宇治拾遺物語 11-8 則光(のりみつ)、盗人を斬(き)る事

≫音声つき【古典・歴史】無料メールマガジンのご案内

スポンサーリンク

原文

今は昔、駿河前司(するがのぜんじ)橘季通(たちばなのすゑみち)が父に、陸奥前司則光(みちのくのぜんじのりみつ)といふ人ありけり。兵(つはもの)の家にはあらねども、人に所置かれ、力などぞいみじう強かりける。世のおぼえなどありけり。

若くて、衛府(ゑふ)の蔵人(くらうど)にぞありける時、殿居所(とのゐどころ)より女のもとへ行くとて、太刀(たち)ばかりをはきて、小舎人童(こどねりわらは)をただ一人具(ひとりぐ)して、大宮を下(くだ)りに行きければ、大垣の内に人の立てる気色(けしき)のしければ、恐ろしと思ひて過ぎける程に、八九日の夜更(ふ)けて、月は西山に近くなりたれば、西の大垣の内は影(かげ)にて人の立てらんも見えぬに、大垣の方(かた)より声ばかりして、「あの過ぐる人まかり止(とま)れ。公達(きんだち)のおはしますぞ。え過ぎじ」といひければ、「さればこそ」と思ひて、すすどく歩みて過ぐるを、「おれは、さてはまかりなんや」とて、走りかかりて物の来(き)ければ、うつぶきて見るに、弓のかげは見えず、太刀(たち)のきらきらとして見えければ、木にはあらざりけりと思ひて、かい伏して逃ぐるを、追ひつけて来(く)れば、「頭打ち破(わ)られぬ」と覚ゆれば、にはかに傍(かたは)らざまにふと寄りたれば、追ふ者の走りはやまりて、えとどまりあへず、先に出でたれば、過(すぐ)し立てて、太刀を抜きて打ちければ、頭を中より打ち破りたりければ、うつぶしに走り転(まろ)びぬ。

「ようしつ」と思ふ程に、「あれはいかにしつるぞ」といひて、また物の走りかかり来(く)れば、太刀をもえさしあへず、腋(わき)に挟(はさ)みて逃ぐるを、「けやけきやつかな」といひて走りかかりて来る者、初めのよりは走りのとく覚えければ、「これは、よもありつるやうには謀(はか)られじ」と思ひて、にはかにゐたりければ、走りはやまりたる者にて、我にけつまづきて、うつぶしに倒れたりけるを、ちがひて立ちかかりて、起し立てず、頭(かしら)をまた打ち破(わ)りてけり。

「今はかく」と思ふ程に、三人ありければ、今一人(ひとり)が、「さては、えやらじ。けやけくしていくやつかな」とて、執念(しうね)深く走りかかりて来ければ、「この度(たび)は、我はあやまたれなんず。神仏助け給へ」と念じて、太刀を鉾(ほこ)のやうに取りなして、走りはやまりたる者に、にはかにふと立ち向ひければ、はるはるとあはせて、走り当りにけり。やつも斬りけれども、余りに近く走り当りてければ、衣(きぬ)だに斬れざりけり。鉾のやうに持ちたりける太刀なりければ、受けられて中より通りたりけるを、太刀の柄(つか)を返しければ、のけざまにたうれたりけるを斬りてければ、太刀持ちたる腕(かひな)を肩より打ち落してけり。

さて走り退(の)きて、「また人やある」と聞きけれども、人の音もせざりければ、走り舞ひて、中御門の門より入りて、柱にかひ沿ひて立ちて、小舎人童(こどねりわらは)はいかがしつらんと待ちければ、童は大宮を上(のぼ)りに泣く泣く行(い)きけるを呼びければ、悦(よろこ)びて走り来にけり。殿居所(とのゐどころ)にやりて、着替(きがへ)取り寄せて着替へて、もと着たりける上(うへ)の衣(きぬ)、指貫(さしぬき)には血の付きたりければ、童(わらは)して深く隠させて、童の口よく固めて、太刀(たち)に血の付きたる、洗ひなどしたためて、殿居所にさりげなく入りて臥(ふ)しにけり。

