宇治拾遺物語 12-4 内記上人(ないきしやうにん)、法師陰陽師(ほふしおんやうじ)の紙冠(かみかぶり)を破る事

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原文

内記上人寂心(ないきしやうにんじやくしん)といふ人ありけり。道心堅固(けんご)の人なり。「堂を造り、塔を立つる、最上の善根(ぜんこん)なり」とて、勧進(くわんじん)せられけり。材木をば播磨国(はりまのくに)に行きて取られけり。ここに法師陰陽師紙冠(ほふしおんやうじかみかぶり)を着て祓(はらひ)するを見つけて、あわてて馬よりおりて馳(は)せ寄りて、「何(なに)わざし給ふ御坊ぞ」と問へば、「祓(はらひ)し候(さぶら)ふなり」といふ。

「何しに紙冠をばしたるぞ」と問へば、「祓戸(はらひど)の神達は、法師をば忌み給へば、祓する程、しばらくして侍るなり」といふに、上人(しやうにん)声をあげて大に泣きて、陰陽師に取りかかれば、陰陽師心得ず仰天(ぎやうてん)して、祓をしさして、「これはいかに」といふ。祓(はらひ)させる人も、あきれてゐたり。上人冠を取りて引き破(やぶ)りて、泣く事限りなし。「いかに知りて、御坊は仏弟子となりて、祓戸の神達憎み給ふといひて、如来(によらい)の忌み給ふ事を破りて、しばしも無間地獄(むげんぢごく)の業(ごふ)をば作り給ふぞ。まことに悲しき事なり。ただ寂心(じやくしん)を殺せ」といひて、取りつきて泣く事おびただし。

陰陽師の曰(いは)く、「仰(おほ)せらるる事、もとも道理なり。世の過ぎがたければ、さりとはとて、かくのごとく仕(つかまつ)るなり。しからずは、何(なに)わざしてかは妻子をば養ひ、我が命をも続(つ)ぎ侍らん。道心なければ上人にもならず、法師の形に侍れど、俗人のごとくなれば、後世(ごせ)の事いかがかと悲しく侍れど、世の習(なら)ひにて侍れば、かやうに侍るなり」といふ。上人のいふやう、「それはさもあれ、いかが三世(さんぜ)如来の御首に冠をば著(き)給ふ。不幸に堪へずしてかやうの事し給はば、堂造らん料(れう)に勧進し集めたる物どもを汝(なんぢ)になん賜(た)ぶ。一人菩提(ひとりぼだい)に勧むれば、堂寺造るに勝(すぐ)れたる功徳(くどく)なり」といひて、弟子どもを遣はして、材木取らんとて勧進し集めたる物をみな運び寄せて、この陰陽師に取らせつ。さて我が身は京に上(のぼ)り給ひにけり。

現代語訳

内記上人寂心(ないきしやうにんじやくしん)という人がいた。仏道への信仰心が極めて深い人であった。「お堂を造り、仏塔を立てる。これこそよい果報を受ける最上の善行である」と言って、人に勧めて、金や物などを寄進させ、材木を播磨国に行って買いつけられた。道すがら、法師で陰陽師を勤める者が紙冠を被ってお祓いをするのを見つけて、あわてて馬から下りて駆け寄り、「御坊は何をなさっているのか」と聞くと、「お祓いをしております」と言う。

「何の為に紙冠を着けておられるのか」と聞くと、「祓戸(はらひど)の神達は、法師を忌み嫌っておられるので、お祓いをする間、しばらくは紙冠を着けるのです」と言う。すると上人(しょうにん)は声をあげてわあわあ泣いて、陰陽師につかみかかったので、陰陽師はわけがわからず仰天して、お祓いを中断して、「これはいかがなされた」と言う。お祓いをさせる人もあきれて座っていた。上人は冠を取りあげ、引き破って、とめどもなく泣く。「御坊は仏弟子になりながら、どんなつもりで、祓戸の神達が憎まれるからといって、如来の嫌われる戒を破り、しばしの間たりとも無間地獄に落ちるような罪業をお作りになるのか。本当に悲しい。ただ寂心を殺せ」と言って取り付いて泣く事ひととおりではない。

