の霊場として信仰を集める。■あながちに-ひたすらに。ただ一途に。■つゆばかり-少しも。■いとど便りなくなりまさりて-かえってますます貧しい暮し向きになっていって。■年比ありける-長年住んでいた。■その事となくあくがれて-これという確かな当てもないままに、離れてさすらい。■寄りつく所もなかりけるままに-身の寄せどころもなくなてしまったので。■便(たよ)り賜(たまは)り候(さぶら)はん-後利益をいただかせてください。■いりもみ申して-食い下がるように嘆願して。■御帳(みちゃう)-仏前に垂らす絹の帳(とばり)。「帷」は几帳(きちょう)や帳などに用いてたらす絹。夏は生絹(すずし)、冬は練絹(ねりぎぬ)を用いるという。■あながちに申せば-熱心にお願いするので。■いとほしと-かわいそうに。■御あかしの光-お灯明の光。■身の程の思ひ知られて-わが身の不幸せのほどが思い知らされて。■さらに賜らじ-絶対にいただきません。■犬防(いぬふせぎ)-犬よけ。仏堂内の内陣と外陣とを仕切る境目、すなわち仏壇の前に立てる低い格子の衝立(ついたて)。

■さかしくはあるぞ-こざかしい真似をするのか。■あやしき事なり-とんでもない事だ。■果ての度は-最後の時には、すなわち四度目には。■無礼なるべき由-礼儀にはずれたふるまいであろう旨。■盗みたるとや-『今昔』巻一六-三〇話では「放チ取リタリトヤ(外し取ったか)」とする。

■さは、これを衣にして着ん-着物がないのだから、そうだ、着物に仕立てよう。生地は絹であり、恥かしくない立派な着物が生まれることになる。■見と見る-(その着物を着てから)彼女が出会うすべての人。■そぞろなる人-何のゆかりもない人。「そぞろ」は「すずろ」に同じ。これという原因や理由もない状態。『今昔』は「諸(かたへ)ノ人」。■大事なる人の愁へ-なかなか解決の難しい他人の訴訟事件。■知らぬやんごとなき所にも参りて-面識のない高貴なお方の所に参上して。■成りけり-成就した。通った。■たのしくてぞありける-裕福な生活を営んだ。

■先途(せんど)と思ふ事の折(をり)に-ここ一番という大事な場面で。今だという大事な瀬戸際に。■

朗読・解説:左大臣光永

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