夜もすがら、「我がしたるなど聞えやあらんずらん」と、胸うち騒ぎて思ふ程に、夜明けて後(のち)、物ども言ひ騒ぐ。「大宮大炊(おほひ)の御門(みかど)辺に大(おほ)きなる男三人、いく程も隔てず斬(き)り伏せたる、あさましく使ひたる太刀かな。かたみに斬り合ひて死にたるかと見れば、同じ太刀の使ひざまなり。敵のしたるけるにや。されど、盗人と覚(おぼ)しきさまぞしたる」などいひののしるを、殿上人(てんじやうびと)ども「いざ、行きて見て来ん」とて誘(さそ)ひて行けば、「行かじはや」と思へども、行かざらんもまた心得られぬさまなれば、しぶしぶに往(い)ぬ。

車に乗りこぼれて、やり寄せて見れば、いまだともかくもしなさで置きたりけるに、年四十余りばかりなる男のかづら鬚(ひげ)なるが、無文(むもん)の袴(はかま)に紺の洗ひざらしの襖(あを)着、山吹の絹(きぬ)の衫(かざみ)よくさらされたる着たるが、猪(ゐのしし)のさかつらの尻鞘(しりざや)したる太刀はきて、猿の皮の足袋(たび)に、沓(くつ)きりはきなして、脇(わき)を掻(か)き、指(および)をさして、と向きかう向き、物いふ男立てり。

「何(なに)男にか」と見る程に、雑色(ざふしき)の寄り来て、「あの男の、盗人敵(かたき)にあひて、つかうまつりたると申す」といひければ、「うれしくもいふなる男かな」と思ふ程に、車の前に乗りたる殿上人の、「かの男召し寄せよ。子細問はん」といへば、雑色走り寄りて、召し持て来たり。見れば、かずら鬚(ひげ)にて、頤(おとがひ)反(そ)り、鼻下(さが)りたり。赤髭なる男の、血目(ちめ)に見なし、片膝(かたひざ)つきて、太刀の柄(つか)に手をかけてゐたり。                                                                                        
「いかなりつる事ぞ」と問へば、「この夜中ばかりに、物へまかるとて、ここをまかり過ぎつる程に、物の三人、『おれはまさに過ぎなんや』とて、走り続きてまうで来つるを、盗人なめりと思ひ給ひて、あへ競(くら)べ伏せて候(さぶら)ふなり。今朝見れば、なにがしを見なしと思ひ給ふべきやつばらにて候ひければ、敵(かたき)にて仕(つかまつ)りたりけるなめりと思ひ給ふれば、しや頭どもをきって、かく候ふなり」と、立ちぬゐぬ、指(および)をさしなど語り居(を)れば、人々、「さてさて」といひて問ひ聞けば、いとど狂ふやうにして語りをる。その時にぞ、人に譲りえて、面ももたげられて見ける。

「気色(けしき)やしるからん」と、人知れず思ひたりけれど、我と名のる者の出(い)で来(きた)りければ、それに譲りてやみにしと、老いて後(のち)に、子どもにぞ語りける。
                              

現代語訳

今は昔、駿河の前司、橘季通(たちばなのすえみち)の父に、陸奥の前司則光という人がいた。武士の家ではなかったが、人に尊敬され、たいそう力が強かった。世の評判も良かった。

若くて、衛府の蔵人であった時、殿居所から女のところへ行くということで、太刀だけを帯び、召使の少年をただ一人だけ連れて、東大宮通りを南下して行ったところ、大垣の中に人が立っている様子がしたので、恐ろしいと思いながらも通り過ぎた。八月九日の夜更けて、月は西山近くにかかっていたので、西の大垣の中は影になって人が立っているのも見えないのに、大垣の方から声だけが聞え、「そこを行く者、止りおれ。公達がおられるのだ、通り過ぎはできまいぞ」と言ったので、「案の定、盗賊め、出たな」思って、すばやく早足になって通り過ぎようとすると、「こいつめ。そうやって通り過ぎるつもりか」と言って、走りかかって誰かが迫って来たので、うつぶせになって見ると、弓の影は見えず、太刀がきらきらと見えたので、「おどかしの木刀ではなかったのだ。何と真剣だったか」と思い、身をかがめて、伏せるようにして逃げるのを、追いついて来たので、「頭を打ち破られそうだ」と感じて、にはかに脇の方にさっと寄った。追う者は走ってきた勢いにあまって、止ることができず先に出たので、則光はやり過ごして、太刀を抜いて打ちかかると、頭を真中から打ち割った。相手はうつぶせになってどうと倒れた。