陰陽師は、「おっしゃることはごもっともです。暮らしにくいので、道理は道理として、このようにしているのです。こうしなければ、どうやって妻子を養い、命を継いでいくことができましょうや。まことの道心もないので上人にもならず、法師の姿はしておりますが、俗人のようなもので、後はどうなる事かと悲しんでおりますが、世の習いでこうしているのです」と言う。それを聞いて上人は、「それはそうだとしても、どうして三世如来とも言うべき僧の頭に冠を着けられるのか。貧乏に堪えきれず、このようになさるのであれば、御堂を造るために勧進して集めた物をそなたにそっくりさしあげよう。一人の人を悟りの道に勧めるのは、堂寺を造るより勝った功徳である」と言って、弟子たちを遣って、材木を手に入れようとして勧進して集めた物を全部運び寄せて、この陰陽師に与えた。そうして彼自身は京にお帰りになったという。

語句  

■内記上人寂心(ないきしやうにんじやくしん)-慶滋保胤(よししげのやすたね)(934?~1002)。賀茂忠行の子。菅原文時に師事し、詩文に長じ、『池亭記』など、その作品は『本朝文粋』に収録される。大内記、近江掾(おうみのじょう)。寛和二年(986)出家。横川の源信らと念仏結社の二十五三昧会(さんまいえ)を始め、『日本往生極楽記』を編んだ。■善根(ぜんこん)-死後の転生のためのよい果報の元になる行為。■法師陰陽師-剃髪し僧衣をまとった陰陽師。紙冠は祓えをする際に額に付け用いた三角形の紙。『枕草紙』「見苦しきもの」の段に、「法師陰陽師の、紙冠して祓(はらひ)したる」と見える。

■祓戸の神達-祓えを行う場所(祓戸)を守護する神々。瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、速秋津姫神(はやあきつひめのかみ)、速佐須良姫神(はやさすらひめのかみ)の四神。■しさし(為止す)-中止する。■いかに知りて-何と心得て。どんなつもりで。■如来-梵語Tathagataの訳語。如去(かくのごとく行きたる人)、すなわち修行を完遂して悟りを開いた人。後に如来(かくのごとく来たれる人)、すなわち真理の世界から衆生救済のためにこの世(迷いの世界)に来た人と解されるようになった。■無間地獄-八大地獄の最下層に位置する地獄。父母・僧侶殺し、教団の破壊者、寺塔の破壊者、衆僧誹謗者などが落ちるとされる。■寂心(じやくしん)を殺せ-この私(寂心)を殺せ。寂心の我を忘れた怒りと悲しみの言葉。寂心は出家者であり、もし彼を手にかけたら、この法師の無間地獄行きはさらに確実なものとなる。

■上人にもならず-『今昔』巻十九-三話は「身ヲ棄テタル聖人ニモ難成シ」とする。上人は、山中の草庵に住んで修行に専念する世捨人をさす。■三世(さんぜ)如来-過去・現在・未来にわたる如来である「僧」たるあなたの頭。僧形を卑しめることは、仏を辱めることになる、と寂心は嘆いた。

備考・補足

■寂心は当時の代表的陰陽家賀茂忠行の次男で、兄の保憲も「当朝以保憲、為陰陽基模」(左経記・長元五年五月四日条)と称された陰陽家。従って陰陽師の行為にも理解があったはずだが、それにも増して仏道への純粋一途な信仰心があった。寸分の雑修行を許容しない真摯な信心ぶりは笑止とも思えるような奇行をともなうこともあったが、(『今昔』巻十九-三話の後半部など)、「一人菩提に勧むれば、堂寺造るに勝れたる功徳なり」という言葉には、いかにも布教実践家らしい価値観がうかがわれる。

朗読・解説:左大臣光永