宇治拾遺物語 12-1 達磨(だるま)、天竺(てんぢく)の僧の行(おこな)ひ見る事

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原文

昔、天竺に一寺あり。住僧もつとも多し。達磨(だるま)和尚この寺に入りて、僧どもの行(おこな)ひを窺(うかが)ひ見給ふに、ある坊には念仏し、経を読み、さまざまに行ふ。ある坊を見給ふに、八九十ばかりなる老僧の、ただ二人ゐて囲碁(ゐご)を打つ。仏もなく、経も見えず。ただ囲碁を打つ外(ほか)は他事(たじ)なし。達磨件(くだん)の坊を出でて、他の僧に問ふに、答へて曰(いは)く、「この老僧二人、若きより囲碁の外(ほか)はする事なし。すべて仏法の名をだに聞かず。よって寺僧、憎みいやしみて公会(けうくわい)する事なし。むなしく僧具を受く。外道(げだう)のごとく思へり」と云々。

和尚これを聞きて、「定めて様あらん」と思ひて、この老僧が傍(かたは)らにゐて、囲碁打つ有様を見れば、一人(ひとり)は立てり、一人は居(を)りと見るに、忽然(こつぜん)として失せぬ。あやしと思ふ程に、立てる僧は帰り居たりと見る程に、またゐたる僧失せぬ。見ればまた出で来ぬ。「さればこそ」と思ひて、「囲碁の外他事なしと承るに、証果(しようか)の上人(しやうにん)にこそおはしけれ。その故を問ひ奉らん」とのたまふに、老僧答へて曰(いは)く、「年来(としごろ)この事より外他事なし。ただし、黒勝つ時は我が煩悩(ぼんなう)勝ちぬと悲しみ、白勝つ時は菩提(ぼだい)勝ちぬと悦(よろこ)ぶ。打つに随(したが)ひて、煩悩の黒を失ひ、菩提の白の勝たん事を思ふ。この功徳によりて証果の身となり侍るなり」といふ。

和尚、坊を出でて、他僧に語り給ひければ、年来憎みいやしみつる人々、後悔して、みな貴(たふと)みけりとなん。

現代語訳

昔、インドに一つの寺があった。そこには殊の外住んでいる僧が多かった。達磨和尚が寺に住むようになってから、僧たちの修業の様子を窺い御覧になっていると、ある坊では念仏を唱え、ある坊では経を読み、それぞれの坊でさまざまに修行をしている。それで、ある坊を御覧になっていると、たった二人、八~九十ぐらいの老僧がいて囲碁を打っている。仏像があるわけでもなく、経典があるわけでもない。ただ碁を打つ外には別に何事もない様子である。達磨はその坊を出て、他の僧に問いかける。すると、それに応えて言うには、「この老僧二人は、若いころから囲碁の外にする事がありません。まったく仏法の名でさえ聞いたことがないのです。それで、寺の僧どもはみな、憎み卑しんで付き合おうともしません。無駄に供養の物を受けているのです。みな外道のように思っています――」と。

達磨和尚はこれを聞いて、「きっとわけがあるだろう」と思い、この老僧の側に居て、囲碁を打つ様子を見ていると、一人は立ち去り、一人は座っていると見えたが、たちまち二人とも消えてしまった。不思議に思っていると、立っ去った僧が帰って来て座ったかと思うと、一方の座っていた僧がまた消えてしまった。見るとまた現れるの。「やはりそうか」と思って、「囲碁の外にする事はないと伺っておりましたが、やはり悟りを得られた上人であられましたか。そのわけをお聞かせ下さい」と尋ねると、老僧が答えて言うには、「長年これ以外にする事はない。ただし、黒が勝った時は自分の煩悩が勝ったのだと悲しみ、白が勝った時は菩提が勝ったのだと喜んでいる。ただし、打つごとに煩悩の黒が負け、菩提の白が勝つように願っている。この功徳によって、悟りを得る身となったのです」と言う。

和尚が、この坊を出て、他の僧にこのことを話して聞かせると、長年、憎み卑しんできた人たちは、後悔して、みな尊敬するようになったという。

語句  

■天竺-インドの古称。■もっとも-いかにも。たいそう。ことのほか。また、当時のインドの中では、第一番に、の意ともとれる。■達磨和尚-菩提達磨。梵語Bodhidharmaの音写。五~六世紀の人。南インドのバラモン国(一説に波斯国または香至国)の第三王子。般若多羅に仏法を学び、520年、梁(りよう)の武帝(在位502~549年)の時、中国に渡り、崇山(すうざん)少林寺に住み、九年間、座禅面壁して禅を興し、慧可(えか)、道育の二弟子に伝えた。「和尚」は模範となる僧・高僧の呼称。禅宗では「おしょう」(唐音)、奈良の諸宗では{わじょう」(呉音)、比叡山(天台)では「かしょう」。■行ひ-修業。■行ふ-修業してる。■ゐて-坐って。■囲碁-白黒の碁石を並べて勝負を競う盤上遊戯。■他事なし-別に何事もない。■交会(けうくわい)-交際する。つきあうこと。「けう」は「交」の呉音。■むなしく-無意味に。むだに。■僧具を受く-寺や僧に供養される食べ物を口にしている。■外道-仏教にあらざる教えを信奉する人。ここでは、一緒に同じ寺には住みたくない異端者たち。

■定めて様あらん-きっと、他人にはうかがい知れないようなわけがあるのであろう。■をりと見るに-いると見えたのに。■失せぬ-見えなくなった。■帰り居たりと見る程に-戻って来て座ったと思っているうちに。■さればこそ-やはり予想していたとおりだった。この二人の老僧はただ者ではなかったのだ、という確認。■証果(しようか)の上人(しやうにん)-修業を続けて無明の煩悩を離脱して、真理を窮めたことを表す悟りの境地に達した高僧。■奉らん-お聞きしましょう。■年ごろ-長年の間。■黒勝つ時は我が煩悩(ぼんなう)勝ちぬと悲しみ、白勝つ時は菩提(ぼだい)勝ちぬ-善念を白、悪念を黒にたとえる先例が、『賢愚経』一三(優婆毬提品・第六〇)や『法苑珠林』三四にあることは指摘されている。■煩悩(ぼんなう)-食欲・瞋恚(しんい)・愚痴・情欲など、人間の心身を悩乱せしめるさまざまな妄念。■菩提(ぼだい)-煩悩を断ち切り、仏の智恵を得、真理を悟り、生死の苦悩を超えた境地。

■貴みけりとなん-尊敬したということである。

備考・補足

■ひたすら囲碁に熱中しているだけの無駄飯食いと爪弾きにされていた高齢の二人の僧が、実は悟りの境地に達していた聖人であることを、旅の修行僧が第三者の曇りのない眼でみごとに看破した。卑近な遊びも修行の有効な手段となり得ることを説いて、硬直した形をなぞって自足し、異形(いぎょう)・異質の物を無差別に排斥しがちな衆愚への一喝。

朗読・解説:左大臣光永