「うまくやった」と思っていると、「あれはどうしたのか」と言って、また誰かが走りかかって来たので、太刀を腰に収める余裕もなく、腋に挟んで逃げるのを、「こしゃくな奴め」と言って、走りかかって来る者、初めの者よりは足が速いと見て、「これは、まさか前の奴のようには騙されまい」と思って、突然その場に坐り込んだので、相手は勢い余って則光に蹴つまずき、うつぶせに倒れ込んだのを、入れ違いに飛びかかって、起き上がらせず、また頭をまた打ち破った。

「もうこれで終わりかな」と思っていると、実は三人いたので、もう一人が、「そのまま帰しはせぬぞ。こしゃくなことをするやつめ」と、執念深く走りかかって来た。「今度こそ、私は殺されるかもしれない。神仏お助けを」と念じて太刀を鉾のように構えて、勢いつけて走って来る者に、突然ふと立ち向ったので、真正面から立ち向くことになり、ぶつかった。敵も斬ったが、余りにも近くでぶつかったので、衣服さえ斬ることができなかった。鉾のように構えた太刀だったので、相手の体を受け止め中から刺し貫いたが、刀の柄をねじったので、敵がのけぞって倒れ込んだところを斬ることになり、太刀を持った腕を肩先から打ち落してしまった。

そして走り去って、ほかに人がいるかと様子をうかがったが、その気配もなかったので、走りに走って中御門の門から入り、用心して柱に身を寄せて立ち、召使の少年はどうしたろうかと待っていると、少年が東大宮大路を泣く泣く歩いて来たので呼び止めると、喜んで走り寄って来た。それで、少年を殿居所に遣って着替えを取り寄せ、着替えて、着ていた上衣、指貫には血が付いていたので少年に命じて人目につかないように隠させた。少年には固く口止めをして、太刀に血が付いたのを、洗い流して始末し、殿居所になりげなく入って寝た。

夜どおし、「自分がした事が噂になっているかもしれない」と胸が騒ぎ心配していると、夜が明けた後(あと)、人々が、騒いでいる。「大宮大炊(おほひ)の御門辺に大の男が三人あまり間隔をおかずに斬られて倒れている。驚くほど見事な太刀さばきだ。お互いに斬り合って死んだのかと見ると、同じ太刀筋のようだ。三人の相手方が斬ったのだろう。しかし、三人とも盗人のような格好をしているのだ」などど言って騒いでいるので、殿上人たちも、「さあ、行って見て来よう」と誘い合って見に行ったが、内心、「どうも行きたくないなあ」とは思うのだが、行かないのもまた同輩たちには納得してもらえそうもない状況なので、しぶしぶと出ていった。

牛車からあふれそうになるぐらいにいっぱいに乗って、その場に寄りつかせて見ると、いまだに死体を片付けもしないで、置いていた。ところが、そこに、年が四十ほどの男で鬘を被ったように鬚ぼうぼうで、無地の袴に紺のよく洗いさらされた裏地付きの狩衣を着て、山吹色の絹の単衣で汗取りの服のよく洗いさらされた物を着込み、猪の毛並みを逆立てた鞘袋をした太刀を帯びて、猿の皮の足袋に、沓をきちんた履いて、得意そうに脇の下を擦り、指を差し示して、あっちを向いたりこっちを向いたりしながらしゃべりまくっている男が立っている。

「何者か」と見ていると、雑式(ざふしき)が寄って来て、「あの男が盗人の敵にあって、やりました」と申しております」と言ったので、「嬉しい事を言う男よ」と思っていると、車の前に乗った殿上人が、「あの男を召し寄せよ。詳しい話を聞こう」と言うと、雑式が走り寄って召し連れて来た。見ると、濃い髭面で、あごがしゃくれており、鼻先がたれ下がっている。赤髭の男で目は血走っており、片膝をついて、太刀の柄に手をかけていた。

「どうした事だ」と問うと、「この夜中にある所に行こうと、ここを通り過ぎた時に、そこに倒れている三人が、『きさまはここを通り過ぎるつもりか、そうはさせんぞ』と言って、次々に走りかかってきましたが、さては、盗人だなと思いまして、斬り合って斬り臥せたのです。今朝見ると、日比、私めを許せぬと思っているらしい者どもでしたので、さては敵として討ち取ったようなものだと思いまして、そやつらの首を斬って、こうした次第です」と、立ったり座ったり、指をさすなどして話すので、人々は、「それから、それから」と言って、さらに聞くと、たいそう夢中になって話す。その時になって、自分のしたことを他人に肩代わりさせられたことで、ようやく顔を上げて人の顔を見ることもできた。

「わしがしたのではないかと気取られるのではないか」と人知れず思っていたが、自分がやったと名のる者が出て来たので、それに譲ってそのままにしてしまったと、老いた後に、子どもに話したのであった。
   

語句  

■橘季通-駿河守、康平三年(1060)没。■則光-橘俊政の子。蔵人、長徳三年(997)正月、左衛門尉、検非違使。遠江権守、陸奥守などを歴任。清少納言の夫であったこともあり、『枕草子』の「里にまかでたるに」「頭弁の御もとよりにて」の段などに登場する。■人に所置かれ-他人から一目置かれて。

■殿居所-宮中の警護と夜間の緊急事態に対応するために大臣、納言、蔵人頭、近衛大将、兵衛督などが宿直する所。則光は誰かの付き人として別室に控えていたものか。■小舎人童-召使の少年。■大宮を下(くだ)りに行きければ-東大宮通りを南下して行ったところ。■大垣-大内裏の外囲いの高い垣。ここは東側のそれ。■八九日-八月九日。月の初旬で、月の出入りは早い。■西の大垣-則光等は南に向っているので、東の大垣は西の手に見える。■人の立てらんも-(暗いので)人が立っているかどうかもはっきり見えないのに。■まかり止れ-止りおれ。「まかり」は動詞に冠して語勢を強める接頭語。■公達-上流貴族の子弟。このせりふは盗賊が通行人を引き止める時に、常用した僭称句(せんしょうく)これに引っかかるのは、たいてい事情を知らないお人よしか、臆病者であったという。先刻それを承知の則光は、無視して通り過ぎようとする。■え過ぎじ-通り過ぎはできまいぞ。■さればこそ-案の定、盗賊め、出たな。■すすどく歩みて-すばやく早足になって。■おれは-きさまは。こいつめ。■さてはまかりなんや-そうやって通るつもりか。■木にはあらざりと-おどかしの木刀ではなかったのだ。何と真剣だったか。■走りはやまりて-走って来た勢いにあまって。■過し立てて-やり過ごして。■かい伏して-身をかがめて、伏せるようにして。

■ようしつ-うまくやった。■物-誰かが。■えさしあへず-腰にさし収める余裕もなく。■けやけきやつかな-こしゃくな野郎め。ちょこざいな野郎め。生意気な奴め。■よもありつるやうには謀られじ-たぶん先ほどのようなやり方には引っかからないであろう。■にはかにゐたりければ-(最初の襲撃者に対しては、道の脇へすっと身をかわしたのを、今回は道の真中に)突然しゃがみこんで相手を転倒させようとした。■我に-則光に。■ちがひて立ちかかりて-入れ違いに飛びかかって。■起し立てず-起き上がらせず。

■今はかく-もうこれで終わりかな。■さてはえやらじ-そのまま帰しはせぬぞ。■あやまたれなんず-殺されそうだ。やられてしまいそうだ。「あやまつ」には「殺す」の意がある。■鉾のやうに取りなして-長い柄の先に諸刃の剣の付いた、槍と長刀(なぎなた)を合せたような武器。ここは太刀をまっすぐに突き出して持った格好。■走りはやまりたる者-闇夜の襲撃者は三人ともに、「走りあやまりて(あまりに勢い込んで失踪・接近しすぎて、相手のとっさの動きに自分を制御することだできずに)」自滅したことになる。■はるはるとあはせて-真正面から向い合う様をいうか。語義は不明。『今昔』巻二三-十五話は「腹ヲ合セテ」と明快。■受けられて-相手の体を太刀で受け止める格好になって。■中より通りたりけるを-体の真中を刺し通したが。■太刀の柄を返しければ-太刀の柄を持っていた手をねじって刃を回転させながら、前方へ押し出すようにしてから引いたので。

■夜もすがら-夜通し。■大宮大炊(おほひ)-東大宮大路と大炊御門大路の交わる辺り。郁芳門の近辺。■あさましく使ひたる太刀かな-驚くほど見事な太刀さばきだ。■かたみに斬り合ひて-お互いに斬り合いをして。■盗人と覚(おぼ)しきさまぞしたる-切り倒されている連中の方が、人を襲うのが専門の盗賊と思われるなり格好をしているのはどうしたわけか。■行かじはや-どうも行きたくないなあ。どうしても気乗りがしないなあ。「はや」はここでは、憂鬱な気持ちを添える助詞。■心得られぬさまなれば-同輩たちには納得してもらえそうもない状況なので。

■車に乗りこぼれて-牛車にこぼれ落ちそうなくらいにいっぱい乗って。■ともかくもしなさで-取り片付けもしないままに。■かづら鬚-鬘(かつら)をかけたようにもじゃもじゃと濃い鬚。■無文の袴-無地の袴。■襖(あを)着-裏付きの狩衣を着て。■衫(かざみ)-汗取りのための短い単衣(ひとえ)。■よくさらされたる-よく洗いさらされたのを。■さかつら-「逆頬(さかつら)」とは猪などの獣の毛並みを逆立てたもの。■尻鞘(しりざや)-水などから太刀の鞘を保護するための毛皮の袋。■沓きりはきして-沓をしっかりと(または、きっとりと)足に履いて。「きり」は「きりりと」や「きりきり」の「きり」と関連あるか。■脇(わき)を掻(か)き、指(および)をさして-得意そうにわきの下をさすり、指を差し示して。■と向きかう向き-あちらを向き、こちらを向き。

■雑式-平安時代以後、摂関家・院の御所・諸官司で雑事をつとめた無位の者。■頤反り、鼻下りたり-顎がしゃくれており、鼻先が垂れ下がっているわしの鼻のような形である。■血目に見なし-充血した赤い目をしていて。

■物の三人-そこに倒れている三人が。■おれはまさに過ぎなんや-きさまはここを通り過ぎるつもりか。そうはさせんぞ。■思ひ給ひて-思いまして、「給へ」は謙譲の意の助動詞。■あへ競(くら)べ伏せて候(さぶら)ふなり-対抗して斬り合って、やっつけたのです。「あへ」は「敢へ」で、ここは「張り合う」の意。■なにがしをみなしと思ひ給ふべきやつばらにて-私めを許せぬと思っているらしい者どもで。「なにがし」は自称の代名詞。「みなし」は大系などに従い、「便なし」の意ととっておく。■しや頭-そっ首。そやつらの首。「しや」は卑しめののしって言う接頭語。■立ちぬゐぬ-立ったり座ったり。■さてさて-それでそれで。それからそれから。■人に譲りえて-自分のやった事を、他人に肩代わりしてもらう事ができて。

■気色-自分のしわざと見えるような態度やそぶり。■やらん-~だろうか。~のであろう。

備考・補足

■『江談抄』第三雑事に、「橘則光搦盗事」の記事があり、則光は藤原斉信(ただのぶ)邸で盗賊の逮捕に武勇を奮っている。藤原行成の『権記』長徳四年(998)十一月八日条にも則光が斉信(ただのぶ)の家で狼藉者を取り押さえたことが見え、則光の豪勇ぶりはつとに知られていたらしい。その彼に「神仏助け給へ」と念じさせるほどのスリルに満ちた追いはぎの襲撃を、則光は沈着に奮戦してようやくかわす。前段にはその斬り合いの経緯が精細に活写され、読者は息つく暇もなく、その場面に引き込まれる。本書の中でも最もスピード感に富む連続する行動描写といえる。後段はその後日譚で、事実を承知している読者には、むさい男の捏造した武勇譚のいかさまぶりとの対比がまた楽しめる、という仕掛け。

朗読・解説:左大臣光永